からだとはね
「……さん、宇川さん!聞いてますか」
ぼぉーっとしていたところに目の前の女性に声をかけられ、私は現代に戻ってきた。
「あ、はい、はい。聞いてます。ごめんなさい」
隣から深い溜息が出る。
「亜紀。大事な打ち合わせでしょう。何をそんな呆けた顔してるの」
「まあ、いいわ。とにかくですね、一言で言ってしまえば『分かりにくい』です。宇川さん、三ページ目のあたりのシーン、どうしてヒロインは泣いていたの?」
「ええと、それは……その前の戦いでやられちゃったキャラがヒロインの古い友人で、戦いの間には余裕がなかったけど、戦いが終わったから緊張の糸が切れて、みたいな……」
「そのことって作中で触れてたっけ」
「触れてませんでしたっけ」
「触れてない。で、相田さんは、五ページの三コマ目から五コマ目。このコマ、分ける必要ある?」
「あるような、無いような」
「無いならまとめちゃいなさい。なんか読みづらいし。他にもいろいろ気になるところはあるけど……まだ時間はあるし、次までにいろいろ考えてきて」
「はい……」
「期待してるからね、『林あゆ』先生。三度目の正直の連載、絶対成功させるわよ」
目の前の女性、二人の担当は軽く机をたたいて立ち上がった。つられて二人は立ち上がって会釈を返す。
「ありがとうございました」
ドアを開けると担当はふと思い出したように振り向いた。
「そういえばファンレター来てたから、受け取って帰ってね」
「あ、はい。分かりました」
「んー、今日も佳弥子さん厳しかったねー」
仕事場に帰った亜紀が荷物を下ろして大きく伸びをした。
「まあ、でもあそこまで言ってくれる人も珍しいと思うわよ。それだけ本当に私たちの事認めてもらっているってことだろうし」
優希は椅子に座ってテレビをつけた。若手のアイドルたちがわいのわいのっやっている番組だった。
亜紀はテレビを見ながら「まあねー」と返した。
「最初の担当さんはもっとテキトーっていうか、抽象的だったし。それに比べると佳弥子さん具体的なヒントくれるし」
「なんだか中学生の頃を思い出すわね」
亜紀は生返事をしながらチャンネルを変えた。
「とはいえほとんど書き直しだし、大変なのは大変でしょ。私はまあ、考え直すだけだけど……私が考え直すってことは優希はほとんど全部ネーム書き直しだし」
「そうでもないわ。佳弥子さんからあんな感じで言われるの分かっているから、それほど丁寧には描いてはいないから。キャラのあたりだけ取って、て感じだし」
優希は自分の机の上を片づけだした。
「まあ、亜紀が考え直すまで私は暇なんだし、とりあえず片づけでもしているわ」
「ええー。優希も手伝ってよ」
「私が下手に亜紀の話聞いていると、今日言われたような展開の不自然さに気付けない。そう思わない?」
「まぁ、そうかもだけど」
「それに私は亜紀の直しが終わったらすぐに描けるようにしないといけないでしょう。明日からはペン入れの方もあるし」
亜紀が向かいの椅子に座って大きくため息をついた。そして書くものを取り出して、書いては消してを繰り返した。
「まー分かってたけどね。とにかくさっさと書き直すからまってて」
「まあ、いいんじゃない?次の時に亜紀さんは今後の展開含めて書いて持ってきてね」
二人は息をのんだ。
「じゃあ、締切厳守でお願いね」
「はい!」
担当の去った後、二人は小さくガッツポーズをした。
「ふぅ。これでとりあえず今月の山は越えたってとこかな」
「何言ってるのよ。私にとってはこれからが始まりなのだから。でも、今月は少し早くに終わった感じね。助かるわ」
二人はそれぞれ荷物をかけて同時に椅子に座った。優希がテレビをつける。いつものように若いアイドルたちが黄色い声を上げていた。
「……優希、その番組好きだよね」
「別に、まあ嫌いじゃないけれど。亜紀は嫌いなの?」
「好きじゃないってだけ。なんというか、好みじゃない。まあ、今日は私が片づけをする番かな」
そう言って亜紀は立ち上がり、部屋に散乱していた段ボールを片づけだした。
「しっかし、今月もたまりにたまってるわね。普段誰も住んでないはずなのに、どーしてこんなに汚くなるかね」
「そう言わないでほしいわ。仕方ないでしょう」
