月夜

 最後まで委員会の仕事をしていたアイカが学校を出たとき、外はもう暗くなっていた。


 最近は日が短くなってきたが、まだマフラーやコートが必要な気温ではない。アイカはえんじ色のブレザーのまま、学校前の商店街を自転車で走る。


 商店街にはまだ灯りを点けて仕事に励む店が多い。なので視界に不便はなかった。


 アイカの周りには夕飯の買い物客や部活帰りの学生、仕事帰りの勤め人が行き来している。不規則な万華鏡のように人影が重なり合う石畳の上を、アイカは自転車をゆっくり漕いで行く。


 にぎわう惣菜屋の前を通ると揚げ物の香りがした。口の中に湧き出す唾を呑み込むと、ペダルを一回強く漕ぐ。


 ブレーキを掛けつつ進めた自転車を橋の上で停め、アイカは両手を擦り合わせて息を掛ける。手袋は必要かもしれない。


 アイカが橋のたもとを振り返ると、行きつけの本屋にもまだ灯りが点いていた。


 木造二階建ての本屋は、両側の材木会社の事務所と時計屋より小さい。その輪郭は夜の暗さの中でぼんやりしていて、コンクリートの建物の間で肩身狭く縮こまっているように見える。


 閉店間際だろうけれど、いまから飛び込んでみようか。


 そんなことを考えているアイカは、本屋のはるか上に白い点が浮いているのに気づいた。月そのものはとても小さいが、商店街の灯りに下から照らされていても自己主張が強く見える。

 

 月だけが見える場所なら、どう見えるのだろうか。


 ふと思い浮かんだ疑問を、アイカの小さな咳が打ち消した。自転車があっても、自分の体力が持つものか。


 おぼろげな憧れで無茶な行動をするより、慣れた場所でのんびりとするほうがいい。


 ハンドルごと自転車の前輪を少し持ち上げたアイカは、後輪を軸に自転車を反転させた。店を閉めようとしていたのか、ちょうど本屋の入り口に長身の影が現れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る