第3話 前世


 ──────翌日。


「ん? どうした静? こんな朝っぱらから?」


 郊外にある自宅のマンション。

 その玄関で、シャコシャコと歯ブラシを動かしながら、俺は静に尋ねた。

 今の時刻は午前9時より少し前。

 今日が日曜日ということを考慮すれば、十分に早い時間だと言えるだろう。

 実際、俺が起きたのはつい、40分ほど前だ。

 マーガリンを塗ったトースト一枚とコップ一杯の水という侘しい朝食を済ませた後、歯を磨いているとインターホンが鳴ったので、ドアを開けると静がそこに立っていた。


「えっと達也......これからちょっといい?」


 流石にこの時間は早すぎると自覚はしているのか、決まりが悪そうに静が呟く。

 さっきも言ったが今日は日曜日で、特に出かける用事もない。

 仮にあったとしても、静からの誘い以上に優先すべきことなどそれこそ俺にはない。


「ああ、別にいいけど。出かける準備をしてくるからちょっと待っててくれ」


 そう言って、俺は部屋の中に静を通し、洗面所へと向かった。




「で、今日は一体どうしたんだ?」

 

 外出用の服に着替えた後、俺たちは家を出て、喫茶店やスポーツ用品店など様々な店が立ち並ぶ通りを歩いていた。

 聞いておいてなんだが、なんとなく用件の察しはついている。


「やっぱ、例の前世の件についてか?」

「うん。昨日の内に話しておこうと思ってたんだけど、昨日は色々あったから」


 静は、振り向き、包帯を巻かれた俺の右手をちらりと見た。

 どうやらまだ、昨日のことを気にしているらしい。

 正直あれは静の言うことを信じてなかった俺にも責任の一端はあるし、俺としてはもう事故にあったものだと考えていたのだが、人に怪我をさせておいて気にするなというのもそれはそれで、無理な話かとも思ったので、わざわざ触れることはしなかった。

 代わりに気になっていたことを問う。


「そういや、俺はまだ静の前世が魔王と戦う勇者だったとしか聞いてないんだが、静の前世って具体的にどんな感じだったんだ?」

「そうだね。達也にはちゃんと話しておかないといけないね」


 コクリと頷き、静は自身の前世について語り始めた。

 話を要約するとこうだった。

 アーシュ・ルノ。それが静がかつて住んでいた世界の名前だ。

 アーシュ・ルノは、俺たちの世界とは別の次元に存在する世界で、魔法や精霊が存在する、こちらで言うファンタジー小説の世界観にかなり近い世界らしい。

 静は、アリシア=レイと言う名のありふれた商家の娘として生まれたが、その時代のアーシュ・ルノは、魔族からの侵攻を受けており、窮地に立たされていた。

 魔族とは、アーシュ・ルノとはまた別の世界から来た種族のことで、魔族を束ねている王は大魔王ザナークと呼ばれていた。

 そういうわけで、アーシュ・ルノでは、神に仕える大聖法教会の聖騎士団を中心とした軍隊と魔族があちこちで勢力争いを続けていたのだが、女である静が戦場に出ることはなく、生まれてからずっと故郷で家族と共に細々と暮らしていたそうだ。しかし、15の時、アーシュ・ルノの守り神とされている女神エステルの声を聞き、祝福として、神気と呼ばれる強大な魔力を授かったらしい。

 それからほどなくして、静が女神から祝福を授かったという噂を耳にした、教会の司祭が静の元にやってきた。静の体に宿る強大な魔力に驚嘆した司祭は、アーシュ・ルノを守るため、ぜひその力を貸してほしいと強く頼んできた。

 結局静は、女神から祝福を受けた者として、戦うことを決め、各地の戦場を駆け回ることになった。

 行く先々で戦果を上げ、その活躍から、勇者アリシアと呼ばれるようになった静は、4年の月日をかけ、大魔王ザナークとその腹心である四天王を打倒うちたおし、とうとう魔族たちをアーシュ・ルノから撤退させることに成功した。

 こうして、アーシュ・ルノには平和が訪れたが、大魔王との戦いで負った傷が原因で、静自身もそれから3年後に息を引き取った──────────

 

「えーと......聞かなかった方がよかったか?」


 恐る恐る俺は静かに尋ねる。

 想像よりヘヴィな話だった。

 それにしても、異世界か......昨日のことで、嘘をついているわけではないと分かってはいるのだが、まだ心のどこかで静の言うことを完全には信じ切れていない自分がいる。


「ううん。どうせ、話すつもりだったから」


 俺の問いに静は、かぶりを振って答えた。


「それは、今日の用件に関係しているからか?」

「うん。結局私は、こうして伊藤静として、この世界に転生しているわけなんだけど.....」


 そこで突然、静の歯切れが悪くなった。

 どうやら、話すことを躊躇しているらしい。

 しかし、ほどなくしてこちらへ振り向き、言葉を継ぐ。


「その......どうやら転生したのは私だけじゃないようなの.......」

「うん? どういう意味だ?」


 静の言わんとすることが分からず、俺は首をかしげる。

 複雑そうな笑みを浮かべて静が言った。


「だからその......大魔王ザナークがこの世界に転生しているようなの」  

「ハ、ハァッ!? 大魔王がこの世界に!?」


 声を荒上げ、静に聞き返す。 


「うん。一週間前にザナークの魔力を感じ取ったことで、前世の縁が強まり、私も前世の記憶と力を取り戻したの。魔力は今もこの街に留まっているから間違いないはず」

「ちょっ、ちょっと待て! しかも大魔王この街にいるのか!?」

「そうだね。私も信じたくはないけど、ザナークがこの世界に転生してきたのなら、元勇者として見過ごすわけにはいかない。だから、今からザナークに会いに行こうと思ってるんだけど......その、一人じゃ少し不安だから、達也についてきてほしいの。もしかしたら、地球の危機かもしれないし」


 ち、地球の危機......

 話が急展開過ぎて、正直ついていけない。そもそも前世の力や記憶って、そんな簡単に取り戻せるものなのかという疑問もあったが、確かにその話が本当なら、放っておくわけにもいかないのも事実だ。


「ま、まぁそりゃあ、かまわねぇが.......」

 

 結局俺は、静の願いを聞き入れた。

 そうして、俺たちは再び歩き始める。

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