第6話 蓮實軌外

 市内中心部での自動車暴走事件が起きた翌日、山下公園内において県警による実況見分が行われていた。規制線の張られた現場では、交通課の刑事が呼びつけた捜査一課の本庄巡査部長に概要を説明していた。


「この折れ曲がった電柱の周囲にガラスやら金属片やらが散乱してんだろ。いきなり飛び上がったわけだ」

「スバル360が?」と怪訝な顔をした本庄。

「スバル360がだよ」

「嘘つけ茂ちゃん! ベタ踏みしたって80しかでないの知ってんだぞ。ジャンプ台でもなきゃ無理だべ」

「本当なんだってばよ! うちのパトカー乗ってた連中が何人も証言してんだからさぁ」

「昼間っから酒飲んでたんだろ?」

「おめぇなぁ。交通課が飲酒運転なんかするわけねぇだろ。こちとら捜査一課みたいにヒロポン打ちながら徹夜で頑張るほど働きもんじゃないんでね」

「あー、そんな昔の事を持ち出すんじゃないよ。俺は関係ないけど、古参の先輩には図星なのが何人もいるんだぞ! はい、この話はやめやめ! つうかさ、なんで俺を呼んだのさ? 昨日、造船所でしょっ引いた車屋が関係してるって言ってもよ。奴さんたちは盗まれた車を追いかけただけと言ってんだし。これ以上どうしようってんだ?」


「それは……」


 交通課の刑事が言い淀んでいると、背後から声を掛けられた。


『私が頼んだのです』


 本庄が振り返ると、山高帽に古風な茶色の三つ揃いスーツを着込んだ長身の男が立っていた。白髪交じりの髪に丸目のサングラス、皺が深く刻まれた初老の顔、本庄は何か禍々しい雰囲気を感じ取り顔をしかめた。


「失礼ですが、何処の方ですか?」


 本庄の問いに初老の男は、薄ら笑いを浮かべて無言で名刺を渡してきた。本庄は声を出して読み上げる。


「警視庁公安部主任、蓮實軌外はすみきがい警部補ですか。失礼ですが何処の課か書かれていませんが」

「申し訳ないですがね。今回の件は少々秘密が多いんですよ。まぁ、ある国家的問題事案に関する特別捜査班とでも申しておきましょうか」

「それで?」

「木島自動車の木島辰雄と鈴本博の取り調べをしたいのです。彼らのところから車を盗んだ人物について何か言っていましたか?」

「いえ、気がついたときには走り出していたとしか聞いていませんが」

「おかしいと思いませんでしたかな。たかが軽自動車一台に、アメリカ製高級自動車2台も使って追いかけたなんて」

「確かに、木島自動車の木島辰雄も叩けば埃の出る野郎ですがね。龍神会との繋がりもありますし、本牧の不良外人相手に何やら怪しい商売をしているともっぱら噂されています。しかし、今回は被害者ですからね。何でもないって言われたら、こっちは打つ手なしですよ」

「左様ですか。私としては盗んだ人間を見つけ出す手がかりが欲しいだけで、木島と鈴本のことはどうでもよいのです。で、案内していただけますかな?」


 伊勢佐木警察署の取調室に本庄が蓮實を連れ立って入っていくと、机に足を投げ出してふんぞり返る中年とその脇で小さくなってるチンピラが部屋にいた。本庄に気付いた中年が抗議の声をあげる。


