朝のひと時

 差し込む朝日でいつもよりも早く目が覚めた。

 枕もとの体温計で熱を測れば、すっかり熱が引いてたことを教えてくれる。普段の食生活のおかげか、はたまた看病のおかげか。どちらにせよ狛江さんのおかげなことに違いはないだろう。俺の予定では後二、三日ほど休むつもりだったのだが、拗らせることなく体調は全快。あっさりと休みは終わってしまった。

 ありがたいことなのだが、もう少し休みたかった。なんて贅沢なことを布団の中で考えていると、玄関の方からガチャリと鍵が開く音が聞こえた。


「お邪魔しまーす」


 それから間も無く玄関の方から聞こえてきたのは、小さな聞き覚えのある声。押し殺された足音はこちらへと近づいてくる。


「起きてる?」

「ああ」

「体調はどう?」


 のぞき込んでくる狛江さんの表情からは、心配していることがこれでもかと伝わってくる。それだけじゃない。朝は弱いと言っていたのに、こんな朝早くに来てくれたことも心配の表れだろう。

 その真っ直ぐな視線に、悪けりゃ今日も休んで看病に預かれたんだがそうはならないらしいぞ、なんて冗談めかして答えるしかできない自分が嫌になる。

 俺の自己嫌悪とは裏腹に心配そうな顔は崩れ、何言ってるのよ、といつもの笑顔が戻ってくる。


「朝ごはんはまだでしょ。簡単にだけど作っちゃうね。病み上がりで菓子パンだけとか、良くないからね」

「何から何まですまんな。ありがたくいただくわ」

「いいって。私が好きでやってることなんだし。着替えてきちゃいなよ」


 その言葉に従い、制服を持って洗面所へ。寝汗を思いのほか吸っていた寝間着は脱ぎ捨て、アイロンがかけられた制服に着替える。昨日適当に脱ぎ捨てていたものだが、看病の間に洗濯と合わせてアイロンがけまでやってくれたらしい。

 アイロンが掛かってる状態なんてのは、学期の初め、クリーニングから帰ってきた時くらい。普段は洗うだけで手いっぱいだから、アイロンがかけられた制服に腕を通すのはだいぶ久しぶりだ。

 狛江さんの世話になりすぎてるなと改めて思いながらリビングに戻れば、放課後のように台所で料理をする後姿が目に入る。


「朝は弱いって言ってたのにわざわざ悪いな」


 後姿にそう声をかければ、ふわりとエプロンを翻して振り返る狛江さん。表情を不満げなものに変えて、こちらに詰め寄って口を開いた。


「さっきも聞いたよ。私が好きでやってることなんだから、気にしないでって。気にするなるなら、すまんとか悪いなじゃなくて、ありがとうって言ってくれた方が嬉しいから、そっちを気にしてほしいかな」

「そうか、すまん。いや、朝からありがとな」


 俺の言葉に満足げに頷く狛江さんは、台所へと戻っていく。

 それから五分ほど。普段の味気ない朝食とは全くの別物、色とりどりの野菜がたっぷり乗ったうどんがテーブルの上に並べられる。


「病み上がりだから消化によさそうなうどんにしたよ」

「美味そうだな。我が家の朝食にこんな豪勢なのが並ぶとは思ってなかった」

「豪勢ってそんな大げさな。ただのうどんだよ」

「普段はトースト一枚とかだからな」


 それに比べたら豪勢と言っても過言じゃないだろう。朝食にかける時間と金は最低限に抑えたいなら最適解になりうる食パンだが、残念ながら豪勢さは微塵も搭載されていないのだ。ジャムとか塗れば変わるのだろうけれど、トーストはそのまま飲み物で流し込むのが片倉家クオリティ。


「授業中にお腹空いたりしないの?」

「一限終わるあたりでエネルギー切れ起こしてるな」

「ダメじゃん。朝はちゃんと食べなよ」


 食べないよりかはマシだから、とりあえずいいかなって思ってるんだがな、と答えようとして口をつぐむ。そんなことを言ったら、朝ご飯からお世話になることになりそうだからだ。朝の貴重な時間まで割かれては、そろそろ返せるものが無くなってくる。夕飯だけの今でも、返せているのか微妙なところだというのに。


「気を付けるわ。とりあえず今日からな」

「うん。冷めないうちに召し上がれ」

「いただきます」


 手を合わせてから、うどんに手を伸ばす。たっぷりの野菜に、月のように浮かぶ卵。鮮やかな色どりとだしの香りが食欲を掻き立てる。


「うん、美味いな。温かくてほっとする。これからの時期また食べたくなるって感じだな」

「お鍋のしめとか?」

「おっ、いいなそれ」

「もう少し寒くなってきたらいいかもね」


 まだ見ぬ狛江さん特性の鍋に期待を膨らませながらも、目の前のうどんをすする。ショウガも効いているようで、食べていくうちに体はすっかり温まっていく。


「ごちそうさま」

「おそまつ様でした。時間もギリギリだし、すぐ片付けちゃうね」


 手を合わせてすぐに、立ち上がり食器を重ねていく。そんな狛江さんに少し待ったをかけて、俺がやっておくと口にする。流石に出来ることまで任せるほどは落ちぶれていないし。


「じゃあ、お願い。私はいったん部屋に戻るね。合鍵は玄関のところに置いておくよ」

「あー、もう少し持っててくれ。文化展の準備が始まる関係で、帰りが遅くなるかもしれんし、待たせるのもアレだからな」

「そっか。じゃあ、しばらく預かっておくよ。準備がんばってね」

「おう」

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