狛江さんとの生活が始まった件

男子のロマンと夕飯と

「遅い」


 少しの寄り道をして部屋に戻れば、すぐに呼び鈴が鳴った。そして真っ先に言われたのがこの一言である。まあ、今回は俺が完全に悪いので素直に頭を下げる。


「いいよ。そんなに気にしてないし」

「そうか」

「ただ、遅くなるなら早めに連絡してほしいなって」

「次から気を付ける」


 彼女は俺の返事に満足したのか、すぐ準備するからちょっと待ってて、と部屋に戻っていった。彼女が部屋に戻っている間に、キッチンをすぐ使えるよう軽く片づけてしまう。普段ほとんど使っていないから、乾かしていた食器やらを食器棚に戻すだけだが。

 すぐに準備ができたのは、何もこちらだけじゃないらしい。布巾でキッチン周りを軽く拭こうとしたところで、玄関の扉が開けられた。


「早いな」

「もう下準備も終わってこっちに持ってくるだけだったからね」


 そう言いながら、キッチンに切られた野菜が入ったタッパーやらを置いていく狛江さん。料理についてはよくわからんが、野菜を切るだけだったらそこまで時間はかからないだろう。メールが来てからゆうに30分経っていることを考えれば、申し訳なさが増してくる。


「そうか。なんか手伝うことがあれば言ってくれ。あと、調理器具は大体その棚の中で、調味料はそっちの引き出しにある。多分だけど」

「自分の部屋なのに多分なの?」

「まあ、前も言ったが、普段全くと言っていいほど使わないからな」

「せっかくの調理器具たちが泣いてるよ」

「なら、ぜひその腕で泣き止ませてやってくれ。俺には無理だ」


 狛江さんは俺の返事に少し困ったように笑ってから、しょうがないなぁと料理を始めた。

 肩までかかる長い髪を一つに束ね、うなじをちらつかせるエプロン姿の女子、しかも美人が我が家の台所にいる。男子のロマンそのものな状況だが、かなりいたたまれない。

 手伝いを申し入れたところで、返ってくるのは今は手が足りてるから大丈夫だよ、というオブラートに包んだ戦力外通告。先程、戦力にはならんと言ったやつに手伝いを申し入れられても困る、と言われればその通りなのだが。


 *


 どれだけ時間が経っただろうか。

 気を紛らわせようと開いた小説にはほとんど集中できず、もう何度も同じ文字列をなぞっている。これ以上内容が頭に入らない読書はやめようと本を閉じると、ちょうど机の上に料理が並べられようというところだった。

 完璧なまでのタイミングがおかしくて少し笑ってから、料理を運ぶのを手伝いにかかる。


「お皿とか適当に使っちゃったけど、日常的に誰かが来たりとかってするの? 一人暮らしには多いような気がするけど」

「いや、友達を呼んだりしたら使うんじゃないかって、これまた母さんが持ってきたやつだな。まあ、友達なんて呼ぶことなかったから使ってないが」


 なにせ家に上げる友達云々の前に友達がいないからな。クラスメイトとも碌に話さないんだし。

 いつの間にやら目の渇きが潤っちゃってる、不思議だなぁなどと俺が脳内で莫迦を続けているなか、はははと苦笑いする狛江さんの表情には、少しの寂しさが感じられた。いつもの調子の自虐ネタは、狛江さんには刺さらなかったらしい。いや、ある意味じゃ刺さってるのか、ダメージとして。


 何とも言い難い雰囲気になる前に、話題を転換しようと視線を動かし見つけたのは先ほどまで並べていた今日の夕飯。それを見た途端、自然と言葉がこぼれた。


「どれも美味そうだな」


 今日のメインは豚の生姜焼き。千切りにされたキャベツに、白米、カブのマリネ、野菜たっぷりの味噌汁が添えられている。この間までのこの部屋では見ることがなかった家庭的な品々だ。


「ありがと。冷めないうちに食べちゃお」

「そうだな」


 先日と同じように席に着くのだが、ワンルームの一人暮らしに見合ったダイニングテーブルでは距離が近い。料理をしていた時のまま、髪を結わえた狛江さんの破壊力たるや。俺がうなじフェチだから、より破壊力を感じてるのかもしれんが。

 莫迦な思考から逃れるように、目の前の料理に視線を落とす。彩りまで考えられた夕飯は何度見ても美味そうだ。すぐにでも手を伸ばしたいのをこらえて、両手を合わせる。


「いただきます」

「はい、召し上がれ」


 まずはいつもの食卓には存在しない味噌汁に手を伸ばす。

 味噌汁は野菜の旨味がよく出ており、少し寒くなってきたこの時期の体を内から温めてくれる。次は、とメインの生姜焼きに箸を伸ばせば、味が良く馴染んでおり程よい食感。自然と白米に手が伸びる。もちろん千切りキャベツとの相性も抜群だが、カブのマリネとも相性が良かった。しっかりとした味付けの生姜焼きに対し、酸味が効いてマリネのさっぱりさが丁度良い。


「美味い」

「良かった。いつも口に合うかなぁとか考えちゃうから」

「そうか。いつものも美味かったからもっと自信もっていいと思うぞ。少なくとも俺にとってはめちゃくちゃ美味い」

「……そう、ありがと」


 あっという間にこれらを作り上げたんだから流石としか言いようがない。俺が作ろうとすれば、生姜焼きだけで手いっぱい。その生姜焼きも見栄え、味ともに微妙なものになるだろう。

 照れからか少し顔を赤らめ箸を動かす狛江さんと共に、並べられた夕飯に舌鼓を打ちながら食べ続けた。

 これが何かがない限り毎日続くとか、卒業するころには総菜生活できくなるくらい舌が肥えそうだな。美人を正面に飯を食うことになれるかどうかは分らんけれども。

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