第7話 光と影 前編
アセンブルの作用によって私の体に様々な異変が起きた。
体の成長が止まり、あと数年しか生きられない体になってしまったこと。延命のために定期的にアセンブルを摂取しなければならなくなったこと。その代わりと言っては何だが、人ならざる身体能力を得たこと。
そして、もっとも大きな異変は――
私の肉体に別の人格が宿ったことだ……
…………
「体の調子はどうだい?」
私に話しかけてきたのは、髪を後ろで縛った胡散臭そうな眼鏡の男性。その男は私の義理の父親ということになっている。アンブルの研究施設から逃げ出した私と弟を保護してくれた人で、今現在名乗っている『犬塚』の姓はこの人のものだ。
「問題ない」
場所は5階建てのビルの屋上。時刻は日付をまたごうかという時間。空は暗雲に覆われていて星の輝きを感じることはない。
しかしながら、地上の建物は綺羅びやかな様相で、夜はこれからと言わんくらいに歓楽街は賑わいを見せていた。
私達のいる場所にもメインストリートに向かってネオンの看板が設置されている。私達が視線を向けているのはその反対側。
表と違って、下の様子が伺えないくらいに深い闇が広がっている。
滅多に人が通ることはないゆえに後ろめたいことをするにはうってつけの場所と言える。
「作戦内容は?」
「大丈夫よ」
義父は『
そして数日前にそのレイヴンズの人間が歓楽街の裏手でクスリの取引を行うという情報を手に入れた。
私達のが追っているレイヴンズのリーダーの名は佐伯撫子。私が研究施設にいた時何度か目にした記憶のある糸目の赤い女。彼女を見つけ出し討つことが私達の最終目的。だがこの佐伯撫子なる人物が中々の曲者で一向に姿を現さない。
だから私達は佐伯撫子の情報を持っていそうな人間を捕まえては情報を聞き出すということをやっている。
彼女に繋がる有力な情報は『アセンブル』に関することだけ。それをたどればいつかは彼女の元にたどり着くはず。地道な作業だが、これしか方法がないのだから文句は言っていられない。
「どうやらお出ましのようだね」
義父が暗視スコープで路地裏を見下ろしながら言う。
「そのようね」
眼下に目を向けても肉眼では人の姿は確認できない。
――だが、確かに感じる人の気配……
これもすべてアセンブルのおかげ。人知を超えた
「行くわ!」
義父の許可を待たずに、その気配を頼りに私はビルから飛び降りた。普通なら怪我では済まされない行為も今の私なら問題なくそれができる。
ビルを駆け下りると、私はそっと男の背後をつけた。
男は私に気がついた様子はなく、ポケットに手を突っ込んだまま余裕な態度で歩く。
男が向かった先には別の男がいた。
私はサッと物陰に身を潜め、2人の会話に耳をそばだてた。
「よう! 毎度どうも」
「ああ。こっちこそいつも悪いね」
2人の会話はまるで世間話でもするかのようで、事情を知らない人間から見れば薬の取引をしているようには思えない。
――それも計算のうちでしょうけどね。
ただし、会話の内容がどんなに陽気であっても、この場所が場所だけに怪しさは拭えない。
「ほんじゃこれ。いつものやつね」
「あいよ」
私は2人がクスリの受け渡しを行う瞬間を狙って影から飛び出した。
まずはクスリを受け取ろうとしていた男に足払いを掛け、倒れた男の心臓めがけて肘落としで意識を奪う。
間髪入れずに、唖然としているもうひとりの男の背後を取って右腕を首に回した。
「うわっ! なん――」
男は突然の出来事に手に持っていた透明な袋を地面に落とした。
反対の手で相手の左腕を取って背側に回し抵抗を防ぐ。力を入れすぎると話が聞けなくなるので締め上げることはしない。
「質問に答えて」
男の頭がカクカクとうなずく。
「あなた、レイヴンズの人間よね?」
「――さ、さあ……」
明らかな動揺が見えた。背中側に回した腕をほんの少し締め上げる。
「とぼけても無駄よ。話さないなら、折る!」
締め上げている力をゆっくりと強めていくと、男はこちらの本気度を理解したようだった。
「わ! わかった! タンマタンマ。そうだよ! 俺はレイヴンズだよ!」
締め上げた腕を少しだけ緩める。
「なら聞くわ。佐伯撫子はどこにいる?」
「佐伯……なんだって? そんな奴知らねぇよ」
今度は動揺している様子は伺えない。
――つまり本当に知らない。
「じゃあ、今あなたが持っているクスリはどこで入手したの?」
「にゅ、入手経路は知らねぇ。ただそいつに渡してこいって頼まれただけだけだ」
男は倒れている男に向かって顎をしゃくった。
「誰に?」
「名前はわからん。けど、女みてぇな男だったよ」
女みたいな男だけではどこの誰かはわからない。そもそもそれはこの男の主観であってその人物が誰から見ても女みたいな男に見えるとは限らない。
「そう……」
その後いくつか質問を試みたが、返ってくる言葉は役に立たないものばかりだった。どうやらこの男は使いっぱしりで、大した情報を持っていないようだった。
「もう話すことは全部話したんだ。いい加減放してくれないか?」
「そうね」 ――と言ってこのまま逃がすわけがない。
「残念だけど、警察行きね」
「はぁ!? う……」
