第5話 散歩

「で、こうなるわけか......」


 ぼやきながら、俺はプラスティック製の餌皿をドッグフードで満たす。

 そして、すぐそばで、なぜかお座りのポーズで待機しているザナークの前に皿を差し出した。


「オラ、飯だ」


 結局、ザナークを放置しておくわけにはいかず、かと言って大学の寮に連れて帰ることもできないので、ひとまずザナークは、俺の部屋に置いておくことになった。

 念のため言っておくが、このマンションは、ペット可なので違法ではない。


『ククク......小僧。仮にも元大魔王である私の食事に犬のえさを出すとは、いい度胸をしているじゃないか』

「昔は知らんが、今は純然たる犬だろうが。つーか、前世じゃ、テメェのせいで静が死んだそうじゃねぇか。飯が出るだけありがたいと思いやがれ」


 ドッグフードの袋を棚にしまってから、首を後ろに向け、俺はザナークを睨みつける。 

 しかし、ザナークは全く意に介していない様子で、辺りをキョロキョロと見渡すとテレパシーを飛ばしてきた。


『それにしても小僧。お前はこの部屋に1人で住んでいるのか?』

「ん? ああ。親は、2人とも仕事で海外にいるからな。1年に1回帰ってくるかどうかってとこだし、まぁ実質一人暮らしみたいなもんだ」

『ほう......エロゲの主人公みたいな家庭環境だな、小僧』


 なんで、エロゲ主人公にありがちな家庭環境事情を知ってんだよ。大魔王のクセに。チワワのクセに。

 俺は、半目でザナークを見やる。

 その日は、それ以上特になにをするでもなく、そのままベッドに潜り込み、眠りについた。

 色々とあって、疲れていたためか、意識が落ちるまでに、そう時間はかからなかった。




『起きろ、小僧』


 胸に感じる重さに、目を覚ますと、目の前にザナークの顔があった。

 掛布団越しに俺の体の上に乗り、圧をかけるように俺の顔をまっすぐ見つめている。


『散歩に連れて行け』

「はぁ? なんで?」


 上体を起こしながら問う。

 ザナークは、俺の体の動きに合わせて、太ももの辺りに移動すると、答えた。


「愚問だな。運動不足やストレスの解消のため、飼い犬を散歩させるのは飼い主の義務であろう。きちんと責任を持って世話をできないなら、初めから、動物なんぞ飼うな」

「いや、他の世界侵略してた奴に道徳語られたくねぇんだが......」


 呆れ気味に呟く。

 そもそも、別に好きでお前を飼っているわけではない。


『私とて、かつては大魔王だった自分が犬としての本能に逆らえんと思うと、複雑なのだ。とにかく、このまま脱糞されたくなかったら、とっとと散歩に連れて行け』

「ベッドの上で脱糞すんのは元大魔王的にオッケーなのか......」


 言いつつもも、流石に脱糞されるのは困るので、渋々俺はベッドから出て、身支度を始めた。




「買ってねぇからリードないけど、逃げんなよ」

『心配せずとも、そんな気があればとっくに逃げているわ』


 近所の散歩コースを、俺たちは並んで歩いていた。

 高級住宅街というほどでもないが、俺の住むマンションは、それなりに地価の高い地区に建っており、時折、身なりのいい初老の男性や、同じように犬の散歩をしているマダムとすれ違った。

 当たり前といえば当たり前ではあるが、リードもつけずに犬の散歩をしている俺はかなり悪目立ちする存在のようで、すれ違う度、好奇の視線を向けられているのが分かった。

 リード買っておくか......若干の後悔とともにそう誓いつつ、気を紛らわせる意味合いもあって、ザナークに尋ねる。


「そういや、お前。静にぶっ殺されて今の姿に転生したんだよな。でも、お前見た感じ、精々生後5、6歳くらいだろ。静は今16歳だし......時間軸的におかしくねぇか?」

『フン。生命とは、時間と全く別の流れをくむもの。死んだ者から先に転生するわけでもないし、必ずしも前世より後の時代に転生するわけではない』

「ふ~ん。詳しいな、よくわかんねぇけど......」

「当然だ。私は、前世では最も神に近いと言われた大魔王だぞ。例え、犬になったとしても記憶は引き継がれ、今も私という存在はこの身の中に確かに存在している.......ムッ!」


 そこで、ザナークは突然会話を切り、歩を速めた。

 行く先に建っているのは、1本の電柱。

 ザナークは片足を上げると、電柱に向かって放尿を始めた。

 大きく弧を描いた黄色い液体が、電柱に浴びせられる。


『ここは、私の領地だと他の者共に知らしめておくか』

「オイ、犬の本能に侵食されてんぞ大魔王」




『たとえ、頭の中で理解していても犬という生物の習性や欲求には逆らえない。やはり、ただの犬として過ごしていた6年の歳月が後を引いているな』

「なんか、思ったより大変そうだな、その体も」


 俺は、横目でザナークを見やる。

 最も大変でなければ、罰にならないし、ザナークの前世での所業を思えば同情する気も起きない。

 あれ? でもよく考えたら、記憶を取り戻したのは、静も最近なんだよな。

 同じ人間ではあるが、アリシアと静が同じ性格をしているとは限らないし、アリシアとしての記憶が戻ったことで、静の人格に影響が出たりはしないのだろうか?

 漫画とかじゃ、記憶喪失になると、性格が変わることもあるし、記憶が戻ったら戻ったで、性格も元に戻ることが多いけど、現実だとそこら辺どうなるんだ?

 今のところ、静に変わった様子はないし、気にすることもないかもしれないが、一応帰ったら調べてみるか。


「......あれ?」


 現実に返り、ふと視線を戻した俺は、あることに気づいて、声を上げた。

 さっきまで、自分のすぐ横を歩いていたはずのザナークがいなくなっていた。

 

「イヤァアアアアアアアア!」


 かん高い、しかしどこか野太い悲鳴がすぐ近くで上がった。

 急いで声のした方に視線を移す。

 前方にいたのは、ブランド物と思われる豪勢なコートを着込んだふくよかなマダム。

 外出の目的はおそらく俺と同じだろう、大きさだけなら男に匹敵する大きな手にピンク色のリードが握られており、その先にはよく手入れされた茶色い毛並みを持つトイプードル──────の背中にザナークが後ろから乗り掛かり、激しく腰を降っていた。

 マダムは、両手を頬に当て、再びヒステリックな叫び声を上げる。


「わ、私のリジーちゃんがぁああああああああああああああ!」


 瞬時にザナークに駆け寄り、俺も叫んだ。


「なにやってんだ、テメェはぁあああああああああああああああああ!」

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