修学旅行の夜といえば

 清水寺の後は哲学の道を抜けて銀閣が有名な慈照寺を見て回った。色づく紅葉は見事なものであったが、流石に歩き回って疲れたというものだ。

 そんなわけでホテルに着き夕飯を食べるや否や、少し眠っていたわけだが、俺の部屋は同室になったクラスメイトの手によってたまり場にされていた。目が覚めてしまったのもあって、時折話題がこちらに飛んでくるのも面倒くさい。部屋ではもう少しゆっくり休ませてほしいものだ。


「あれ? こっちにも部屋から抜けてきた悪い子だ」


 ホテルのロビーに備え付けられているソファで伸びていると、優しげな声が耳に届いた。もっとも、口にしている言葉からうちの学校の関係者なのは分かるし、この後に待っているのはおそらく面倒なことなのだろうが。


「すみません」

「まあ、怒ろうってわけじゃないからいいんだけどね、片倉君」


 ゆっくりと顔を上げてみれば、にっこりと笑う女性。確か、名前は――


「雨音だよ、雨音芽衣。普段は保健室でカウンセラーとして相談に乗ったり、養護の中神先生の補佐をしてるんだけど、片倉君はあんまり来ないから、分かんなくてもしょうがないかな」

「ええっと、どうも」


 なんと返していいかもわからず、とりあえず頭を下げれば、雨音先生は楽し気に小さく笑う。怒る気はないと言っていたが、その言葉に間違いはないようで、笑ったあとも先生は纏っている雰囲気を変えない。


「えっと、部屋に戻ればいいんですよね」

「いや、部屋に居づらいなら、別にいいよ」

「えっ?」


 思いもよらない返答に間の抜けた声が出た。悪い子とか言ってたからてっきり戻れと言われるのだとでも思っていたのだが……。


「せっかくの学校行事なんだから、楽しくないとね。私だって旦那と電話しようと思って来た訳だし」


 そう、楽しそうに言った先生の視線の先、左手の薬指を見れば、そこには三鷹先生にはないシルバーリングが光っている。少しでも話を聞こうとすれば、惚気だしそうなくらいに上機嫌だ。


「ただ、部屋に居づらいっていうなら、思い出作りに協力しないとね」


 俺の後に何かを見つけたのか、思い出したようにそう言いながら、可愛らしくウインクを飛ばす先生。ついうっかり見惚れそうになっていると、聞きなれた声が耳をついた。


「雨音先生、買ってきましたよ」

「ありがと、狛江ちゃん」

「おごってもらってるし、これくらい良いですよ」

「そう? それならいいけど。じゃあ行こっか」

「えっ?」


 狛江さんの手を取り、ホテルの裏口へと歩きだした雨音先生。その光景を見て、再度零れる俺の間抜けな声。


「片倉君も、置いてっちゃうよ」

「いや、なにするんですか?」

「修学旅行の夜の思い出っていったら、やっぱり抜け出さないとでしょ! 電話のお供にお土産話も欲しいし」

「なに言ってるんですか……」


 俺の言葉に返すように、いいじゃん、行こうよ、と微笑む狛江さん。

 まあ、ここで抵抗して彼女の思い出に水を差すのも無粋か。清水寺で少し言葉を交わした時よりも楽しそうだし。


 * * *


 ホテルを出て、歩くこと数分。

 かっこつけて狛江さんに羽織っていたシャツを貸したことを軽く後悔しながら歩いていると、眩しいくらいの大通りへと出た。

 肌寒さは変わらないが、ここが由緒ある古都であることを忘れてしまいそうなほど、人工光の明かりが照らしている。その中心は目的地でもある京都駅だろう。この市内で唯一現代的な街並みが広がる区画の中心地は、夜の紅葉を楽しむために各地で行われているライトアップに合わせて、電飾で照らされている。

 一歩、また一歩と進む度に、狛江さんの顔を照らす明かりの色は変わっていくが、その瞳はずっと輝いたままだ。先導する先生はどこまで知っていて、こうして俺たちを連れ出したのだろうか。

 そんな疑問はその景色を前にあっという間に霧散してしまった。


「……綺麗」


 そう溢したのは先生なのか、狛江さんなのか。

 やって来た京都駅の中心にある天にまで続いていそうなまっすぐに長く伸びる大階段は、昼間俺らを出迎えた時とは違う姿を見せている。階段に隙間なく設置されたLEDによって作り出される景色は行き交う人々も足を止めて見入ってしまうほどだ。


「すごいね」

「ああ、そうだな」


 雑踏に消えてしまいそうな小さな声を何とか拾い上げて頷けば、私はお邪魔だったりする? なんて、少し物足りなそうに、でも楽し気に写真を撮っていた先生から声がかかる。


「そっ、そんなことないですから。次、行きましょ」


 からかわれていると気付かないまま急かす狛江さんは、それでもいつも以上に楽しそうで、なぜだか少しだけ胸が詰まる。

 しょうがないなぁ、と頷いた先生は大階段の横のエスカレーターでどんどんと上へと進んでいく。果たして何階分昇ったのか。ようやく足が止まったところで、この先空中径路と書かれた看板が見える。駅前広場が吹き抜けになっているこの駅ビルで、吹き抜けの中に唯一見えた柱のようなそれが空中径路らしい。デートスポットとして有名なんだよ、なんて得意げに言った先生が先導していく。

 照らし出される道と、ガラスの向こうに見える人工光が照らしている大通り。少し向こうは、夜のとばりが下りたまま照らされていないものだから、光はより一層強調されている。


「「おぉー!」」


 その景色に思わず口から出たのは綺麗だなんて感想ではなく、ただの感動と驚きが混じったような声だけ。しかしそれは俺だけのものではないようで、見事に隣を歩く狛江さんのものと被ってしまった。

 思わず隣を向けば、それすらタイミングが重なって、顔を見合わせるような形になってしまい笑いがこぼれる。

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