夕飯を共に

 狛江さんの速度に合わせても、アパートまでは15分とかからない。

 教室では女子はおろか男子ともロクに話さず、部室では荒川の投げてくる話に適当に返している俺から話題提供はできなかった。狛江さんも似たようなものらしく、会話はポツリ、ポツリとあるだけ。静寂が支配していた帰路は、別に気まずかったわけではないし、むしろ居心地のよさすら感じられた。


「じゃあ、あとで持ってくからお腹空かせて待っててね」

「ああ。タッパーはその時返せばいいか? 今がいいなら取ってくるが」

「あー、うん。後で大丈夫」

「了解」


 鍵を開けて部屋に戻る。俺の部屋は広いとはお世辞でも言い難いワンルームだ。玄関を入ると左側には台所。色んな調理器具が揃っているがどれもほとんど使われていない。右側にはわずかに壁が伸び、その裏に水回りが集まっている。風呂とトイレは別だが、おかげでどちらも狭い。


「さて、どうするかな」


 口に出したところで、何かが思いつくわけでもない。炊飯器に米を任せて絶賛手持無沙汰なのだ。風呂に入ってしまってもいいのだが、狛江さんは夕飯を作っているというのに俺は風呂で疲れを癒すのも気が引ける。

 考えたところで大した案は出てこないし、大人しく机に向かい課題を片付けるか。さすがに連続で課題を忘れるのは避けたいところだ。


 *


 得意とは言い難い英語の課題に辞書を引きながら取り組んでいると、呼び鈴が鳴った。どうやらそれなりの時間が経っていたらしい。とはいえ、課題は残すところ4分の1といったところ。まずまずな進度だ。


 昨日のタッパーを持ってドアを開けると、狛江さんが立っている。制服姿だった先ほどとは違い、花柄のワンピースに身を包んで。彼女の手入れが行き届いた綺麗なブラウンヘアは、同じような花柄のシュシュでまとめられている。

 女子というのはおしゃれが好きだというが、自分の部屋でも気にするのか。俺なんてシワになると困る制服のズボンを中学時代のジャージに着替えた、ワイシャツにジャージと残念な格好だというのに。


「ご飯って余裕ある?」

「どうした、突然? 余裕はあるが」


 毎日米を炊くのも面倒だと思って、冷凍するつもりのをまとめて炊いたから数食分はある。米を炊くのも面倒って我ながら末期だと思うが、まあ、今回はそれが役立ちそうだし良しとしよう。


「炊飯器壊れちゃったみたいで、お米炊けてなかったの」

「さようで。それなら持って行っていいぞ」

「ごめんね」

「まあ、機械の故障はそっちのせいじゃないし気にするな」

「ありがと。えっと、お邪魔します」


 狛江さんにスリッパを出して、部屋にあげる。それと入れ替わる形で俺は財布を持って外に出る。取られて困るものは無いし、狛江さんの現状を考えれば、男子と部屋で2人っきりは嫌だろうと考えた結果だ。


「炊飯器は台所にあるから、必要な分だけ持って行ってくれ。俺は飲み物買ってくるから」


 近場の自販機までは往復5分くらいだし、いい時間つぶしになるだろう。多少高くつく気もするが、今日の浮いた総菜代よりは安い。恰好が恰好なだけに肌寒いが、5分くらいなら大したこともあるまい。


 自販機で宣言通りお茶を買って部屋の前に戻ると、部屋からは食欲をそそるいい香りが漂ってくる。

 はて、さて、俺は部屋を間違えたっけか。俺の部屋からこんな美味しそうな香りがすることは早々ない筈だ。


 部屋番号は間違っていなかった。


「狛江さんが唐揚げ置いてったからか」


 脳内で適当な結論を付けて扉を開く。玄関にはあからさまに俺のものではない、女物のサンダル。正面に広がる部屋だけは見慣れた俺の城。しかし、その手前、台所にはエプロン姿のブラウンヘア。


「おかえりー」

「えっと、なぜまだここに?」


 俺の気遣いは残念ながら無駄だったらしい。もっとしっかり時間をつぶすべきだったのだろうか。具体的にはスーパーに行って戻ってくるとかして。


「ご飯のお返し。色々持ってきたから」


 そう言う彼女の視線を追うように台所に目を向ければ、我が家にはないであろうタッパーが1つどころか、3つ積まれている。彼女の言葉の通り、中身は唐揚げ一色というわけではなく、彩り溢れたものとなっている。ついでに、コンロを見れば鍋が火にかけられている。


