最果ての部室にて
少し駆け足気味に向かう先はもちろん部室棟3階。職員室では耳を澄ませば聞こえてきた部活に勤しむ生徒たちの声も、部室棟の最果てに近づくにつれて遠く小さいものになっていく。
「先輩、おっそーい」
やたら長く感じられる部室棟の階段を登り切ったところで、廊下の向こう側からそんな声が飛んでくる。声の主はもちろん荒川。
「なら鍵取りに行けよ。別に俺が持ってくるの待たなくていいんだよ」
「いや、ここまで来ちゃうと職員室にとりに戻るのも億劫じゃないですかぁ」
まあ、確かに分からなくはないけど、と返しながら少し冷たい扉に手をかける。
うちの学校の校舎は、教室棟、部室棟、特別棟の3棟からなっている。教室棟と部室棟はそれぞれその名の通り一般教室と部室が、特別棟には図書館や保健室、他にも音楽室や理科室といった学年を問わず共有するものが集まっている。
そして、教室棟と特別棟は上から見た時、エのような形になるよう各階が渡り廊下で結ばれている。一方の部室棟はそのエの字の横に添えられるように建っているが、教室棟の1階から伸びる渡り廊下からしか入ることが出来ない。
つまり、部室棟の最果てから特別棟の職員室に鍵を取りに行くとなると、かなり距離があるのだ。
もう、
部室にて莫迦なことを考えている間も、だらだらと文句を垂れる荒川。いい加減、なだめるためにも、ポケットに手を突っ込んで硬貨の存在を確認する。先ほど強引に渡された500円は、文句を繰り返す後輩の機嫌を直すのに十分だろうか。
「悪かったって。コンビニでなんかおごってやるから機嫌直してくれ」
「えっ?」
返事にはいつものあざとさ混じりの甘ったるさがない。間の抜けた声の主たる荒川は、俺の言葉に信じられないものでも見たような目を向けてくる。そして、次の瞬間顔色を変えて俺との距離を詰めてきてこう言った。
「先輩、体調良くないなら先にそう言ってくださいよ。私が体調悪い人間攻め立てた悪い人みたいじゃないですか」
「いや、全然平気だから」
「そんなことないですよ。普段の先輩は私がどんなに文句を言ったって機嫌を直そうとかしないですもん。だいたい聞き流すか、はぐらかすだけですし。何より守銭奴の先輩がおごるなんて言うわけがない! もしかしてここに来るのが遅かったのは宇宙人か何かに洗脳されてたからなんですか? それとも偽物?」
この後輩め。普段俺の事をどんな目で見てんだよ。ってか、俺が何かおごるって言うより、俺が宇宙人に遭遇して洗脳される可能性が高いって思ってるってどういうことなの?
そんな抗議の意をのせた視線をぶつけてやると、えっ、正気なんですか? とオロオロした声が。
「ああ、正気だよ。偽物でもなけりゃ、洗脳されたわけでもない。お前の機嫌を直そうとしない守銭奴だよ」
「そっ、そうですか。それなら良かったです」
荒川はそれだけ言うと、まるで用事でも思い出したかのように携帯をいじりだした。それに合わせて手持ち無沙汰になった俺も、いつも通り読書に取り掛かる。
*
荒川が逃げるように携帯をいじりだしてから1時間半ほど。
「先輩、そろそろ時間じゃないですか?」
「えっ? ああ、そうだな」
荒川が教えてくれたのは、俺がタイムセールへと繰り出す時間だ。狛江さんが夕飯時に部屋に来る以前の話だが。狛江さんがやってくるのに慣れ、すっかり忘れていた。
ちなみに、狛江さんの事は荒川に伏せている。なにせ、事実をそのまま言ったら、夏場の台所とかに湧く黒光りするヤツを見るような目を向けられ、暴言の限りを尽くされ、3回くらい通報される自信があるからな。狛江さんの噂についてちょっと聞いただけであのザマだった訳だし。
狛江さんとのことを荒川に言えない以上、タイムセールに行く体裁で荷物をまとめ帰る準備を整える。荷物もまとめたところで、荒川に先ほどの件の確認を取っておくことにした。
「で、どうするんだ?」
「えっと、何が?」
呆けた顔でそう聞いてきた荒川に、さっきの件だ、と答える。
「本気だったんですね……。あっ、先輩待ってください。私も行きますよ」
またも信じられないものを見たような目で見てきたので、置いて行ってやろうかとカバンに手を伸ばすと、ものすごい勢いで荷物をまとめて荒川は後を追ってきた。
荒川とともに部室棟を出たところで、鍵を返しに行く荒川が特別棟の方へと駆け足気味に向かっていった。荒川に少し遅れて1人に昇降口へと向かうと、ちょうど見慣れたブラウンヘアが視界の端、教室棟と特別棟を結ぶ渡り廊下で揺れた。
部活には入っていないと言っていたが、狛江さんは特別棟の1階にどんな用があるんだろうか。事務室と保健室くらいしかなかったと思うが。
「先輩、お待たせしました! 行きましょ」
靴を履き替え、要らないことを考えているうちに、機嫌を取り戻し元気増しましの荒川が戻ってきた。
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