第15話 照代

 夕暮れ時の商店街、点灯し始めた街明かりの中をレンたちは手を繋いで歩く。


「何だか、早いね。もう着いちゃった」

「だったら、もう一周する?」

「フフッ。何バカな事言ってんのレン君」


 レンはキョトンとした顔をした。彼は冗談でなく本気で言っていたのだ。お店裏の勝手口に来たところで手を離す二人。操は名残惜しそうに口を開く。


「じゃあね、レン君。今日はありがとう」

「うん……」


 その場から離れ難い二人。中々動けないでいると、突然勝手口の引き戸が勢いよく開けられた。


「いつまで油売ってんだい。二人とも中にお入り!」

「え?! 俺も?」

「おばさん! いつから居たの?」


 食堂の叔母は、夕食の準備を勝手口の傍でしていて、レンたちが帰ってきた事にすぐ気づいていたのだ。そして、彼女が急き立てたのも理由があった。


「操、照代てるよちゃんを待たしてんのよ」

「え?! そうなの!」

「テルヨ?」


 2階の座敷に上がると、黒いワンピースを着た大人っぽい女性が座っていた。


「久しぶりね操」


 彼女は、立ち上がり真ん中分けの長い黒髪を靡かせながら声を掛けてきた。少し目を細めたその表情も、そこはかとなく蠱惑的なものがあった。対する操は、子どもっぽく口と目を拡げ喜びを爆発させる。


「照代!」


 操は久々に会った友人に駆け寄り抱きしめた。照代は、幼子を見守るような優し気な視線を操に落とす。照代の方が10センチほど背が高いのだ。

 訳も分からず2階に連れてこられたレンは、隣にいる叔母さんに質問する。


「俺は何で?」

「連れてこられたかって? そりゃ、猫の手も借りたいからよ」


 後は若い人らに任せるわと言い残し、叔母さんは階段を降りていった。レンにとって謎は深まるばかりだ。所在ないまま突っ立っていると、ようやく操が気が付いた。


「あ! ゴメン、レン君! こっちきて座って。照代も」


 座敷机を囲む三人。照代に対面する形で二人は並んで座った。レンは操の横にピッタリと寄り添うように座ったのだが、操は顔赤らめて僅かに距離を取った。


「紹介するね。こっちはレン君。レン君、あちらは照代って言って中学の同級生で親友」

「初めまして、橘照代です」

「ども……」


 お互い短すぎる自己紹介が終わった後、照代が姿勢を崩して頬杖をつきながら二人を見つめた。


「叔母さんには聞いてたけど、あの操がねぇ」

「何よ! 今日は冷やかしに来たんじゃないんでしょ」

「そうだったわ。秋分の日に高校の仲間内でダンスパーティーを開くんだけど、オードブルを頼みに来たのよ。それで当日、会場の準備を二人に手伝ってもらえないかと思ってね。操だけのつもりが、叔母さんがあなたも連れて行きなさいって。迷惑じゃないかしら?」

「そういうことか!」


 レンは、ようやく連れてこられた事情が判ったことの嬉しさで声が大きくなった。対する操は子供っぽく頬を膨らませた後、口を開く。


「もう! 叔母さんったら、勝手に話を進めてたのね。久々にみんなに会いたいし、私は喜んで手伝わせて貰うけど……、レン君はいい迷惑よね?」

「俺は、操と一緒に居られるなら何だって付いていく」

「やだ……、照代の前で……」


 言葉とは裏腹に、顔を赤くしながらもレンを見つめ返す操。照代は、やれやれといった表情でため息をつきつつも、胸の内では幸せそうな二人を心から祝福していた。


 その後、具体的な内容を詰め、照代は帰ることになった。勝手口まで降りてきて、靴を履いた照代に対し、操は名残惜しそうに声を掛ける。


「夕飯食べて行けば良いのに」

「そうしたいところだけど、日曜くらいは家族で食事しないとって父母が五月蠅いの。それじゃ、当日はお願いね」

「うん、またね!」


 照代を見送ったと、二人は叔父叔母と一緒に二階の座敷で夕食の卓を囲んだ。


「照代ちゃん、夏以来だったけど、相変わらず女優さんみたいだったわね。とても、操と同じ16に見えないわ」

「何言ってんの叔母さん。照代は三月生まれだから、まだ15よ」

「そういう事言ってんじゃないよ!」

「分かってるって! でも、美人は美人なりに苦労も多いみたいよ。道を歩いてるだけで、大人から声を掛けられるって……」


 女二人がかしましくお喋りするのと対照的に、叔父は早々と食事を済ませ、煙草をくわえて新聞を拡ていた。一方、レンは操と照代の関係について浮かんだある疑問に思いを巡らせていた。お喋りが一段落し、叔母が席を外した所で操はレンに声を掛ける。


「どうしたの変な顔して?」

「操と照代は友達なのに、何でしばらく会ってなかったの? 友達って毎日会うもんじゃないの?」

「ああ、それは彼女は高校で忙しいから……」


 操はあまり話したくないといった感じに口を濁すが、レンは構わず質問を続ける。


「高校?」

「ほら、私は高校行ってないから。中学までは同じ私立だったんだけどさ。父が亡くなって、お金が無くなっちゃったんだ。お母さんはツテを頼って出稼ぎ行っちゃったし、迷惑かけるなら親戚のおじさんところで働こうと思って。それで、ここにいるの」

「操は高校行きたかったの?」

「そんなことないよ。別に勉強して何かになりたかったわけじゃないし。部活も補欠だったし。友だちだってこうやってたまに会いに来てくれるしさ」


 操は段々と涙目になり、ついには頬を伝って一筋こぼれ落ちた。


「あれ? 私どうしちゃったんだ?!」

「どうしたの操?」

「ぐすっ、ごめん……。変なとこ見せちゃって」操は涙を手で拭うと、「ははは、私もまだまだだなぁ~」とバツの悪そうな笑顔を見せた。


 レンは立ち上がり操の傍まで向かい、彼女の隣に座ると抱き寄せて彼女の顔を自分の胸の中に埋めた。


「誰も居なくても、俺、居るから」

「え? え?」


 操は恥ずかしさより、いきなりどうしたんだろうという混乱が先に頭に浮かんでいた。そんな彼女に構わずレンは言葉を続ける。


「泣きたいときに胸を貸すのが男だって、昔教わったんだ。だから、泣きたくなったら俺がいつだって居るから」

「うん」


 操はレンの胸の内で、静かに涙を流した。しかし、レンの頭を後ろからはたく手が、


「100年早えぞ! ボウズ!」と叔父が怒鳴った。

「おじさん!」操が叫んだ。

「操も、秀子さんから預かってる嫁入り前の大事な身なんだ。少しは控えろ」


 騒ぎを聞きつけて、叔母が座敷に戻ってきた。


「いったいどうしたんだい?」

「最近の若い奴は、礼儀ってものが分かってねぇ。人前で乳繰り合うなんざ、みっともないったらありゃしねぇ」

「はっはっは、無口なあんたがそんな事言うようじゃ、世も末だねえ。でも、見た目はアレだけど、レンは今どき珍しい、筋の通った男の子だよ」


 叔母はそう言うと、レンの頭に手を置いて子犬を相手するようにクシャクシャに掻きまわした。叔父はケッと吐き捨てるように呟くと、下の階に降りていった。

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