第4話 オメガジジイ

 身長は幸太よりだいぶ高く,大人の男のようで,少し腰が曲がっているようだ。それは,全身に銀色のタイツを着込んでいた。アルミホイルのような銀色は,雨を反射して光っていた。頭は少し薄くなっている白髪をなでつけ,サングラスをつけていた。サングラスだけ妙にかっこよく映る。

 そして,奇妙な音はどこから聞こえてくるのかと思えば,老人の足元に置かれたラジカセがひび割れた音で,音楽を奏でていた。


 幸太は異質を目の当たりにして凝視してしまったが,老人がこちらに気づきそうだったため,思わず頭を引っ込める。


(なんだあれ……? 見覚えがあるような,ないような)


 混乱した頭にさらに追い打ちがかかる。あの老人は,幸太に気づいたのか,こちらに鼻歌まじりに近づいてくるようだった。

 幸太の頭に一つの単語がすぐ浮かぶ,逃げなきゃと。


 鼻歌は近づいてくる。


 幸太は,ふともう一度だけ確認しようと思い,角から顔を出そうとした。一度確認しないとと思う程度,その老人の存在は異質だったのだ。


 角から覗くと,目の前にそれは立っていた。全身に白銀のタイツをまとい,奇妙な音楽とともにラジカセを担いだ老人がだ。


「こいつを落としたのは君かね」


 鍵のようなものを手から見せてくる老人。 


「……!」

 幸太は目の前の異質に声がでない。


 その様子に老人は口元をほころばすと,

「おっと,悪いのぉ。サングラスつけてちゃ怖いんじゃな」

 そう言って,さっとサングラスを外す老人。


(そこじゃない……!)

 思わず心の中でつっこむ幸太。


 サングラスを外した老人の目は優しげで,目尻には深くシワが刻まれ,柔らかい印象を与えた。


 幸太は,やっと彼が優しげな老人であることを認識できた。声が出なかった口から,声が飛び出た。


「そこじゃないよ! あと,その鍵は僕のやつ。ありがとう」


 その瞬間,幸太の頭に衝撃が走った。


「いてっ!?」


 老人がげんこつを幸太の頭に振り下ろしたようだった。


「いかんぞ少年。年長者には敬語じゃ。最近の若者は敬語を使えないくていかんのお」

(なんだこいつは! ヤバいやつじゃないか)


 幸太は危機感を覚えていた。この老人にはかかわらない方がいいのでは。

 しかし,そんな様子気にもかけず老人はとくとくと話し続ける。


「ワシの若い頃はなぁ,言葉遣い一つで怒られ,廊下に立たされたもんじゃ。もう一度同じことをやれば,げんこつじゃな。あのときは教育方針に恨みつらみだったがの,今になってみればあれのおかげで今の儂があるんじゃ。だからなぁ――」


