第9話 光と影 後編
その日、真理絵は西園寺さんから放課後部活棟の屋上に来るように言われた。
私は不穏なものを感じていたけど、当の真理絵はいつもの調子で安請け合いした。
そして……
「知っていますのよ! 創造さんを殺したのはあなたなのでしょう!?」
屋上に呼び出された真理絵は、いきなり西園寺さんの糾弾を受けた。
私の嫌な予感は的中した。
「つくるー? なにをー?」
「とぼけないでくださいまし!!」
私には彼女が何を言いたいのかなんとなく理解できていた。
「聞いたんですのよ! 創造さんが殺されたときあなたがこの場所にいたということを! 屋上から降りてくる姿を何人かの生徒が見ているんですのよ!!」
「んー?」
心当たりなどないと真理絵は小首をかしげた。
それもそのはず。あのとき表に出ていたのは真理絵ではなく私だ。真理絵の記憶の中には私の行動は記憶されないので知らなくても無理はない。
――参ったわね……
事件のあった日、私は犯人を探すために部活棟内を通った。それがこんな形で仇になるなんて思ってもみなかった。
「どうなんですの! 正直言いなさいな!」
取り敢えず、真理絵ではお話にならないので私が表に出ることにした。
「私じゃないわ」
「嘘おっしゃい!! 屋上にいたのは事実なのでしょう!!」
「ええ、まあ……」
言い訳はできない。屋上にいたのは事実だし、どうせ違うと言っても信じないだろう。
「ほらみなさ……い……」
彼女の表情が変わった。訝しむような目で私を注視する。
「会話が通じてますわ……あなた、本当に犬塚さん……なんですの?」
彼女は恐る恐る尋ねてくる。
さて、どう答えたものか……
この学園には私の事情を知っている人間はいない。仲のよい猪口さんにでさえ黙ったままだ。
ここで猪口さんを引き合いに出すのは彼女を差し置いて西園寺さんにすべてを話すのは申し訳ない気がしたからだ。別に優先順位をつけることを是としているわけじゃないけど、なんとなく。
それに、本当の事を話したとして信じるかどうかって問題もある。
だけど、このまま黙っているわけにもいかず、私は事情を話そうと試みた。
その矢先のことだった。
「わかりましたわ!! そうでしたのね!! あはははは――」
彼女は突然声を張り上げ、声高に笑った。
「犬塚さんはとり憑かれているんですわ!!」
「は……? はい!?」
「ええ……ええ、ええ! そうに違いありませんわ! それならいつかの“殺す”発言も納得できますもの、ね――!!」
あまりにも突拍子な発言に私は面食らってしまった。そのため大きな隙を作ることになり次の行動が遅れてしまった。彼女がそんな行動に出るはずないという油断もあった。
「ぐっ……っ……」
それでも体が反射的に致命傷を避けていた。
西園寺さんが隠し持っていたナイフが私の右脇腹に刺さっていた。血が滲み出し黒い制服がじわりと変色していく。
「あんた……何考えて……」
いくらなんでも西園寺さんはこんなことをする人ではなかったはず。
「ワタクシが除霊して差し上げますわっ!!」
ナイフを深く――より深く刺し込んでいく。
「っ……! 調子に……のるな……!」
西園寺さんの体を突き飛ばした瞬間、私は“それ”に気づいた。
――あまい匂い……アセンブル特有の匂いだ。
それで納得した。西園寺さんのおかしな言動の正体はそれだ。彼女はどういうわけかアセンブルを手に入れそれを摂取した。その反動がこのザマってわけだ。
アセンブルは人を選ぶ。私が研究所で投与されたものからだいぶ改良されているらしいけど、それでも適応者は極めて少ないと聞く。西園寺さんは死にこそしなかったもののクスリの作用でおかしくなってしまったようだ。
でも常習者ならもっと早い段階で気づいていたはず。つまり最近それに手を出したということだ。
――って、“いつ”は大した問題じゃない。重要なのは彼女がどうやってそれを入手したかだ。
ただ、今の私の状態ではそれを聞き出すのに時間はかけられない。
手荒くいかせてもらう。
「ねぇ……あなた、誰かからクスリをもらったでしょ? 誰からもらったのか……教えてくれない、かしら?」
