第9話 背に腹は代えられない

 特に自分の持ち物が無かったレンは、近所の木賃宿を探し歩くことにした。何となく、元の所と違う場所を探そうと思い、山側へ足を向ける。すると、すぐに一泊100円の看板に出くわしたのだ。迷うことなく看板の宿に決めたレン、部屋に入ってみると、そこは煎餅蒲団のみの3畳間。もちろん、風呂もトイレもついていない。しかし、レンは初めて自分の城を持ち、自らの力だけで人生を切り開いて行くんだという思いにワクワクしていた。

 翌朝、朝食も取らずに日雇い仕事を求めて駅前へ。職を求める人でごった返す中、レンは立ったまま声が掛かるのを待った。しかし今日は、この前のように向うから声を掛けて来る手配師が居なかった。仕方が無いので、レンは勇気を出して声を掛けてみた。


「仕事ありませんか?」

「ゴメンよ! いっぱいだあ!」


 無下に断られ、ちょっと落ち込むが、そんな弱気じゃダメだと勇気を出して次を当たる。


「仕事ありませんか?」

「ねぇよ! あっち行け!」

「仕事あり……」

「しっし!」

「あの、仕事……」

「もう満員だよ!」

「え? でも、まだトラック空っぽ」


 手配師の後ろに控えるトラックには、まだ誰も乗っていなかったのだ。


「うっせ! 木偶の棒は要らねぇんだよ!」


 レンはなんだかおかしいと思ったが、自分が知らないだけでこういう世界なんだと間違った認識をした。結局、仕事を得ることが出来ず。最後のトラックも走り去った。呆然と立ち尽くしていると、声を掛けて来るものが現れた。


「おいボウズ! どうした?」


 声のした方を向くと、歯抜けの中高年男性。


「仕事がもらえなかった」

「おおそうか! 日によって仕事の量はまちまちだからなぁ。少ない日には奪い合いよ」

「そうなんだ?」

「まぁ、俺っちなんかは選り好みすっから、今日は良い仕事なかったんで働くの止めにしたがな」

「良い仕事?」

「若いと日当だけに目が行きがちだろ? だけどな、高けりゃそれだけキツイ仕事だ。金に目がくらんで体壊しちゃ元も子もねぇからよ。どうだい、暇ならこれから飲みいくかい?」