 さーさーと降り続ける雨の中で,老人は話し続ける。老人の周辺だけが,冷たい雨の中熱を持っているようだった。


 幸太は,話し続ける老人の言葉を遮って,声を掛ける。最大限言葉遣いに気をつけてだ。


「じじ――おじいさん! わかったよ――わかりました! 言葉を丁寧に言いますから,鍵をください」

「おっとすまないの,話しすぎたわ。歳をとるといけんのお。はい,少年鍵じゃ」


 鍵を老人から受け取る幸太。そのまま頭を下げる。


「ありがとう,おじいさん」

「なぁに,なんてことはない。困った人を助けるのが儂の宿命なんじゃ」

「困った人……? おじいさんが一番困った人じゃ」


 また,幸太の頭に衝撃が走る。


「いてっ! すぐ叩くなよ!」

「人を困った人扱いするでないわ」


 理不尽に納得がいかない幸太。しかし,どこか懐かしいような感じを覚えて,少し表情が緩んだ。

 その様子を見ている老人が快活に笑った。目尻に深くシワが刻まれる。


「おぉ! 笑ったのお! 頭叩かれて,ネジが吹っ飛んだんかのお!」

「そんなじゃないよ! 笑ってない!」


 ぶんぶんと否定する幸太。


「まあええわい。まずは笑うことが一番じゃ少年。さっきまでこの世の終わりみたいな顔をしとったからなぁ」


 老人はひとしきり満足したのか,サングラスをかけ直した。雨に濡れたサングラスは水滴まみれだが,何事もないようにピシッとかける。


「少年の名前はなんていうんじゃ? 困りごとは解決したかの?」

「名前は倉木幸太。困りごとは……」


 言いよどむ幸太。頭の中には,困りごとという言葉から,先程まで非現実感のある老人に振り回されていたが,何も変わってないということが思い出される。クラスメートの顔,誰もいないアパートの自宅。幸太は首をふって,言葉を続ける。


「――鍵はみつかっ,たりました。おじいさんの名前は?」


 老人は言いよどむ幸太を,訝しむようにサングラスから目が覗いた。バツが悪いと感じる幸太。


「ふぅむ。まあ,よいわ」


 老人は,改めてラジカセの場所を調整し,ボタンを押す。すると,別の曲のイントロが始まった。白銀のタイツの裾を引っ張る。タイツは雨に濡れてより光を反射していた。最後にサングラスをかけ直す。そして老人は言い放った。


「――世界は悲鳴を上げている。しかし,声なき悲鳴を上げている。声高らかに叫ぶなら,だれもが助けに駆けつけよう。それでは,声なきものはどうなるのか。救われない? そんなことはない,なぜなら儂がいるからじゃ――」


 曲が一瞬止まる。そこで,老人はポーズを決めた。


「オメガジジイとは儂のことよ!」


 ババーン! と後ろで音が鳴ったような気がした。


 幸太は唖然とした様子で固まった。

 おかしい人だと思っていたけど,こんなにおかしい人だとわ。変身の挿入歌と,決めポーズって。ちょっと語感悪いし、口上も名前も。


 オメガジジイは幸太が聞こえてないと勘違いしたのか,

「オメガジジイとは儂のことよ!」

 と声高らかに繰り返した。


「オメガジジイ……」


 幸太はその言葉をつぶやいてみた。そして,ふとおかしさがこみ上げてきて,ゲラゲラと笑い始めた。


「あはは! オメガジジイって! なにそれ!」


 オメガジジイはその笑いに楽しげに答える。


「オメガジジイとはな,困った人をだれでも,だれでも助けるヒーローなんじゃよ。ヒーロー好きじゃろ,少年」


 ひとしきり笑って,少し落ち着いて笑って出た涙を拭いながら幸太は言う。


「ヒーローなんてほんといるんだ」

「そうじゃ,ヒーローは望めばどこにでもいるんじゃよ」

「ふぅん」


 ヒーローはどこにでもいる,その言葉は幸太の耳に空虚に響いた。ふと,雨に濡れていることを思い出して,傘を指し直した。


「少年は他に困ってないかの? ところで,儂は鍵をわたしたかの? 拾って声をかけた所までは覚えてるんじゃがの」


 オメガジジイはそう言いながら,ラジカセを拾って背負っていた。先程よりは音量が下がっているが今もラジカセは音を鳴らし続けていた。


「鍵はもらったよ,オメジジ。困ったことだけど――なんかありそう」

「なんか? というか,オメジジとは儂のことか?」

「そう,オメガジジイだから,オメジジ,呼びやすいから。駄目かな?」

「オメガジジイは最高になうだと思うんじゃが,オメジジも悪くないの。ヤングな感じするわい」

「ヤングってなにさ」


 不思議な言葉を使うオメガジジイに笑う幸太。

 オメジジ,オメジジと繰り返して言いながら快活に笑うオメガジジイだったが,思い出したように訪ねてくる。


「なにかまだ困ったことがあるのかね? なにかを言わなきゃわからんぞ」

「なにか,ね――」


 その時だった。少し離れた場所から聞き慣れた声が聞こえてきた。

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オメガジジイは今日も征く 鹿子 @KanoYasu

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