第16話 第二の襲撃依頼

 レンは食堂を後にして、宿までの道をとぼとぼと帰っていく。ドヤ街に入ると、人通りも途絶え街灯すら無い星明りの下、野良犬の遠吠えだけが寂しく響いた。

 宿の前まで来ると、見慣れたオート三輪が待ち構えていた。


「よう! デートはどうだった?」

「勝利?」

「ちょっと、付き合ってもらいたい所があんだけどさ……」

「眠いんだけど」

「そこをなんとか、俺の顔を立てると思ってさ!」


 両手を合わせて拝んで来た勝利。レンは仕方なく助手席に乗り込むのだった。

 二人を乗せて走り出したオート三輪は橋を渡り伊勢佐木町へ。既に明かりの落ちた繁華街から一本裏通りに入ると、そこには眠ることを忘れた三階建てのビルが一棟。入り口に屯し、漏れ伝えるジャズに身を任せながらビールをあおる制服姿のままの米兵や彼らを取り巻く淫らな服装をした夜の女たち。勝利に引っ張られるようにレンは退廃的な空気漂うそのキャバレーに入っていった。

 舞台上ではバンドによるジャズ演奏が高らかに鳴り響き、踊り狂う男女は、多国籍だ。そんな喧騒を抜けてテラスの2階席に上っていくと、舎弟が取り囲む中スッポンの明とヴァイス博士がソファの中央にドカッと腰を落としていた。


「まぁ、座れや」


 レンを見るなり、明が言った。

 

「帰る」

「ちょちょ待ってくれよレン!」慌てて引き留める勝利。「俺の顔を立てると思ってさ! デートのために色々してやっただろ?」

「分かった……」


 レンは渋々といった感じでテーブルを挟んで明の対面にあるスツールに腰を下ろし相手の顔も見ずに言葉を吐く。


「俺は眠いんだ。すぐ帰るから」

「まぁ、そう機嫌悪くすんなやレン。酒でも飲んでくつろげ! あのな、お前さんにまた一仕事やって欲しいんだわ」

「断る」

「報酬はこの前の何と3倍じゃぞ!」


 既にかなり出来上がってるヴァイス博士も加勢するも、レンの態度に変化はない。立ち上がった彼は博士をキッと睨みつけ、吐き捨てるように叫ぶ。


「断る!」

「何故じゃ?! 金は必要性は身に染みたんじゃないのか! このタワケめが!!」


 博士の方もテーブルに上ってレンに掴みかかった。対するレンも博士の腕を捻じり上げてその手を離させた。テーブルに尻もちを着いた博士を軽蔑した目で見下ろしながらレンは言葉を続ける。

 

「ドヤに住んでりゃそんなに金は掛からない。今の蓄えで1年は暮らしていける」

「そんな貧乏暮らしをして何になる? 将来はどうするのじゃ? 金が尽きたら物乞いでもするつもりか! まともな仕事に付けないお前が、この先どうやって生計を立てていけるというんじゃ? 物乞いにでもなるつもりか!」

「そんなのオーパに関係ないだろ!!」


 怒りに任せてレンはテーブルごと横にひっくり返した。付近では悲鳴が上がるが喧嘩やいさかいが日常茶飯事なここ大船屋では良くある事だ。少し離れれば、どこ吹く風で気にも留めていない。しかし、隣にいた米兵たちは黙っていなかった。本式のセーラー服が飛び散った酒でずぶ濡れになっていたのだ。

 その場を立ち去ろうとして背を向けたレンの肩に手をかけて振り返らせる米兵。


「ガッデム! ワラファカドゥーインナウ!!」

「何言ってんか分かんねぇよ!」


 怒り冷めやらぬレン。不運な米兵は、ベルトを掴まれて放り投げられた。しかし、相手も血気盛んな海兵隊。見方がやられたままなのを見過ごすことなどできない。腰に差した拳銃を抜くと、天井に向けて威嚇射撃をおこなった。流石に他の客たちも慌てて外に逃げ出し始め、店の中は大混乱に陥った。

 その場に居た龍神会の連中も、ヤンキーに舐められちゃヤクザが廃る! と、ソファーやテーブルをバリケードにして、両者の間で撃ち合いが始まった。


「おい! レン!! お前の所為だぞ!! 何とかしろよ!!!」


 床に突っ伏して、レンに文句を垂れる勝利。流石のレンもバリケードの陰に身を隠していた。


「まったく、しょうがないなぁ」


 周りが過剰に騒々しくなったことで逆に落ち着きを取り戻したレン。周囲を見回して、打開策を探る。


「よし……」


 天井を見つめてそう呟くと、レンはおもむろに左手のグローブを脱ぎ、そのまま手を真っすぐ上に掲げ、飛び上がった。たどり着いた先は、天井にぶら下がる大きなシャンデリア。反動をつけて上部に飛びついた彼は、左手を扁平に鋭く変形させると、揺れるシャンデリアの付け根を切断した。床に激突する前に飛び上がったレン。彼の背後では、シャンデリアに潰されて伸びた米兵たちの無様な姿が晒されていた。


