第8話 光と影 中編
「却っ下!」
仕事の関係で上納市と言う場所に移り住むことになった際に、義父は何を血迷ったのか私を学校に入れると言いだしたのだ。
私はそれを全力で否定した。
しかし、世間体というのがあるからと義父は頑なに譲らなかった。
私の外見は15歳の時で止まっている。童顔なせいで見ようによってはもっと幼く見える。そんな幼く見える少女が学校にもいかずフラフラと近所をほっつき歩いていたら怪しまれるのだと……
引っ越してきた先が高級住宅街にある一軒家なもんだから尚の事世間体というものが大事になってくる。
特に田舎では、円滑に事を進めるにはいかに周りに溶け込むかが重要なのだそうだ。
――だったら弟の素行はどうなるって話だ。
逆立てた茶色の髪に色付きのメガネ。見た目は完全に不良のそれで、とてもじゃないが世間体は最悪だろう。
色付きのメガネを掛けているのはアセンブルの影響で目に異常があるからだとしても、それ以外の部分がデタラメすぎだ。
――昔はこんな子じゃなかったのに……
結局私は押し切られる形で万葉学園という学校に入学することになった。
だけど、私自身学校生活を楽しむつもりは毛頭ないので。学校にいるときはもうひとりの私に任せることにした。
――――
私と真理絵の関係は少々複雑だ。
まず、真理絵が表に出ているときに体験したことは彼女が記憶している限り私にもその記憶が共有される。しかし逆はそうならない。私が表に出ているときに体験した出来事は真理絵と共有されないのだ。
人格の切り替え――私が勝手にそう呼んでいる――は私の意思で行えるが真理絵にはそれができない。だから私が主人格として行動しているときに急に真理絵が出てくることはない。あくまで真理絵は副人格というわけだ。
だから義父に任される仕事もやりやすかった。勝手に真理絵が表に出てくるようでは命懸けの任務など無理だっただろう。
真理絵はうまく学園に馴染んでいたと思う。少なくとも社交性が皆無の私よりマシだ。
学校になんか通ったことがないのは真理絵も私も同じ。だけど、私が表に出ていた場合はすぐにその違和感が露呈していただろう。
例えば、「前に通っていた学校はどんなところだったの?」なんて質問が飛んできた際。私はきっと適当な嘘をついたと思う。だけど、その嘘がいつばれないとも限らない。もしバレたら、私は愛想の悪い嘘つきな女というレッテルを貼られていただろう。
しかし真理絵は違った。真理絵はその質問に対して「わからない」と答えたのだ。「わからない」なんて答えは普通あり得ない。
だけど、真理絵にはそれを無理矢理にでも納得させてしまうだけの説得力があった。普段の生活のチャランポランさが思わぬところで功を奏したのだ。学校生活を彼女に任せて正解だったと改めて実感した。
入学してからおよそ半年が経った秋のこと。学園内でクラスメイトが死ぬという事件が起きた。自殺ではなく他殺。生徒がまだ多く残る放課後の出来事だった。
その日は、猪口さんが委員会の仕事があるとかで、真理絵はひとりで行動していた。どういう思考回路をしているのか知らないが、彼女はひとりで野良猫探しをしていた。
以前学園内に迷い込んできた猫で、相当に未練があるようだ。あれ以来数ヶ月経っているから探しても見つかるはずはないのに、彼女はその考えに至れていなかった。
――わたしと真理絵は同じ脳を共有しているはずなのに、どうしてこうも性格に違いがあるのだろうか……
ただ、そのせいで私は校舎の外で銃声を耳にすることになった。すぐさま真理絵と入れ替わって私は銃声がした方へと駆け出していた。
別に何があるってわけでもないのだけど体が勝手に反応した。この平和国で、この平和な学園生活の
たどり着いたのは校舎の西にある部活棟の屋上。関係者以外は中にはいることが許されていないが、中に入らなくても今の私の能力なら外から屋上へ上がるのも容易だった。
我ながら自分の能力に感心する。この点だけはアセンブルに感謝してもいいかも知れない。
他人に見られないように細心の注意をはらいながら、飛び跳ねるように迫り出した壁や窓枠の一部を伝ってあっという間に屋上へと到達。
校舎側にだけ緑色のフェンスが張られた特殊な作りの屋上。手がかりを探して外周をたどるとかすかに硝煙の臭いを感じた。
――ビンゴね。
「ここか」
