放課後の勉強会

 国内ならどんな辺鄙へんぴなとこでも最低賃金は時給790円とかなんだし、10分も教えればコーヒー1杯分になるだろ。そう思った俺は惣菜パン片手に、荒川の勉強を見て昼休みを過ごした。だというのに、午後の授業を終え放課後となった今も俺は荒川の勉強を見ていた。

 いや、昨日の会話から何となく察していたけど、マジでこのままだと再試レベル。

 幸いなことに理解力はあるのだが、それゆえに問題慣れしておらず凡ミスが多い。あと、授業で理解出来てないところが放置されてる。そんなわけで、理解できてないところだけ軽く解説して、問題を解かせての繰り返しだ。

 おっと、またミスしてるぞ。


「そこ、計算間違えてるぞ。小学生レベルの分数計算を間違えるなよ」

「さすがに私そんなに莫迦じゃないですよ。……えっ、本当ですか」


 俺は何度目になるのか分からないため息をついて、正しい答えを手元のノートに書いて見せる。


「あー、やっちゃってますね」

「やっちゃってますね、じゃないんだよなぁ。頼むから凡ミスで再試は勘弁してくれよ。文化展の準備、大した量じゃないとはいえ一人でやるのはごめんだぞ」


 分かってますよー。文化展も楽しみですし再試はしませんって、と言ってまた課題に戻っていく荒川。

 とりあえずやる気はあるようで一安心。やる気がなかったら突き放して終わりだろうけど。さて、ずっと人の心配をしていられるほど余裕というわけでもないし、俺も勉強するか。一番不安な英語のワークを開いて、シャーペンを動かす。

 たまに手が止まりこそすれど、まずまずのペースで手が動くのは復習の成果といったところだろう。シャーペンが字を綴る乾いた音をBGM代わりに、さらに解き進めていく。


 *


 それなりに集中していたのか、気が付くと結構な時間が過ぎていた。窓の外では空が夕焼けに染まり、カラスの鳴く声も聞こえてくる。

 肝心の課題の方は多少空欄こそあれど、試験範囲に相当する分はだいぶ進んだ。空欄はあとで参考書でも見ながら埋めてしまえば完成だ。


「先輩、その答え間違ってますよ。その文は関係代名詞の目的格を使ったものだからwhichが入るんですよ」


 いつの間にやら俺の正面から隣に移動していた荒川が、先ほどまで解いていたワークの問題を指さしてそんなことを言い出した。


「いいですか。先輩は多分前の部分だけ見て判断しようとしてるからここが分かってないんです。関係詞の文は関係詞の後ろを見てください」

「お、おう」


 勢いに押されるがままに、話された内容を書き込むと、満足そうにうなずく荒川。俺がこなしていたのは先ほどと変わらず英語のワーク。もちろん、2年生のもの。荒川はまだ習っていないはずのものだ。


「これ2年の内容だけどなんで分かるんだ?」

「私、こんなんでも帰国子女ですから。中学3年の夏までアメリカにいたんですよ。英語なら楽勝です」


  荒川の意外過ぎる過去に驚きながらも、他の個所の解説も聞いていく。日常的に使っていたというだけあって、発音はきれいだし、文法の解説も非常に分かりやすい。


「荒川にこんな特技があるとは知らんかった」

「もう、さっきみたいに荒川先生って呼んでくださいよ」

「残念ながら今回はご縁がなかったということで」

「えー。まあいいです。また分からないところがあったら聞いてくださいね」


 法外な対価を事後請求しないっていうなら考えとく、と返事をすると、ちぇーと言う荒川。

 果たして俺は何を払わされるところだったんだろうか。莫迦なことを考えようとしたところで、机の上においてある携帯の画面が明るくなった。


「先輩にメール?」


 それを持ち主よりも早く手に取った荒川は、怪訝な顔で画面の通知を見る。

 それ、俺の携帯だからね。あと、俺にだってメールが来ることあるからそんな不思議そうに見ないで。基本はネットショッピングか、スパムだけども。あとアレだ、たまに母さんからも来る。


「とりあえず返せ」


 返ってきた携帯の通知欄には、メールが来ましたとしか書かれていない。とりあえず要件を確認すれば、いくら待っても帰ってくる気配がないから夕飯の下準備を部屋でやっている。帰ってきたら連絡してほしいとのこと。差出人はもちろん狛江さん。


 内容を一緒に通知されていたら、どうなっていたことかと安堵の息を漏らす。それから、もうそんな時間かと思って時計に目をやれば、間もなく最終下校時刻。窓の外では夜の帳が下りている。ついでに狛江さんに帰っているといった時間はとうに過ぎ、部活を早上がりする理由のタイムセールの時間も過ぎている。


 ため息と共にやっちまったと小さく呟けば、どうしたんですか? ため息つきすぎると幸せが逃げますよ、と返ってくる。


「いや、時間だよ」

「もうそんな時間ですか」

「とっとと荷物まとめて帰るぞ」

「はい」


 ドタバタしつつも荷物を纏め、さあ帰ろうと部室のカギをかけると、荒川は申し訳なさそうに、遅くまですみませんと謝ってきた。


「いや、そんなに気にしないでいいから。時間気にしてなかった俺も悪い」

「そうですか」

「俺だけじゃ参考書読んでも微妙なままだったかもしれんし、むしろ助かったまである」

「でも、タイムセール間に合わないんじゃ」


 荒川がそれ以上言う前に、適当に何とかするから、じゃあな、と遮って言い切る。実際はタイムセールに行かないのだし、荒川が責任を感じる必要性はないのだから。


 さて、狛江さんにどう謝ろうか。

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