天体観測を荒川と

「なあ、あとどれくらいだ?」


 望遠鏡を背負って、沈みゆく夕日にも目を向けられず、キツい坂道を登っていく。曰くこの先には絶好の高台があるらしいが、その重さがしんどくなって、行く先も知っているこれの持ち主に声をかける。もう何度目だろうか。


「あと少しですよ。というか、このやり取り何回目ですか」

「いや、だってなぁ……。お前も持てば分かるぞ」

「私、かよわい乙女なんですけど。先輩、カッコいいところ見せてくださいよ。見直すかもしれませんよ」

「見直されたところで、普段の言動でひっくり返す自信あるぞ」


 残念さ百点満点の俺の言葉に大きくため息をついた荒川だったが、次の瞬間、表情を変えて俺を追い抜いて、さらに先へ。


「先輩、お疲れ様です。着きましたよ」


 何とか歩く速度を上げて追いつけば、そんな言葉と共にぐるりと回って空を見上げる荒川の姿。それにつられるようにして見上げた空には、満天の星空。いまにも手が届きそうで、ともすれば零れ落ちてきてしまいそうなほどの星の数に言葉を奪われる。


「どうです? 私のお気に入りの場所なんです」

「……あぁ、すごいな」


 感情を溢すようにして答えれば、ふふ、そうでしょう、と上機嫌な声が返ってくる。


「望遠鏡必要だった?」

「まあ、ここで楽しむ分には無くてもいいと思いますよ。なんなら、視野を狭めるし、邪魔になるまであります。でも、展示用の写真とか、やってる雰囲気出すのに使いますから」

「さようですか」

「さぁ、早くセッティングしましょう」

「えっ、まだ俺の仕事続くの?」


 俺の言葉に返事はなく、代わりにレンズやらを黙って渡される。それを黙々と本体に取り付けて完成した望遠鏡。試しに覗いてみれば、先ほどまでは小さくしか見えなかった星々がよく見える。


「先輩、なんか見えました?」

「星が見える」

「いや、そうじゃなくて、星座とかそういうのです」

「これだけあるとそういうのは分からん」


 そうですか、と少し落ち込んだような声を溢してから、望遠鏡を奪うようにして覗き込んだ荒川にその場を譲って、何枚か写真を撮らせてもらう。荒川は星を見ることに夢中になって、それに気づいている様子もない。

 そもそもが荒川の提案なのだし、望遠鏡も自前で持っているのだから意外だったというつもりはないが、これほど夢中になるとは。この調子で展示の作成も頑張って頂きたい。


 足元を見ているような価格設定の自販機から出てきた缶コーヒーを飲みながら、一歩引いた場所でその様子を眺める。



 どれくらい星空を眺めていたのだろうか。秋の夜長なんて言うだけのことあって、夜はまだまだ長いが、いい加減肌寒さを感じ始めた。それは荒川も同じだったようで、隣から声がかかる。


「そろそろ撤収しましょうか」

「そうだな」


 望遠鏡を組み立てたときの逆再生のようにして、本体と部品に分解していく。あっという間に背負ってきたときの姿に戻る望遠鏡。それをケースに入れて、大きく息を吐く。


「先輩とここに来れて良かったです」


 気合いを入れなおして、ケースを背負おうとしたところで、風に流されて行ってしまいそうな小さなつぶやきが、確かに耳に届いた。

 中途半端に入った力が逃げ場を探し、ケースへと伸びていた手が空を切る。それでも何とかバランスを取り直したところで、言葉が続いた。


「私の思い出の場所なんです」


 ポツポツと零れる言葉に、余計な口を挟まず耳を傾ける。


「私、去年こっちに引っ越してきたんです。でも、上手く馴染めなくて。そんなとき、ここを見つけたんです。ここで星を見てると、そういうことがちっぽけなことに思えたんですよ」


 果たして、そんな大切な場所に俺が来て良かったのだろうか。荒川は俺と来れてよかったなんて言っていたが、俺はその思い出を汚してしまうのではないか。ここにやってきても、脳の片隅では他の事を考えている奴なのだから。


「先輩、ここにいていいのか? なんて思ってますよね」


 心の内を読んだような言葉に声が詰まる。


「そういえば、いつだかに聞かれた入部理由、私がなんて答えたか覚えてますか?」

「まあ、一応。確か……」


 少し考え込むような素振りをしながら、のどの調子を整えて口を開く。


「面倒な誘いとか断るのに部活っていい理由になるじゃないですかぁ、だったはず」


 出来るだけ当時の荒川っぽくいってみたが、真っ先に返ってきたのは、合ってるか否かではなく、うわぁ、の一言だった。だが、しばらくの間の後でしっかりとした反応を返してくれる。


「えっと、まあ、そうですね。あの似てないし、気持ち悪い物まねはさておいて、ですけど」

「結構頑張ったんだけどな」

「そんなところを頑張らないでくださいよ。話が脱線するんですから」


 すまんと軽く謝って続く言葉を待つ。


「まあ、当時はそういったと思うんですけど、それ嘘です。本当は、去年の文化祭の時には決めてました」

「去年の文化祭って……」


 つい先日したばかりのやり取りが頭に浮かぶ。確かにその通りなら、あのやり取りも意味が変わってくる。


「何となく見に来た文化展で、クラスの人の姿が見えて、逃げるようにして飛び込んだ教室で、先輩が相談に乗ってくれたんですよ。私はその言葉に勇気をもらったのに、当の本人は覚えてないし、どうしてくれようかと思いましたよ」


 怒っているのか、泣いているのか、感情が混ざり過ぎた声で荒川は続ける。


「先輩。私、変わりました」

「ああ、そうだな。俺が気付かないくらいに」

「そこは、変わっても気づいて欲しかったですけどね」

「無茶言うな。人は忘れる生き物だし」

「ちょっと、それって私のこと半分くらい忘れてたってことですよね」

「記憶力には自身が無くてな」

「そんな先輩でも忘れられない文化展にしますよ。きっと、ちゃんと出来るのは今年だけですから」


 確かにそうだろう。いや、来年もあるにはあるのだ。だけど、俺と荒川が揃って、科学部として出展するのは今年だけだ。

 空を見上げ、少し冷えた空気を吸ってから、まあ、そうだな、と返す。

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