フェンスの一部のネジが不自然に歪んでいた。おそらく何者かが一度フェンスを外しもとに戻したのだ。しかもフェンスの接合部の状態は力技で無理やり引きちぎったようになっていた。どんなことをすればそんなことが可能なのかはわからないが、現にそうなっているのだからそれは疑いようのない事実だった。
フェンスの向こう側に視線を向ける。東に見える校舎の3階窓ガラスが割れていた。距離とガラスの割れ具合から、普通の拳銃ではなく狙撃用のライフルが使われたのだろう。
この国では拳銃自体がそう簡単に入手できるものではない。スナイパーライフルなら尚のこと難しい。フェンスの具合のことも考えればここにいた人間は相当の手練だろう。
「スナイパー……プロ……」
この街でそれらの要素から導き出されるのは……
――レイヴンズ……だろうか?
彼らなら銃を手に入れることは簡単だろう。でもどうしてレイヴンズの人間がここにいたのかが謎だ?
「――って、そんなの後よ」
理由など本人を捕まえて直接聞き出せばいい。
「銃声を聞いてからそんなに時間は経ってないわよね。――まだ追える?」
私のような人間なら屋上から地上へ飛び降りることも可能だろうが、普通の人間には不可能だ。ならその人物は棟内から下に降りていったということになる。
私は部活棟内に急いだ。
考えなければいけないのは、相手が私のように素性を隠して学園に溶け込んでいる人間だった場合だ。そうなるともう私には追うことはできない。
ちょうど部活の時間ということもあって、銃声を聞いた何人かの生徒が部室から顔を覗かせている。
その一人ひとりの臭いを嗅いで硝煙の臭いを確認していくという方法もあるけど、そんなことをしたら頭のおかしい人だと思われてしまう。
――相手がプロなら臭いを残すなんてヘマはやらないだろうからどのみち無理ね。
それ以上余計なことは考えず怪しい人物を探す。
「ねぇ、さっきの人見た?」
「うん。すごくガタイのいい人だったけど誰だったんだろうね」
そんな会話が聞こえてきたのは1階に降りたときのことだった。
「ちょっといいかしら?」
私は自然とその生徒たちに声をかけていた。
「もしかしてその人、アタッシュケースを持っていなかったかしら?」
「え? えーっと、そう言われると持って気がするけど……。ところであなたは……」
「そう。ありがとう」
「――って!? ちょっと!?」
私は彼女たちの呼びかけを無視して部活棟を飛び出した。
犯行に使われたのはスナイパーライフルで間違いない。で、そんなもの堂々と持ちながら歩いているところを誰かにでも見られたらすぐに足がついてしまう。
だから、それを隠すための何かを持っているのは必然だ。そのためのアタッシュケース。
普通に考えれば正門は使わない。だからといっていつまでも敷地内をうろつくはずはない。だから正門以外の場所で一番近い出口を目指す。
ほどなくして……
裏門を出ていこうとする人の後ろ姿があった。スーツ姿の人物はアタッシュケースを手に堂々と歩いている。
後ろからでもその人物が非常に筋肉質であることがわかる。スーツのサイズが合っていないのか、見るからに窮屈そうだ。
私はそのまま男の後をつけた。
…………
男は万葉学園を出てから歩き続けた。それはこっちにとって非常に好都合。
まぁ、今の私に取ってみれば車やバスを追いかけるなんて造作もないことだけど、私がその力を発揮しているところを誰かに見られるのはまずい。
男は常に一定の歩調で繁華街の方へと歩いていく。
夕方の繁華街は帰宅ラッシュの人々でそれなりに賑わっていた。そんな中を闊歩する男の姿はとても目立っていた。行き交う人がスーツ姿の巨漢を見て目を丸くしていた。そして、目立つという意味では私も同じだった。万葉学園の制服を着た人間が夕方の繁華街をうろつく姿が珍しいのだろう。
だが目立つことはさして問題じゃない。前を歩く大男にこちらが尾行していることさえ感づかれなければそれでいい。
繁華街を抜け、徐々に人の気配が少なくなってくる。
段々とそれらしい場所へと向かっっているような気がした。
――このまま奴らのアジトの場所がわかればいいんだけど……
男が角を曲がった。少しだけ時間を置いて、私も同じ方向に道を曲がって――
「え……?」
立ち並ぶ住宅に挟まれた裏通り。身を隠せそうな場所などいくらでもある。
――まさか気づかれていた!?