「俺、酒飲まないから」

「そっか、じゃあ頑張れよ!」


 日中何もすることが無くなったレンは、その辺をブラブラした後、お昼を取りにいつもの食堂へ向かった。


「あら? お昼に来るなんて珍しいわね」おばさんが言った。

「日雇い貰えなかったんだ」

「へぇ、建設ラッシュで猫の手も借りたいって話だけど、現実は厳しいねぇ」

「あれ? 操は……」

「あの子は出前に行ってるよ。そのうち帰って来るけど、働いてない姿見せたらあの子心配すんじゃない?」

「ああ……」

「ま、落ち込んでないで食べて元気だしな! 何にする?」


 その後、唐揚げ定食を食べたレン。宿に帰って時間を潰したあとまた夜遅くに店へやって来た。


「あ! レン君!」


 操がヒマワリのような明るい笑顔で駆け寄ってきた。それを見たレンの顔も自然とほころぶ。


「やあ」

「お仕事大変だった?」

「え?!」

「あんまり、仕事の事ばっか言うんじゃないよ操!」すかさずおばさんが助け舟を出した。

「そっか! 疲れてるもんね。ささ、座って! 何にする?」

「じゃあ、唐揚げ定食」


 何も知らない操の純粋な眼差しがこんなにも心を痛めるものだとレンは初めて知った。明日こそはちゃんと仕事を得ようと、心に強く誓うレン。しかし……。


「今日も仕事が無い!!」

「飲み行くか! ボウズ?」


 まったく昨日と同じ展開のあと、まったく同じ歯抜けのおっさんに声を掛けられるレンであった。


 今日も仕事にありつけなかったレン。夜になるまで宿に引きこもり続けた。しかし、さすがにお腹が空いて来たので、重い足取りで食堂を目指すことにした。


「レン君、いらっしゃい!」

「やあ」

「おう! こっち座れや!」


 食堂に入るなり、本庄刑事が声を掛けて来た。断る理由も無いのでレンは本庄の向かいに座った。


「かけうどん一つ」

「どうしたの? 調子でも悪い?」操は心配そうにレンの顔を覗き込んできた。

「そ、そ、そんなことないよ! お昼一杯食べたから、お腹減ってないんだよ!」


 必死の言い訳にもかかわらず無情にもレンのお腹が鳴り響いた。


「お腹鳴ったけど?」

「はは、なんでかな……」

「腹一杯食っても、時間経ちゃ腹鳴るぜ」本庄が口を挟んだ。

「そうなんですか? 本庄さん」

「ああ、胃が空っぽになりゃ鳴るだろ?」

「確かにそっか。まぁいいや、おじさん! かけうどん一丁!」

「あいよ」


 厨房からおじさんの威勢の良い声が聞こえて来きた。操は注文を取りに他のテーブルへ行ってしまった。


「どうだい、こっちの方は?」


 本庄が小指を立ててニヤついて来た。


「こっち?」


 小首を傾げるレン。


「ああ! 分かんねぇか。スケだよスケ! 女! 操ちゃんとはどうなってんだよ?」

「どうなってるって?」

「二人の仲だよ! 少しは前に進んだか?」

「食堂で毎日話せるようになった」

「はぁ?! なんだそりゃ。こりゃいけないなぁレン君」


 本庄は懐から出した封筒から2枚の紙きれを取り、テーブルに置いた。


「ほれ、これやるよ」

「映画チケット?」

「共通券だからどこでも使える。日曜にザキ(伊勢佐木町)にでも繰り出して来いよ」

「あ、ありがとう……」


 レンがチケットを取ろうと手を伸ばすが、いつの間にか横から入ってきたおばさんがヒョイとチケットを取り上げた。


「お、本庄さん良いもの持ってんじゃない。商店街からの袖の下かい?」

「そんなわけあるかい! 映画関係者からのだよ。この街は撮影で融通することも多いからね」

「もう1枚」

「なんだって?」

「もう一枚! 二人で行かせるのはまだ早いよ。この子だってまだ定職に就いてないんだし、まだまだ半人前じゃないかい」

「ずいぶん厳しいなぁ。箱入り娘ってわけでもないじゃんか」

「何言ってんだい! 危なっかしくてまだまだ目が離せないよ。おーい、操! こっちきな」

「なーにおばさん?」操は返事をすると、ちょうど出来上がったかけうどんを持ってやって来た。「はい、かけうどんお待ち!」

「日曜にレン君と三人で映画観に行くよ。本庄さんかチケットくれたんだよ」

「わー! ほんと? ありがとう本庄さん」操は手を合わせて拝むように感謝した。「それで、何見に行くの?」

「西部劇とか?」レンが控えめに呟いた。

「ラブロマンス?」と操。

「ほら、最近話題の出演者が豪華なホームドラマ!」

 おばさんの選んだ映画は、若い二人にはまだまだ早すぎる作品だったが、結婚をテーマにした作品を作り続けて来た監督のこれまた結婚についての映画を選んだのは、将来について現実的に考えさせようという親心からだったのかもしれない。


「さてと、帰るとするか」本庄は立ち上がり際にレンに耳打ちする。「ちゃんとオシャレしていけよ。ジャケットくらいもってんだろうな」

「それは……」口ごもるレン。

「ま、頑張れよ若者!!」


 本庄はそう言い残すと、夜の街へ繰り出していった。


「ありがとう本庄さん! チケット!」操が手を大きく振って見送った。


 レンは、考えていた。――このまま、仕事が見つからないで日曜を迎えたらどうしよう? オーパの旅館にも帰れないし、デートの時に一文無しなんて……。

 宿に帰った後も、煎餅布団に潜って悩み続けた。翌朝は、久しぶりの雨。これでは、昨日よりもさらに日雇いの仕事は少ないだろう。そう思ったレンは、そのまま蒲団に潜り続け、昼になってようやく決心がついた。


「お、ホントに来たよ! やっぱ、若頭すげえや」

「あの」

「あ! 失礼しやした! どうぞ2階へ!!」


 雨の中、レインコートを着込んで龍神会の組事務所へやってきたレン。来たるべき初デート(のようなもの)が迫り、背に腹は変えられないと自称きれいなヤクザの仕事を受けにやってきたのだ。若衆に連れられて、2階の応接間へ。


「ビフテキでよろしいでしょうか?」案内の若衆が言った。

「え?」

「若頭は外出しておりまして、レンさんがいらしたら待たせている間、お食事を出せと申しつけられてましてね。へえ」

「そ、そう。じゃあ、ビフテキ」

「承知しやした!」


 若衆は階段を駆け下りていった。10分ほどで出されたステーキは添え物なしで無造作に大きなサーロインが皿にデンと鎮座し、パンの入ったバスケットと氷の入ったコップとコーラの瓶が一緒に出てきた。


「では、食べながらお待ちくだせえ」


 若衆が部屋を出ていったのを確認すると、レンはステーキにかぶりついた。血の滴る肉を口に頬張り、瓶のままのコーラで流し込む。


「ぷはぁ」


 レンは、息つく暇もなくステーキを平らげ、パンで皿に残ったソースを拭って完食した。昨日のかけうどんから何も食べていなかったレンは、久しぶりに飢えから開放された気分だった。


「やっと、来てくれたか!」

明が気安くレンの肩を叩いた。

「こいつはデカイし、燃費が悪いからのう。すぐ音を上げると思ったわい」

博士が目を細めレンの顔を覗き込んだ。


「それで」レンは聞いた。「何をすればいい?」

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