「薬? 何のことかわかりませんわね」
そう言う西園寺さんの顔に同様の色は伺えない。
だが、私が感じた“匂い”に間違いはない。
彼女は嘘をついている――
「嘘を付くと……ためにならないわよ」
尻餅をつく西園寺さんの胸ぐらをつかみ無理やり立たせ、そのまま彼女の体を持ち上げる。腕を伸ばせば彼女の足は地面を離れ数センチほど浮き上がった。
脇腹に力が入って、刺さったナイフの痛みが増す。それでも私は力を緩めない。
「ひえっ!? なんですのこれは!?」
彼女は恐怖におののく。
それはそうだろう。自分とさして変わらぬ体格の人間が自分の体を持ち上げているのだから。
「言いなさい! 誰にもらったのか!」
「だから言っているでしょうに!! 薬とは何のことですの!?」
西園寺さんは知らぬ存ぜぬを繰り返し、足をばたつかせなんとか逃れようとする。それを許すほど今の私はやわじゃない。
――だったら奥の手よ。
私は彼女を持ち上げたまま屋上のフェンスに向かって走り、そこに彼女の体を押さえつけた。
「さあ! どうする? 今の私なら、あなたの体ごと……フェンスをぶち破れるわよ。その意味が……わかる、わよね?」
フェンスの向こうにはなにもない。つまりそのまま下へと真っ逆さま。
脅しを掛けるつもりで取ったこの選択。普段なら素人相手にこんな手は使わないが、手負いの体が私の中の冷静さを失わせていた――
余程訓練された兵士でもこの状況で死を選ぶことができるのは極僅かだ。まして普通の人間ならすぐに口を割るはず……
「知らないったら知りませんわ!! 助けてくださいまし!!」
そう思っていたのだけど、予想に反し彼女は暴れ抵抗を続けた。
しぶとい――
相変わらず同様の色は見えない。もしかすると口を割らないよう暗示をかけられているとか?
……あるいは、それとは知らずに摂取している? もしくは、本人の知らないうちに……?
「質問を変えるわ。最近、誰かから怪しいも……の――っつ!?」
彼女の暴れ回る足が私の脇腹に刺さったナイフを蹴った。
その時の彼女の顔はしてやったりと言ったふうな下卑た笑みを浮かべていた。偶然ではなく狙ってそれをやったのだ。
それで私から解放されるとでも思ったのだろう。
だけど、彼女のその行動は失敗だったと言わざるを得ない。なぜなら傷の痛みが私の力加減を狂わせたからだ。
彼女の胸ぐらをつかむ腕に先程までの倍以上の力が入ると同時に、私の体はフェンスにより掛かるように重心がかかってしまった。
その力のベクトルは屋上の外へと掛かり、フェンスを突き破って――
「ひあっ――です、わ!?」
このまま彼女の胸ぐらを掴んでいれば私の体は彼女に引っ張られてしまう。
だから……
私は手を放した……
「ひょあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
西園寺さんは、絹を裂くような悲鳴を上げながら、落ちていった。
いくらなんでも丈夫なフェンスが簡単に外れることはない。私が万全の状態ならいざしらず今は手負いの身だ。
「ああ……そうか……」
思い出した――
この場所は去年の発砲事件があった場所。ゲイルが無理やりフェンスを外した場所だ。修理もされずそのままになっていたようだ。
「なに……やってんのよ――」
学園側の杜撰な管理体制に悪態つきながら、私は意識を失いかける。
屋上の扉が開く音が聞こえたような気がした。
誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「犬塚さん!!」
その声は猪口さんだ。
薄っすらと目を開けると、やっぱり猪口さんだった。
「どうしたの!? 何があったの!?」
こういうときは普通救急車を呼ぶんだよ……
普段の彼女ならすぐにその考えに至れたはずだ。つまりそれだけ動揺しているってことだ。
「おと……う、と……」
やっとの思い出口にできたのはそれだけで……私は完全に意識を失った――
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