「一体どこ、に――ッ!」
背後に迫る人の気配を感じ、瞬時に振り返りながら距離を取る。
大男の丸太のような腕が空を掠めた。そこは先程まで私がいた場所だ。
反応が遅れていたらどうなっていたかわかったものではない。
「躱したか。あんた何者だ?」
「それはこっちのセリフよ」
日に焼けた肌の大男はタンクトップにハーフパンツという動きやすいスタイルでサングラスを掛けていた。首に駆けたドッグタグがキラリと光る。
さっきのセリフからこの男がさっきまで私が尾行していた男で間違いない。私が尾行していることに気づいて、アタッシュケースをどこかに隠して動きやすい服装に着替えたってところか。
それも一瞬で――
「その制服はさっき俺がいた学園のもののようだが、今の身のこなしからすると素人じゃないな」
「そうね。――で、私の質問には答えてくれないのかしら?」
「素性をバラせない理由があるんでね」
「そう……」
――だったら無理やり聞き出すまでよ!
地を蹴って、瞬間的に距離を詰める。筋肉の鎧をまとった人間ならば狙うのは鍛えることのできない場所。
男なら急所に一撃! それしかない――
生憎と体格差のせいで私からその場所は非常に狙いやすい。
力を込め渾身の一撃を繰り出した。
「ぐえばっ!!」
私の一撃が入る前に、相手の膝が私の胸に刺さった。
カウンターを入れられた――!?
無様にも、男の目の前で地に伏した。
あり得ない。私はアセンブルの影響で身体能力が向上しているんだ。その私の動きを普通の人間が補足できるはずが……
「やはり今の動きは只者じゃないな。だが、読めない攻撃じゃない。俺の最初の一撃を躱した段階であんたが普通じゃないことは理解してた。戦い慣れしている人間は無手でやり合うとき必ず相手の弱点をつこうとする。お前は絶対に俺の急所を狙うと思った」
「わざわざ……解説どうも……」
転がりながら距離をとって、急いで立ち上がる。
「ほほう。俺の攻撃を食らってまだ立ち上がれるのか」
相手も相当の手練。下手をすればアセンブルによって強化を受けた私よりも上だ。
力ずくで口を割らせるのは時間がかかるかも知れない。ならばいっそ質問をぶつけてみる。
「あなたレイヴンズの人間よね?」
「レイヴンズ? 知らんな。――ああ、なるほど、あんたは俺がそうだと勘違いしたわけか」
男は鼻で笑った。
「お前のようなのがいて。レイヴンズとかいうのがいて。……面白いなこの街は」
その言い方だと、この男は私達やレイブンズとは別系統ってことになる。その事実はこちらにとって面白くはない。
「ま、何にせよ俺たちには関係ないがな」
そう言って男は立ち去ろうとする。
その行動に私は無性に腹が立った。
目の前に私がいるのに、まるで「お前など眼中にない」と言わんばかりの行動だ。
「逃さない!」
この男がレイヴンズの人間じゃなかったとしても、私の存在がバレた以上このまま返すわけにはいかない。
急所を狙うのはやめだ。今の私の能力を限界まで引き出せば分厚い筋肉ごと粉砕できる可能性も十分にある。いや、むしろできる。
正攻法で距離を詰め相手の顔面に向かって右の拳を振り切った。
しかし、その一撃はスウェーの要領で軽く躱されてしまう。
「ぅべらっ!?」
またしてもカウンター。強烈な一撃が鳩尾に入った。
――なんで……この男……何、者……?