「なぁ、刑事さんよう。なんで弁護士が来ないんだよ! 道に迷って間違えて造船所に出ちまっただけなのに、なんで一晩も牢屋に入れられるんよ? こんなの不当逮捕だろ!」

「はいはい、朝から元気がいいな木島。もうすぐ出してやるから」

「よっしゃ、博行くぞ!」

「まてまて、その前に警視庁の蓮實さんから質問があるから」

「なんだよう。てめぇら公務員は無駄なことばかりに時間使いやがって! 何度聞いたって答えは同じなの分かってんだろ?」

「本庄さん。機密事項が有りますので私一人で取調べを行います」蓮實が言った。

「では、一人ずつ」

「いえ、被疑者二人一緒で構いません。そのほうが何かと都合がいい」

「蓮實さんがそうおっしゃるなら、どうぞ。外で待ってますので、何か有りましたらお声がけください」


 本庄は、ぎこちない作り笑顔で言葉を掛けると、そそくさと部屋を後にした。残された蓮實が立ったまま質問を投げかける。


「奴はどんな容姿だったかね? 背格好は? 身体的特徴で気になったことは?」

「おいおい。また、同じじゃねぇか! いい加減にしろよ!」

「警察に先に見つけられると困るのかね?」

「何言ってんだよ。ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ!」

「そっちの彼はどうなのかね?」


 蓮實は、チンピラ鈴本の方を見た。しかし、鈴本は下を向いて押し黙ったまま喋ろうとしない。


「なるほど、鈴本君は喋ってくれそうだね」

「はぁ? 何言ってんだあんた」と木島。


 蓮實はゆっくりと取調室の中を歩きながら話す。


「戦前の取り調べを知ってるかね。特高では色々な方法が試されてね。初期に行われていたような窒息させたり殴打したりでは効率的とはとても言えない。天井の滑車を使って宙吊りにして頭を床に打ち付けたり、体の一部を切り落としたり。聞き出す前に誤って死んでしまうケースも絶えなかった」

「そんな脅しになんか屁でもないね」

「まぁまぁ、話は最後まで聞きたまえ。そこで、死なない程度のチョットした拷問というものが考案されたのだよ。それが、ふふっ」


 蓮實は上着の内ポケットに右手を突っ込み、取り出したものを机の上にジャラジャラとこぼした。机の上には、長さ10センチほどの釘が十数本散らばっていた。


「何考えてんだお前。頭おかしいんじゃないか?」


 蓮實は、狼狽える木島に近寄って行くと右手で奴の左肩を押え、ズボンのポケットからハンカチを取り出すと、奴の口に詰め込んだ。


「フガー! フガー! フガー!」


 そのまま流れるように、右手を左肩から滑らせて左手首を掴むと、机に押しつけ、間髪入れずに左手で釘を一つまみして木島の左手の甲に突き刺した。手袋に包まれた蓮實の左手の掌に、鉄板でも仕込まれているのだろうか? 押しこまれた釘は下の机の板に深く刺さり、木島の左手は張り付けにされた。 


「フガガガガー!!」


 そして、木島の右手が何もできないうちに同じように釘で机に固定されたのだった。


「ゲゴゲゲゴゲェ」


 嗚咽する木島の顔は青ざめ、目から涙が溢れ出していた。鈴本は部屋の端っこまで後退あとずさって恐怖に顔をゆがめていた。

蓮實は笑顔で木島の顔を覗き込むと、「さぁ、これからが本番だ」と言って、釘を一本左手で摘まむと木島の右手人差し指の爪の下に押しこんだ。


「ギギギー!! グエ」


 白目を剥いて仰け反った木島は僅かにけいれんしていた。


「なんだ! もう、のびたのか。おい、起きなさい」


 ハンカチを詰め込まれた口の隙間から泡を吹き仰け反っていた木島の頭を掴んで持ち上げ平手打ちをする蓮實。しかし、完全に気絶してすぐには意識は回復しないようだった。


「困りましたねぇ。こんな軟弱だとは。そうは思いませんか? 鈴本君」


 蓮實は木島の頭を離すと、ゆっくりと鈴本へ近づいて行った。


「言います! 全部言いますから、勘弁してください! 米兵から銃とかタバコとかを密輸した稼ぎや裏で流したヒロポンの稼ぎがいっぱいになって札束じゃ目立つから、龍神会に知られないように金のネックレスとかに変えてたんです!!」

「そんなことを聞いているんじゃないんですよ」 

「ひぃ!! おねがい助けて! 白髪の若造が!! 黒のレインコートの怪力野郎が金庫の中身を強奪したんです!!」

「やれやれ、やっと理解してくれましたか。で、何か他に気がついたことは?」

「信じられないかもしれませんが。オヤジが銃を撃っても、弾の方がアイツを避けて。ひぃ!! 本当です! 本当なんですよ!!」

 

 その後、鈴本から逃走劇の一部始終を聞きだした蓮實は、木島に刺した釘を抜き取り丁寧に拭いてからポケットにしまった。そして、丁寧に傷口に包帯を巻いてあげると、


「まだ寝ているようだから、おぶって帰りなさい」と、鈴本に命令した。


 蓮實は扉を開けて、本庄を招き入れ、「もう、帰しても結構です」と言った。


「木島はどうしたんですか? 困りますよ! 乱暴な尋問は!」

「苦情を言ってきたら警視庁に回してください。まぁ、そんなことはしないでしょうけど。ねぇ、鈴本君?」

「はい! オヤジ、いえ、木島社長も文句はありません!!」

「それでは、私は捜査に行くのでこれにて」

「街へ行くなら案内しましょうか?」

「結構です。地理には詳しいのでね」


 蓮實は帽子を被り、不気味な薄笑いで頭を僅かに下げると足音を立てずに取調室から出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る