第7話 トラウマ

 レンは、酒を買って木賃宿に戻ったものの、ヴァイス博士はすでにちゃぶ台に突っ伏して眠りについていた。


「しょうがないなぁ」


 万年床になっている布団へ博士を運び、横たえる。自身も廊下にある水道でタライに水を汲んできて、身体を拭き、浴衣に着替えて床に就いた。

 その夜レンは、いつも見る夢を見た。


 ――あの日。田舎の梅雨は明けたばかりで、瓦屋根の平屋の縁側から見える庭に日差しが描く夏の影が手を伸ばす――ねぇ、かくれんぼしよう――ダメよ。隠れている間に爆弾が落ちてきたらどうするの?――このまえの、空襲警報なにもなかったじゃん――今度は分からないわ。東京は焼きだされた人がいっぱいだって教えたでしょ――ここは田舎だから平気だってオーパが言ってたもん――ジムったらなんてことを、あら? 坊や何処にいるの?――絶対に見つからない場所を見つけたんだよ――ウウウウウーーー!!! 鳴り響くサイレン――坊や、レン! 早く出てきてなさい!!――どうせ、また空振りだよ――ダメだ! 今すぐ出るんだ!――爆発、閃光、眩しい。聞こえなくなる耳。瓦礫の山。動けない。何かに挟まってる。痛い。痛い。夢なのに? なんで左腕が痛いの? ママは何処?――夏の影が大きくなって声を掛ける――ママは居ないよ。お前の所為でママは死んだんだよ――


「レン! しっかりしろ! 起きるんじゃレン!!」


 博士が肩を揺すったおかげで、レンは目を覚ました。すでに日は昇り、障子戸から漏れ伝わる陽が畳に格子状の影を映し、外からは鳥のさえずりが聴こえてくる。冷や汗でぐっしょり濡れたレンの体はわずかに震えが残っていた。


「オーパ。左腕が痛い」


 上体を起こしたレンは、顔をしかめ、左腕をさすった。顔を近づける博士から酒の匂いが漂ってきた。


「また幻肢痛か。他の事を考えるんじゃレン。何か楽しい事を考えるんじゃ」


 レンは痛みを和らげるため、いつものように何か他の事柄に意識を逸らそうとした。普段なら好きな自動車や蒸気機関車などといった子どもじみた空想に浸るのだが、このときは、自然とあの子のことが浮かんできていた。操の眩しいくらい明るい笑顔、気にかけてくれる優しい心遣い、おおきく開かれた瞳、白い肌にうっすら紅に染まった頬、柔らかそうな唇。自然と心臓が高鳴り顔を上気させる。


「どうした?」


 いつもと違って急にニヤつきだしたレンに、博士はどうとらえて良いのやら混乱していた。そんな博士を尻目に、幻肢痛を克服したレンは、昨夜決意したことを告げようと博士に向き直った。


「オーパ、俺はこの街に残る。まっとうな仕事を見つけて普通に暮らすんだ」

「何をいきなり?! さっきから変じゃぞレン! 昨日おかしなモノでも食べたのか?」


 博士は心配そうにレンの顔を覗き込んだ。レンは視線を反らし吐き捨てるように言葉を続ける。


「こんな生活うんざりなんだ。陰に隠れてコソコソ暮らすなんてもうおしまいにするんだ」

「ハッハッハッハ!」レンの真剣な表情を見て博士は声を上げて笑い転げた。「こりゃ傑作だわい! お前に何が出来るんというんじゃ?」


 博士の反応に戸惑いながらも決意を述べるレン。


「まずは日雇いで稼いで、それから出来ること見つけるよ」

「バケモノだとバレたらどうする? 米軍やCIAが捕まえに来るぞ!」

「今まで逃げ回ってたけど、米軍が追いかけて来たことなんて無いじゃないか! オーパの被害妄想だよ。ロケットが宇宙に行く時代なのに、機械仕掛けの腕なんて、そんなもの国が盗む意味なんて無いよ」 

「おい! 本気で言ってるのか? 我が発明、人類の偉業を! お前は人類を超越する機械化新人類の技術を意味が無いというのか!!」


 博士は自分の発明を否定され、語気を荒げた。そんな博士を憐れむような視線で見つめるレン。


「だって、国が助けてくれないじゃないか。オーパが国に援助してくれってずっと手紙を出してるの知ってるんだよ」

「それは、通産省と科学技術省の縄張り問題とか色々あって、アメリカの横やりが」

「それは、オーパの妄想でしょ? 現実は盗みくらいにしか役に立たないじゃん。だったら普通の人みたいに普通の仕事をした方が絶対良いんだ」


 そう言い放つと、レンは部屋の隅に行き服を着替え始めた。博士はレンに抱き着き、止めようとした。


「待て、行かせはせんぞ!」


 しかし、レンは博士を振り払い、左手で首根っこを掴むと、部屋の反対側に軽々と放り投げた。


「じゃあ、仕事を探してくるよ」


 押入れの戸を突き破りうずくまる博士をしり目に、レンは手早く支度し、部屋を飛び出した。


 宿を出て川沿いの道に出ると、ドブ川からはヘドロと上流の工場から流れでた廃水の混じり合う異臭が立ち込め、道端に散乱する生ごみの臭いと一緒にドヤ街を包み込んでいた。昨晩のヒロポン中毒者は何処かに消え、代わりに弁当片手に仕事へ向かう汗臭い労働者の群れが疎らに通りを歩いていた。