力なくくずおれそうになる体を必死で踏ん張って左の拳で相手を捉えようとする。しかし、思いのほか力が入らず、いとも簡単に躱されてしまった。
私の攻撃を交わした男のドッグタグが慣性の法則に従ってその場に残り続け、私の左手がそれに引っかかった。
次いで、私の左頬に男の岩のような拳が叩き込まれ、吹き飛んだ私は家の塀に向かって頭から突っ込んだ。
「ぐはっ……」
額から血が伝い脳が揺れる。ぼやける視界の先に近づいてくる男の姿が見えた。
殺られる……!?
そのとき、過去に体験したあの出来事を思い出したていた。
あのときも私は迫りくる男に対して何もできなくて、殺されそうになって……
――まさか……?
「悪いね、お嬢さん」
そう言いながら、男は膝をついて私の手に絡んでいたドッグタグを奪い取る。
腕に引っかかったまま飛ばされたからその勢いで千切れてしまっていたようだ。
膝をついて私を見るその顔はやはり……
「ぅ……ゲ、イル……」
やっとの思いで口にしたその言葉に男の表情が固くなった。
「ほぅ……その名で呼ばれるのは久しいな。だがその名はもう捨てた」
やっぱりそうだった。義父に拾われる前戦場で私のチームをたったひとりで壊滅させた男。後に彼がゲイルという名の凄腕の傭兵だと知った。
あのときの男が今目の前にいる。
「お前がどうして俺の昔の名を知っているのかは知らんが。このあと別の仕事があるんでね」
男はそう言って立ち上がると私の元から離れていった。
あのときと同じ。また見逃された……
私は彼の後ろ姿を見ながら意識を失った。
――――
意識が戻ったときには辺りはすっかりと暗くなっていた。意識を失っている間に体の痛みはほとんど回復していたようだ。
「ほんと……アセンブルってなんなのかしら……」
そういう疑問を抱きつつも、その恩恵に預かっている私。
家に帰ると、義父と弟がかなり心配していた。体は傷だらけで制服もひどく汚れていたものだから、何もないわけがなかった。結局事の顛末を洗いざらい話すことになった。
学園で発砲事件があったこと。その犯人があのゲイルの仕業だったこと。彼と交戦して自分が負けたこと……
私自身アセンブルによって得た力で思い上がっていた点は否めない。
「しっかし、あのゲイルがこの街にいるなんてな。目的は何だったんだ?」
それがわかれば苦労はしない。
わかるのは彼が傭兵だということ。“俺たち”と言っていたことから組織的な犯行であることくらいだ。
翌日、亡くなったのがクラスメイトの男の子だということを知ったわけだけど。これでますます謎は深まるばかり。ゲイルはなぜ彼を殺さなければいけなかったのか……検討もつかない。
――レイブンズとは関係ないとのことだったけど……
そんな事件があったにもかかわらず学園は何事もなかったかのように普段どおりの時間が流れていた。
大人たちが色々と根回しして、普通の生活を送るよう勤めたのは言うまでもない。やがて時が経つに連れ生徒たちの記憶からこの事件についてのことが忘れ去られていった……
私もそのひとりだった。
しかし、翌年の5月、私はこの事件のことを否応なく思い出すこととなる。
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