首に回した腕を締め上げるとすぐに男は意識を失った。
「いやぁー、遅れちゃってごめんねー」
タイミングよくビルから降りてきた義父が緊張感の欠片もない声で言った。
「この男どうするの?」
「ん。それはこっちに任せてもらえばいいよ。――にしても、情報は全然だったね」
私は無線マイクを身に着けていたので、男とのやり取りは義父も届いていた。
「今回もほとんど空振りだったね」
「ほとんど? 全然の間違いでしょ?」
「いいや、それは違うよ。このまま僕らがレイヴンズの人間をひとりずつ潰していけばいずれトップが出て来ざるを得なくなると思わないかい?」
「すぐにでも適当な人間を補充するだけでしょうからイタチごっこよ、きっと」
「ノンノン。レイヴンズで働くことがリスクしかないとわからせてやれば、組織に入ろうなんて思う人間はいなくなるだろうし、そうなる前に佐伯撫子にたどり着ければそれでいいわけだしね」
「そうね……」
まぁ、それまでにどれだけ時間を掛けるつもりだって話だ。その頃には私はもう生きていないかもしれないんだから。
取り敢えず、私は地面に落ちていた袋を拾って、中身を確認した。
透明のビニール袋に入っていたのは結晶を顆粒状に砕いたものだった。
「これ……アセンブルじゃないわね」
「ほんとうかい?」
私にはアセンブルを嗅ぎ分ける能力――これもアセンブルによる影響だ――が備わっている。その私が言うんだから間違いない。
佐伯撫子を追うことも大事なことだが、私にとってはアセンブルを手に入れることも大事だった。なにせそれを摂取することで延命しているのだから。
ただ、こちらにそれを作る技術はない。だからいつも、レイヴンズがクスリの取引をしているところを狙って、横取りのようなことをやっている。
「はぁ……。まあいいわ」
ストックがないわけではない。以前、“真理絵”が無茶な暴飲を犯したことがあったけど、それでも当面は大丈夫。
それに、アセンブルがなくなったらなくなったで、その時は覚悟を決めるだけだ。
「でも、そうね……」
「うん? なにか言ったかい?」
「なんでもないわ」
今は昔に比べて生きることを意識するようになったのは間違いない。
それはきっと――間違いなく“彼女”のせいだ……
……………………
…………
戦場では常に死と隣り合わせだった。
昨日まで楽しく会話していた人間が翌日にはいなくなるなんてこともしばしば。
別れに対して特別な感情を抱くことはなかった。物心つく頃にはそれが当たり前の世界にいたから。
この世にはどうして空気が存在するのかなんて誰も疑問に感じないように、私にとってはそれが極々あたり前のことだったから。
それは、父が凶弾に倒れたときも同じだった。
そのとき私は父の直ぐ側にいた。父は後ろで指揮を取るような性格ではなく、常に仲間とともに前線で奮闘した。それが裏目に出た。
私達の前に現れたのはたったひとりの男だった。父と私を含めた7人で組んだ編隊はその男に壊滅させられた。
相手がひとりだと私達が舐めて掛かったこともあるが、それ以上に男の強さが常軌を逸していた。
重火器で武装している私達に対して相手の男はその腕ひとつで応戦する。目の前で次々と殺されていく仲間たち。男は一切の躊躇いはなく確実に頭を潰していった。
あり得ないことが起きていた。
交戦からおよそ10分。気づけば私はひとりになっていた。
男が私に狙いを定める。その鋭い眼光は女子どもでも容赦はしないと語っていた。私は銃を構える。しかし巨体を物ともしない俊敏さで距離を詰められ銃の射線をズラされる。撃ち出された弾は明後日の方向へと飛んでいった。
殺される――
そう思った瞬間どこからか『待った』の声がかかった。
今まで隠れていたのか別の男が瓦礫の影から姿を現した。
よく肥えた男。この国で太れるほど贅沢な暮らしができる人間は限られている。王族かそれに親しい人間であることはすぐに理解した。
「その娘の処遇は僕に決めさてよ」
「おい。これは遊びじゃないんだ、黙って隠れてろ」
「失敬な! 僕が誰だかわかってるだろ!」
「俺の雇い主はお前じゃない」
「僕はパパの息子なんだから雇い主も同義だ!!」
「嫡男ではないと聞いてるが?」
「黙れ!!」
私の存在を無視して2人の男が言い争う。だけど、筋肉男の方は諍いを続けながらも常に私を警戒していた。
「とにかくこの娘は僕が預かる!」
デブ男は私と筋肉男の間に割って入った。脂ぎった下卑た笑みを浮かべ私を見下ろす。幼い私にでもこの男が何を考えているのか理解できてしまった。
「おい! 抵抗できないように押さえつけろ!」
「なんで俺が?」
「いいからやれよ!!」
筋肉男は不詳不詳と言ったふうに私を地面に倒す。筋肉男が頭側から両手を抑え、デブ男が足側から私の体を抑える。一切の抵抗ができなくなった。
デブ男が私の服とも呼べない粗末な羽織に手をかける。
「やめろ! 放せ!」
デブ男は完全無視。視線を上げると筋肉男と目が合った。
ありったけの憎悪を込めて睨みつけると、筋肉男の唇がかすかに動く。
『殺……レ……』
そして筋肉男の視線が自分の太ももあたりに移動して、抑えていたはずの私の右手の力が緩んだ。
――?