 日雇いの募集をしている近くの駅へとレンが歩みを進めていると、程なく追いかけて来た博士が声を張り上げた。


「止まれ!」


 無視して歩いていこうとすると、急に鋼鉄の左腕が後ろに引っ張られた。振り返ると、後方では博士が電柱に箱型の装置を縛り付けて横に立っていた。


「行かせるか!」


 強力な磁力発生装置によって、レンは30メートル程先からじりじりと引っ張られていく。


「止めろオーパ!」

「ホッホッホ、ワシに歯向かうなど百年早いわ!」


 左腕がミシミシと音を立て始める。このままだと、引き寄せられる前に腕がバラバラになるかもしれない。そう思ったレンは、通りの右側に並ぶ空き家の一つに飛び込んだ。板で塞がれた玄関をブチ破り、ボロ屋の壁を支えにしようとするも、粗末な作り壁はすぐ突き抜けてしまった。一畳ほどの間口で並ぶボロ屋の柱や階段をなぎ倒しながら引っ張られるレン。


「フフ、無駄なことを!」


 博士が余裕の笑みを浮かべた。しかし、柱が折れたことで川沿いの家屋が次々と道端に倒壊し、トタン屋根が崩れて、博士と装置の方へ飛んで行った。しかも、その過程でトタンが道沿いの電線に引っ掛かり断線。高圧電流を帯びた電線の切れ端が博士の下へと襲い掛かる。


「しまった!」


 博士が後ろに飛びのいた瞬間、トタンがくっついた磁力発生装置に電線が接触し、爆発した。


「ゲホッゲホッ、まつんじゃレン!」


 爆発による煙に視界を遮られ、咳き込む博士。騒ぎに集まってきた野次馬を通り抜けて、レンは街へと去って行った。


「おい! 火が出てるぞ! 水持ってこい!!」


 爆発した装置による火災は、手早い消化活動のお陰もあり、幸いボヤで済んだ。しかし博士が煙に巻かれている間に、レンの姿はとうに消え去っていた。

 

「何処じゃレン? 何処に行った?!」


 人混みを抜け出して周囲を見渡す博士。そんな彼に立ちはだかるように、一人の男が声を掛けてきた。


「よう! 爺さん。まだ、ハマに居たんだな」


 麻で出来たベージュのスーツに、藁編みのパナマ帽。日に焼けた顔に大きなサングラスを掛けた、いかにもやくざ風のこの男。ここら一帯を縄張りとする龍神会の若頭、通称スッポンのあきら。儲け話には死ぬ気で食らいつく頭脳派と評判の男だ。


「何しに来た? 仕事は上手く行ったじゃろう」

「ああ、それはそれは見事な盗みっぷりだったよ」明がサングラスを下げて覗き込んでくる。「だが、あんたらが仲違いしたとあっちゃ、こちとら心配でね」

「見てたのか?」

「見てたも何も、朝っぱらから、あんな大騒ぎしちゃ町中に知れ渡ってるぜ」

「ふん! 大丈夫じゃよ。レンにはお前さん方の事は言ってない」

「はいそうですかと、引き下がるわけにはいかねぇんだわ」

「どうするつもりじゃ?」

「チョット、そこまで顔かしてくんねぇかな?」

「嫌だと言っても、無理やり連れてくんじゃろうて」

「ま、そういうこったな」


 ヤクザはキザな笑顔を見せた。博士はすぐ近くにある彼等の事務所へと連れていかれた。


 ドヤ街では珍しい四角いコンクリート造の無機質な龍神会の組事務所。しかし、内部は本皮のソファーにトラのはく製の敷物と、如何にもヤクザな装飾で彩られている。ソファーに腰掛ける博士にスッポンの明が酒を持ってくる。


「ほら、飲めよ」


 グラスにブランデーを注ぐと、博士は瓶の方を持ってぐびぐびとラッパ飲みした。


「何してんだ! テメェ!!」

「ぷはぁ。生き返ったわい」


 明は瓶を奪い返した頃には中身が半分まで減っていた。彼はあきれ返って目の前のしょぼくれた酔っ払いに視線を落とした。


「滅茶苦茶だな。そんなんじゃ長生きできねぇぞ爺さん」

「五月蠅い! 何か魂胆が有るんじゃろ? 要らんことをさえずってないで、さっさと言え!」

「ハマに居るなら、仕事を頼もうかと思ったんだけどな。今朝の仲違いの感じじゃ、やっぱ難しいか?」

「心配には及ばんよ。ちょっとした反抗期じゃ。あいつはワシが居なくちゃ何にも出来んて! ちょうどこっちも仕事のやり方を変えようと考えていた所じゃし、報酬によっては考えんでもないぞ!」


 明はギラギラした笑顔で博士を見つめた。この後の話し合いが、レンの将来に大きな影を落とすことになるとは本人が知る故も無いのだった。

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