散歩

 休日の昼まえに、ヒヨリは散歩に出ていた。空は晴れていて陽も出ていたが、風が吹いていた。空色のカーディガンを着ると、ちょうどいい体感温度になった。


 静かな住宅地を潜り抜けて、四本線路の上を歩道橋で渡る。大きな駅舎を左に見ながら幅広い歩道橋を渡りおえると、その先には三車線の県道を挟んで神宮の森が見える。県道を横断歩道で渡ろうとしたとき、信号は赤に変わった。


 神宮前をまっすぐ通る県道は休日なのに車の量が少ない。神宮の広い森とそれを囲む低い石垣は、近代的な風景に押し負けることのない存在感を示している。


 吹きつづける風が、クスノキなどのあおあおとした茂りが優しく揺れている。


 喉を温めようと、ヒヨリは無意識に息を吐いた。春と呼ぶにはまだ寒いこの時期、空気には冬のときのような鋭さはない。息を吐いたあと、体の中に柔らかさに包まれた空気が入り込んだ。


 軽い深呼吸をしていると、神宮の森の上の空に薄く雲がかかっているのが見えた。雲は絹織布を揺らしたように波打っていて、空全体を透明な布で包み込んでいるようだ。


 肩から提げた小さな革のバッグからカメラを取り出したヒヨリは、森と空と雲をファインダーに入れてシャッターを切った。カメラはかなりの骨董品だが、シャッターを切るときの小気味いい音をヒヨリは気に入っていた。


 フィルムレバーを回してカメラをバッグへ戻す。カウンターの数字を見て、もう新しいフィルムが必要だとわかった。祖父から貰ったのが切っ掛けではじめたカメラだが、写真もそれなりに溜まってきた。


 ヒヨリはこのあと、写真店に寄ろうと決めた。新しいフィルムのついでに、フォトブックを買おう。自分だけで完結するなら、きっと見返したりはしないだろう。けれど誰かとの話の種にするなら有意義な出費のはずだ。


 セイヤやアイカなら、一緒に見てくれるだろうか。そんなことを考えながら、ヒヨリは青信号になった横断歩道を歩きはじめた。

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