「帰るぞ勝利」

「待ってくれレン!」



 次の土曜日……。

 大船屋での騒動の埋め合わせという訳でもないが、レンは勝利に付き合わされて馬車道を訪れていた。勝利のお目当ては、ショッピングというよりも道行くオシャレな女子たち。


「お! あの超美人。セーラー服のくせに妙に大人びてんなぁ」

「照代じゃん」

「あら? レン君じゃないの」

 

 レンに名を呼ばれ、セーラー服を着た照代が振り返った。彼女は友達と二人連れのようだ。すかさず勝利が肘でレンをつつく。


「おいおい。お前の彼女って、聖アナスタシア女子のお嬢様かよ?」

「違う、あれは友だち」

「おまえ、見た目と違ってすげぇスケコマシじゃんか!」


 レンが操のと言う前に、勘違いした勝利が背中を叩いてきた。その間に彼女たちの方から近づいてきた。


「ごきげんようレン君。馬車道にはよく来るの?」

「そうでもない」

「私たちは土曜の半ドンは、いつもこの辺りウロウロしてんの。あ、紹介するわ。こちらは和子」

「は、初めまして、和子です。あなたが噂のレン君ですか。お、お目にかかれて光栄ですわ」


 和子は恥ずかしそうに顔を赤らめて挨拶をしてきた。長髪を靡かせる照代とは対照的に、和子は小柄で三つ編みの古風な印象がした。


「ところで、今日は何かお目当てが有って来たのかしら?」

「それは……」


 勝利のナンパに付き合わされてと、レンが答える前に、年頃の女の子たちとおしゃべりしたい勝利が先回りして答える。


「ええそうなんすよ! このレンの野郎が、オシャレな僕に服を選んでほしいってね。カツトシくん! どうかお見立てしてくれないか? っていうもんでね! あ! カツトシってのは僕の名前っす!!」

「ふーん」


 女子に素気無く対応され勝利は心臓にヒビが入る音がしたような気がした。もちろん、そんな彼の事を構うものはここに居ない。若干、彼女らにタジタジになりながらも、勝利は挽回しようと言葉を続ける。


「立ち話もなんですし、何処か入らない? おごるから」

「え!? 帰るんじゃないの勝利?」

「ちょい、お待ちを!」


 勝利はレンを脇に連れて行き、小声で話しかける。


「お前な、気を利かせて話し合わせろよ。聖アナの女と話せる機会なんて滅多にあるもんじゃねぇぞ!」

「そうなんだ……」


 結局、甘いものを出すパーラーに入ることで女子たちも納得し、店に入った。女子たちはおごりということで、それぞれデカいアイスクリームパフェを頼んでいた。甘味を肴に話が弾む中、勝利が自分を大きく見せようと将来の夢を語り始める。


「俺っちは、自分の自動車販売店持つのが夢なんだよ! だから、高校行かないで整備工場入ったんだ」勝利が言った。

「じゃあ、将来は社長さんってことですか」


 奢ってもらった手前もあり、和子が一応は興味があるようなふりをして言った。


「そういう事だな。そんために、昨日みたいな危ない橋を渡って金を稼いでるんだ!」

「危ない橋?」照代が言った。「具体的にはどういうことかしら?」

「それは言えねぇぜ! 秘密の裏稼業って奴よ」

「どうせ、チンピラの下請けでコソコソ違法なモノ売ったりしてんでしょ」

「ちげえよ! レンと一緒にワルモノを懲らしめ。フグっ!!」


 レンの裏拳がみぞおちに入り、黙らせられる勝利。レンは何事も無かったようにクリームソーダを啜る。


「ねぇ? レン君の夢は何?」和子が聞いて来た。

「夢?」

「将来のこと考えたことない?」

「うーん」


 レンは目を瞑って考え込んだ。頭に思い浮かんだのは、操の笑顔のみ。

「何も思い浮かばない?」


「いや」レンは瞼を開き、和子を見据えた。「操が笑ってくれること」

「キャー!!」


 和子はレンのノロケと理解して黄色い奇声を上げた。しかし、一人冷静な照代が口を挟む。


「でも、そのためには何かお金を稼ぐ手段が必要じゃないかしら? あなた今、風太郎(今でいうプー太郎)なんでしょ?」

「金なら有るよ」


 レンは、ポケットから買ったばかりの高級財布を取り出した。


「あら、ずいぶん豪勢だこと」


 鼻で笑う照代の前に、もう一方のポケットから生の札束を取り出した。それまでにこやかだった、女子たちの表情が波が引くように堅いものに変わった。空気を察した勝利が冗談めかして弁明する。


「こいつったら、貯金しないで現金全部持ち歩いてんの! バカだよねぇ!!」

「そ、そうなんだ。それにしても初めて見たわ。そんな大金」顔が引き攣り気味の和子。「そろそろ私たちもおいとましなくちゃ! ねぇ、照代?」

「そう」 照代はそっけなく返事すると、一番に立ち上がった。「では、ごきげんよう」


 照代の後を追うように、和子も店を後にした。フルーツパーラーに取り残された男ふたり。レンは気にする様子もなく口を開く。


「俺たちも帰ろうか?」

「俺、しーらね」


 勝利は、独り言のように呟くのだった。

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