男の視線の先、太ももにはホルダに収められたコンバットナイフ。偶然か必然かホルダが開いていてすぐにでも取り出せるようになっていた。自由になった手を伸ばせばすぐ届く距離にある。
もう一度筋肉男の顔を見ると、ゆっくりとしっかりと頷いた。
筋肉男が何を考えているのかはどうでもいい。今はこの状況を打開できるなら利用できるものは何でも利用するまでだ。
「うひょおおおおおおおお!!!」
興奮したデブ男が気持ち悪い叫び声を上げる。私が今何をしようとしているかにまったく気がついてない。
筋肉男の太ももからコンバットナイフを抜き取って、
「うわああああああああ!!!!」
叫びとともに渾身の一撃をデブ男の喉元に突き立てた。
「――ごばっあ、がはああぁぁ!?」
私は筋肉男から完全に開放された。体の上からデブ男を退けて何度も何度も滅多刺しにした。原型を留めないほどの肉塊にしてやった。
…………
気が済んで冷静になった私は、壁に背を預け休んでいた。
「いつまでそんな格好でいるつもりだ?」
そう言いながら筋肉男が私に差し出したのは麻の布だった。
自分の格好を見ると、着ていた服が破れ肌が露わになていた。ところどころデブ男の返り血も浴びていた。
「うっ――」
筋肉男が差し出したそれをあわててそれを奪い取って纏った。それは父の骸から剥ぎ取られたものだった。
「使えそうなのがそれしかなかったんだ。悪く思うな」
「構わない」
どうせ父はもう死んでいる。文句などない。
「あんたのおかげでこっちの手を汚さずに済んだ。礼を言う」
「はぁ?」
私が男に礼を言われる筋合いなどないはずだ。なにせ私は男の雇い主の息子を殺したのだ。しかしよく考えればそう仕向けたのは他でもないこの男だった気もする。
私の疑問が顔に出ていたのか男は頼んでもないのに話し始めた。
「俺が受けた依頼は2つ。ひとつはお前らの部隊の壊滅。これは王からの直接の依頼だ。もうひとつは別の奴からの依頼。ライバルを消してくれと頼まれた。タイミングよくあいつに外へ出る用事があるからと護衛を頼まれてな」
筋肉男は肉の塊に視線を移す。
王にはたくさんの子どもがいて、その子どもたちの間で継承権を掛けた争い事が起きているという話を聞いたことある。おそらくその事を言っているのだ
「この争いに乗じて殺すつもりだったんだがな……」
だからこの男はたったひとりで行動していたのかとひとり納得する。
「……私も殺すの? それとも、そこのデブみたいに私を――」
「そうだな――」筋肉男は私の言葉を遮った。「ガキを殺すってのはあまり気持ちのいいものじゃない」
「うそ……さっき殺そうとした」
「あのときは状況が俺をそうさせたに過ぎない。――それに、お前を殺さなくても依頼は達成できる」
「はぁ?」
男は訳のわからないことを言った。
私を見逃すことは、もうひとつの依頼であるレジスタンスの壊滅を達成できないことになる。明らかな矛盾。
「お前たちはもう終わりだよ。その敗因はリーダーの異常なまでのカリスマ性だな。そういうのはある意味では強い統率力を発揮するが、そいつがいなくなればあっという間にチームは瓦解する。そういうもんだ」
どうやら筋肉男は今殺した6人の中にリーダーがいることを知っていたようだった。
「つーわけで、俺は帰るよ。お前も生き延びたかったら他の奴らに見つかる前にとっとと逃げることを勧めるよ」
男は私に背を向けて去っていった。
――逃げる? あり得ない。
父がいなくなっただけで簡単にチームが崩壊するとは思えない。リーダー不在でも最後まで戦い抜くだけだ。
命拾いした私は野営地へと走った。
私の思いに反してその後は筋肉男の言葉通りの展開となった。父を失った隊は統率力を失い冷静な判断ができなくなった者たちが杜撰な計画を立ててバタバタと死んでいった。
そして、生き残った私達は怪しげな施設へと運ばれた……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます