第11話 みぎ手とひだり手
病院へ向かう車の中でお兄さんは話をした。
それはまるでフィクションの世界のような話だった。あまりにも現実離れした内容に思考がほとんど追いついていなかった。
だけど、時折悲しそうに、辛そうに、やるせない静かな怒りを乗せて話をする姿はそれが嘘ではないことを伝えていた。
そして、最初の頃に感じていたお兄さんに対する恐怖心や緊張感と言ったものはなくなっていた。
病院へ向かっているはずの車は別の方向へと進んでいく。
「あの、こっちは……」
「話したろ? 真理絵は普通じゃないんだ。だからちゃんとした病院には連れていけない」
車は住宅街の中を進み、たどり着いた先は小さな診療所だった。
てっきり秘密の隠れ家みたいなところに行くのだと思っていたからちょっとだけ拍子抜けだった。
――でも、なんか安心した……
「ねねちゃんは随分想像力が豊かなんだな。――言っとくが、普通じゃないものを隠すときってのは案外こういう所に隠しておくほうがわからないもんなんだぜ」
木を隠すなら森の中ってことなのだろう。
その場所は普通に診療所として営業していた。
一般の患者さんも診つつ裏では犬塚さんが属する組織と繋がっている――ということ。
案内された部屋では、清潔感漂う白いベッドに寝かされている犬塚さんの姿があった。
「真理絵の容態は?」
「はい。命に別状はありません。今は眠っているだけです」
「そっか。サンキューな」
お兄さんと言葉を交わしたお医者さんは「それでは」と頭を下げて部屋を出ていった。
「ったく……心配かけやがってよ」
そういうお兄さんは、ベッドの上の犬塚さんを見て表情をほころばせる。そんな優しい笑みを浮かべる彼を見てちょっとドキリとした。
「ん? どした? ねねちゃん?」
「い、いい、いいえ。大丈夫です!」
顔の前で両手を振って口にしたその言葉。何が“大丈夫”なのか私自身よくわかってなかった。
ベッドの脇の椅子に腰掛けじっと真理絵を見つめるお兄さん。
真理絵は子どものような可愛らしい寝顔で寝息を立てていた。
私が屋上で彼女を発見したときは脇腹を刺されて、結構な出血をしてたはずなのにそんなことはまるでなかったかのよう。
さっきお医者さんも命に別状はないと言っていたけど、たぶん、普通ならあり得ない。それってやっぱり犬塚さんは普通じゃないってことの証明だ。
「なあ。ねねちゃん――」
お兄さんは不意にこちらに顔を向ける。
「ひとつお願いがあるんだけどいいかい?」
「え……? お願い……?」
黄色い眼鏡のレンズの奥に見える真剣な眼差し。
視力に異常があるということだったけど、外からはそれとわからない。それ以上に吸い込まれそうなキレイな瞳をしている。
「真理絵とずっと友だちでいてやってくれないか?」
「そんなっ――今さら……」
犬塚さんの余命は後数年。数年後には悲しい別れが確実にやってくる。それを理解した上で友だちとして傍にいてくれというお願い。
覚悟の問題……?
――ううん。友だちってそういうことじゃないよ。
友情に掛け値や打算なんてない。
「心配しなくても大丈夫です。私は犬塚さんの友だちです。これまでも……これからも……」
「そっか……あんがとな」
優しい微笑みを向けるお兄さんの不意打ちが来た。
それでまた、私は心臓が飛び出るくらいにドキドキするのだった。
……………………
…………
「うぅん? あさ~?」
「犬塚さん!?」
ベッドに寝ていた犬塚さんが何事もなかったかのように目を覚ました。
「あ……ねねちゃん……」
「犬塚……さん?」
一瞬だけ、犬塚さんは寂しそうな表情をしていた。だけど、すぐにいつもの調子で聞いていきた。
「ここはー?」
「病院だよ。ちょっとまっててね。お兄さん呼んでくるから」
私はそう言って席を外していたお兄さんを呼びに行った。
――
2人で病室に戻ると、お兄さんはすぐに犬塚さんに事情の説明を求めていた。
相変わらずの真理絵節だったけどお兄さんはちゃんと理解していた。まるで通訳するみたいに犬塚さんの話をわかりやすく私に教えてくれた。
要約すると、もうひとりの人格が消え、お姉さんの記憶の一部が真理絵に引き継がれたとのことだった。
その一部の記憶には万葉学園の屋上での出来事は含まれていなかった。これはおそらくお姉さんが意図的に引き継がなかったんじゃないかと思った。
相当ショッキングな出来事があったに違いない。
西園寺さんが屋上から落ちたとき、その屋上には刺された犬塚さんがいた。この2人の間になにかがあったのは明白だ。
だけどそれはもうわからずじまい。真相は闇の中だ……
……………………
…………
脇腹に致命傷を負っていた犬塚さんは異常なまでの回復力ですぐに学業に復帰した。
しかしその後すぐに……
「え!? 転校するの!?」
「そだよー」
「どうして……急に?」
「なんかねー。お兄ちゃんの話だとねー。パパの会社がきびしくなったってことにして学校かわるんだってー」
それは建前ってやつじゃないだろうか……? というかそれ私に話しちゃっていいの?
「もしかして……西園寺さんの事と関係ある?」
西園寺さんの件は世間的には“自殺”ということで片付けられていた。だけど私はそうじゃないと確信している。だからそこに何らかの関係性があるのだろうと思った。
「おー、そんなことも言ってた気がするー」
「そっか……」
「ああ! そうだー!!」
「え!? なに、いきなり――」
「あのねー。おねがいがあるのー」
「お願い?」
犬塚さんからなにかをお願いされるのはたぶんはじめてだ。
一体どんなことお願いされるのかと身構えていると。
「あたしとねねちゃんはおともだち?」
「え? あ、うん」
私たち友だちだよね? なんていう友情の確認なんてフィクションの世界だけでの話だと思ってた。
「だったらねー。ねねちゃんも名前でよぶー」
「う……うん?」
「うんとねー。おともだちどうしは名前でよぶんだよー」
ああ、そういうことか。
犬塚さんは私のことをねねちゃんと呼んでいる。今まであまり気にしていなかったけど、考えてみれば犬塚さんは最初から私のことを名前にちゃん付けで呼んでいた。
ずっと友だちだと思って接してくれてたってことだ。
対して私は彼女をずっと名字で呼んでいた。
友達同士は名前で呼び合うなんてルールはないけれど、彼女にとってはそれが重要らしい。
だから私は、
「わかったよ。真理絵」
彼女の名を呼んであげた。
漫画の中で見るような名前で呼ぶことを恥ずかしがるようなことはなかった。
「おお! やったー。ともだちー!」
こうして、私と真理絵は本当の意味での友だちになった。
…………
その日の放課後。学園の校門に見知った男性の姿があった。
「あ! おにいちゃんだー!」
「おう! 病み上がりだからな。ちょっと様子を見に来た」
真理絵はトタトタと走っていきお兄さんに抱きついた。
「ねねちゃんもお疲れさん」
お兄さんは真理絵の頭をなでながら私に労いの言葉をくれる。
あの一件以来、はじめてあったときに感じていた恐怖や緊張はもうなくなっていた。
見た目は不良だけど、心は妹(姉?)思いの優しいお兄さんだということを知ったから。
「はい。――えっと、転校するって聞きましたけど……」
「なんだ? 喋っちまったのか?」
「うん!」
「そっか。まぁ、転校つってもするのは今年の秋、10月の話だ。――ああそれと、お別れってわけじゃないぞ。転校先は隣町の上ノ木高校だからな」
「え、そうなんですか!?」
隣町と言っても距離は結構ある。ここから通うとなると結構大変だ。
でもそれで、転校が10月なのにも納得がいった。上ノ木高校は2学期制で新学期の開始が10月からだからだ。
「んなもんで、まだ時間は結構あるだろ?」
「そうですね」
「ああっと、思い出した」
「なになにー?」
「んとな、実はオフクロに親孝行でもしようかと思ってディバインキャッスルのチケットを取ったんだが、そしたら『いつも迷惑かけてるんだからねねちゃんにでも譲ったら』って言われちまってさ。どう? いる?」
ディバインキャッスルという名は私も知っている。結構なお金を積まなければ行くことができない豪華なお城型の宿泊施設だ。
この学園にもその場所に行ったことを自慢している生徒はいた。評判もよく私も結構憧れていた時期もあった。
まさかこんな形でそれが実現するなんて。
「はい! 欲しいです!」
嬉しさについつい前のめりで返事をしてしまった。
こういうとき最初は「本当にいいんですか?」と冷静に返すのが礼儀なのに!
「はは。やっぱ女の子だな」
「あぅ……」
ちょっとはしたなかっただろうか……
赤くなった顔を見られたくなくて俯く私。
「そういう返事が聞けてよかったよ。んじゃ、詳しい日程とかはまた後で連絡するから。真理絵と2人で行ってきてくれ」
「あたしもー?」
「おう。そうだぞ」
「やったー!」
両手を上げて喜ぶ真理絵。
こういう姿を見ると本当に子どもの様だ。
「ねねちゃん!」
「え?」
「お兄ちゃん!」
「んあ? なんだ?」
真理絵は私とお兄さんの名を呼ぶと、右手を私と、左手をお兄さんと繋いだ。
「ならんでかえるよ~」
両手を前後に振る真理絵。
私とお兄さんは顔を見合わせちょっぴり苦笑い。
「真理絵はこんなだからな。2人での旅行は大変かもしれんが……」
「いいえ。大丈夫です」
2人での旅行。不安より楽しさのほうが大きかった。
真理絵とお兄さんと私の3人で帰途につく中、私は期待に胸を膨らませるのだった。
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