「いや、唐揚げだけでも十分なんだが」

「でも、ほら。差し入れは助けてくれたお礼だから。それとも迷惑だったかな……」


 わずかに涙目の上目遣い。髪色によく似た茶色混じりの大きく綺麗な瞳がこちらを捉えれば、俺はそれ以上何も言えない。これを断れる男とかいないでしょ。


「まあ、迷惑ってことはないよ。夕飯増えるのはありがたいし」

「そっか、良かった! じゃあ、もうちょっと待っててね。すぐ温め直しちゃうから」

「あ、あぁ。……その、嫌じゃなけりゃ、今日はこっちで食べていかないか? こっちで味噌汁とか作ってもらってるのに追いやるのもなんか、申し訳ないし。嫌じゃなきゃでいいんだが」

「温め直してるだけなんだけど、いいの?」


 鍋に向け直されていたはずの視線が、再度こちらを捉えて離そうとしない。

 その圧に押し負けるように「いや、まあ、狛江さんさえ良ければ」と頷けば、狛江さんは上機嫌にお邪魔させてもらうねと微笑んだ。


 狛江さんは作業へと戻っていき、俺は仕方なく部屋の奥へと足を進める。

 自分の部屋だというのに、居心地は何とも微妙。何もしないのもいたたまれないので、とりあえず机に向かう。幸いなことに課題も残っているのだし。


 何とか課題に集中しようとすること5分。まったく集中できず辞書を眺めていた俺に声がかかる。パタパタと可愛らしい足音とともに台所と彼女の部屋を行き来していた狛江さんからだ。


「出来たよ!」


 おう、と返事して机を片付け、洗面所に向かう。

 手を洗い終えて戻れば、机には料理が並びきっている。並べる手際の良さも一級品らしい。

 順番に見ていけば、唐揚げ、葉物野菜の上に盛られたポテトサラダ、青菜の和え物に味噌汁、ご飯、と一汁三菜が揃っていて、彩りもよく、見ているだけで食欲が湧いてくる。

 こうもちゃんとした食事は本当に久しぶりだ。


「美味そうだな。いや、昨日のロールキャベツの美味さからしてもうまいのは確かなんだろうが」

「ふふ、冷めないうちに召し上がれ」


 正面に座った狛江さんにそう言われ、席について手を合わせる。まずはと手を伸ばした味噌汁は、口の中で味噌と出汁の香りが一気に広がり、食欲を掻き立てる。次いで、和え物にサラダと手を伸ばしていくが、どちらも今まで食べた中ではトップレベル。メインの唐揚げはカラッと揚がった衣、その下からあふれ出してくる肉汁。とにかくご飯が進む。


「どれも美味いな。今まで食べてきたものの中でもトップクラスで」

「ありがと」


 狛江さんははにかみながらそう言って箸を進める。その姿を見られただけで、廊下を全力疾走した甲斐があった、なんて柄にもないことを思ってしまった。


「そういえば、片倉君は料理しないの? 良い調理器具が沢山あったけど」

「料理はしないな。調理器具はこの間母さんが来た時に、何もないことにドン引いて、一人暮らしするならあった方がいいって置いてったやつ。小学校3年生レベルの家事スキルを自負してる俺じゃ使いこなせない」


 息子の家事レベルくらい把握しておいてほしいものだ。使ってるのは、やかんと電子レンジだぞ。


「そんな自信満々に言わなくても」

「事実だからな」


 他愛もない話をしながら箸を進め、ついに並べられた料理はみな胃の中へ。

 今日も今日とてものすごく美味しくて、食べ過ぎてしまった。いや、それでもよその家の男子高校生と似たような量だろうけど。


 洗い物くらいはするから、というか、それくらいはさせてくれ、と狛江さんから勝ち取った洗い物をしつつ、さっきまでの事を振り返る。

 多少強引に進められてしまった気もするが、久々の1人じゃない食卓は悪いものではなかった。何なら心地よさまで感じてたし。うん、世紀のチョロインとか言われたら反論できねーな。むしろ、世紀のチョロインを自称していくまである。

 自称している肩書が学校最弱と世紀のチョロインって残念過ぎるだろ。

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