「まー確かに締切近くは修羅場だもんね。私はあまり関係ないけど」
それからしばらく亜紀は部屋の片づけを、優希は原稿に向かってペン入れを始めた。部屋の中にはテレビの音だけが響いていた。そして番組が変わった頃、亜紀は声を上げた。
「そういえば、覚えてる?中学生の頃。私達が初めて漫画を描いた時の事」
「どうしたの、急に。……忘れるわけないでしょう。あの時は私と、亜紀と、それから美貴がいて」
「私、実は美貴の事あんまり好きじゃなかったんだ。あの時から」
「え。あの時からって」
「美貴ってさ、調子いいし、明るいし、クラスでも人気者って感じじゃん。それなのに私達の中に入ってって思ってて。正直言って何考えてるかもわかんないしで」
「まあ、確かに人に合わせてばかりとは思っていたけれど」
「でもさ、いつだったか。美貴が夕焼け嫌いだって話してたでしょ。その話聞いて、私と一緒なんだって思えた」
「えぇ!」
驚きのあまり優希が立ち上がる。
「亜紀って夕焼け嫌いだったの!?いつも見てたくせに
照れくさそうに亜紀が話す。
「本当はね。理由も一緒だった。綺麗な夕焼けが、あんまりに綺麗だったから。そこは私のいる世界じゃないって言われてるみたいで。でもね、知ってる?あの夕焼けに重なるように建てられた電波塔があるの」
「なんだったか、昔聞いたような気はするわ。お金が有り余ってた時代に建てられたとか」
「ある日、五年の頃だったかな。それに気付いて、その姿を見てなんだかほっとした。そん時はよく分からなかったけど、今ならどう感じでいたかわかる。許されたんだって。もうちょっとここに居てもいいって」
気が付けば二人の手は止まっていた。昔を思い出すようにそれぞれ少し上を向いて。
「美貴が夕焼けを嫌いって言った時、多分初めて心の底から美貴の事許せたんだと思う。ここに居てもいいって。何様なんだって思うかもしれないけど、私にとっては必要なことだった。とっても簡単で、他人から見たら変に思うかもしれないけど、私にとっては大事なことだったんだよ」
優希は何も答えない。気にせず亜紀は顔を伏せながらも続ける。
「でも、だからこそ赦せなかった。あのとき、美貴がいなくなるって言った時からずっと。折角これからだって思ったのに。三人での共同作業が終わって、これから本当に美貴と仲良くなれると思ったのに」
「私だって聞いたときは赦せなかったわ。美貴が言い出したことで、それなのに美貴から投げ出すだなんて。でも、仕方のなかったことでしょう」
「……優希は知ってたんだ」
優希は立ち上がって、亜紀の方へ近づいた。亜紀の前にあった段ボール、デビュー当初からのファンレターの詰まった段ボールから1枚の手紙を取り出した。亜紀は段ボールから目を離さないでいた。
「当たり前でしょう。私が先に全部見るんだから。連載とか読み切りとか、新しいのが載るたびに来てたのだけど……亜紀が赦せてないの知っていたから。迷っちゃって。ごめんなさい、見せるべきだったわね」
「私がペンネームを『林あゆ』にしたのだってあてつけみたいなもんだったのにさ。美貴はモデルになってテレビに出るようになって、華やかな世界で私たちの事なんか忘れてるんだって。そんな美貴は私達の中からいなくなったんだって。でも」
亜紀は優希の取り上げた手紙を見上げる。差出人は泉 美貴となっていた。
「こんなことされてたのに、裏切られたなんておもって、私、ばかみたいじゃん。勝手な思い込みで赦さないでいたって、私、本当に最低じゃん」
震えた亜紀の声を聴いて、優希は亜紀を抱きしめていた。
「いいじゃない、少しくらい回り道したって。私も、あなたも、いろいろ間違えていたけれど、ここに戻ってこれたのだから、きっと大丈夫よ。だって、もう美貴に会っても大丈夫でしょう。昔のように仲良く三人で、とりとめのない話をして、それでまた会いましょうって、そういう話がきっとできるんだから」
亜紀は泣いた。優希の肩を濡らして、声を詰まらせて泣いた。窓から差し込んだオレンジの光が、二人を包み込んでいた。
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