お隣さんは……

 荒川と別れてから歩くこと15分ほど。ようやく我が家が見えてきた。


「あれ、片倉君?」


 階段を上る前にエネルギーをチャージしようと、カバンに入っているゼリーに手を伸ばしたところで、声を掛けられる。


「何でしょうか?」

「それは私のセリフなんだけど、お礼でも決まったの?」


 声をかけてきたのは、お馴染みのスーパーの袋を持っている制服姿の狛江琴音。今、俺の中では話題の人だ。主に関わると夕飯が減る超危険エネミーとして。これ以上関わるとさっき荒川に言われたように栄養失調になってしまう。飽食の現代日本で栄養失調とか笑えないし、早々に別れなければ。


「いや、家に帰ってきただけなんだけど」


 そう言いつつも、もしやと思いポケットに突っ込んでた紙を開く。そこには連絡先としてメールアドレス、電話番号のほかに住所が書いてあった。その住所は確かにここ、俺の住むアパートと同じだ。そして驚くべきことに、彼女は俺の隣の部屋の住人のようだ。


「あー、201の片倉って俺なんだよ」

「え? ほんとに?」

「なんでわざわざ嘘つくんだよ。じゃあな、俺は夕飯食って寝るから」


 そういって階段に足をかけると、思いっきり肩をつかまれる。


「待って」

「なんだよ」

「お礼思いつかないなら、私が夕飯作ってあげるってのはどう?」

「いや、ここにあるだろ夕飯」


 俺は荒川から1つ貰って、2つになった試供品のゼリー飲料を見せてやる。1つは飲みかけだけど。


「えっと、それだけ?」

「いや、こいつもある。言っとくが、普段はもうちょい食うぞ。割引総菜と米とか」


 ポケットからブロック栄養食まで見せてやったというのに、狛江さんの目が信じられないものを見る目に変わる。


「正気?」

「俺はいつでも正気だぞ。昨日も今日も割引総菜買えなかったからエネルギー不足なんだよ。早く俺を解放して寝かせてくれ。エネルギーの節約めっちゃ大事だから」


 俺がそう言うと、分かってくれたのか、狛江さんはあっさり解放してくれた。

 超危険エネミーでも話せば分かってくれるらしい。話せば分かる、やはり偉大な言葉だ。まあ、残した本人はそれを言ったうえで殺されたけれども。


 *


 風呂に入って今日の疲れを洗い流す。昨日、今日と色々あったが、もう何も起きないだろ。今年1年分、いや来年分くらいまでのイベントを消化した気がするし。明日からはきっといつも通りの日々だ。

 そんなことを考えながら、烏の行水さながらの風呂を済ませると、待ち構えていたかのように呼び鈴が鳴った。

 そういえば母さんが何か送るって言ってたっけか。レンジでチンすると夕飯を彩る一品に早変わりするレトルト食品だといいのだが。


 必要かは知らんが、印鑑を持って玄関の扉を開けると、ずいぶんとおしゃれな私服に着替えた狛江さんが立っていた。

 残念、母さんからの支援物資ではなかった。じゃなくて、なんでいるんだよ。


「なに用で? 今から寝るとこだったんだけど」

「私のせいで割引総菜買えなかったんでしょ。あそこのスーパーの総菜って美味しいけど、タイムセール始まったら一瞬で無くなっちゃうし」

「そうだとして、なんかあるのかよ」

「否定はしないんだね」


 一拍置いて、じゃじゃーんとありふれた効果音。狛江さんの口から飛び出したものだ。それに合わせるようにして、狛江さんの背中に隠されていたタッパーが出てくる。


「なにこれ?」

「ロールキャベツだよ」

「いや、そういう意味じゃなくて」


 さすがの俺とてロールキャベツくらい分かるわ。いったい俺はなんだと思われてるんだ。


「差し入れ? とりあえず昨日のお礼第1弾だから」


 第1弾ってなんだよ。第2弾以降もあるのか?


「もしかして苦手な食材とかアレルギーでもあった?」

「いや、そういうのはないんだけどな」

「じゃあ、はい。受け取るまでここに居続けるからね」


 勘弁してくれ。昼間は夏の暑さが抜けきってないとはいえ、夜はかなり涼しいぞ。風邪ひかれても困るし、何より俺が風邪をひきかねん。食生活崩壊してるから免疫力ゴミだろうし、風邪ひいたら割とシャレにならない感じになるぞ。冗談じゃなく死にかける。


 見つめ、いや、睨み合う事1分ほど。残念な思考回路はエネルギー切れで得意の莫迦な考えも吐き出さなくなった。


「受け取るから部屋戻れ。タッパーは明日返す」

「うん!」


 俺がタッパーを受け取ると、満面の笑みを向けてから狛江さんは部屋に戻っていった。ロールキャベツの入ったタッパーは、まだだいぶ温かい。


「まあ、腹は減ってるし頂くか」


 昨日からまともな飯を食っていなかった俺には、タッパーの中身は御馳走にしか見えない。なんか盛られてたらそれまでってことで。いつも飯を適当に済ませているとはいえ、俺が食べ盛りの男子高校生であることに違いはなかったらしい。

 狛江さんと入れ替わりにやってきた親からの支給品のうちのひとつ。レンジでチンする米と蓋を開けたタッパーを共に机に並べる。

 エコでクリーンで地球環境にやさしい俺は、マイ箸を持っているので食べる道具がない、なんてことにはならない。いや、この間親が来た時に、色んなものがないことに驚いて置いてったもののひとつなんだけど。ロールキャベツはスプーンで食った方がスープも一緒に楽しめる、なんて言葉は俺には聞こえん。スプーンがなくても食えないわけじゃないんだし。


「いただきます」


 まずは一口、ロールキャベツを口に運ぶ。口に入れると味が一気に口の中に広がり、噛むと肉汁があふれてくる。タネをくるんでいるキャベツもよくスープを吸っていて美味い。

 これほど美味いものを食ったのは、いつ以来だろうか。もしかしたら、だいぶ料理が上手かった母さんのより美味いぞ。もう1年半とか母さんの料理食べてないから忘れかけてるけど。

 いや待て、冷静になるんだ。俺の腹が減っていたから、これほど美味く感じているんじゃないか? 空腹は最高のスパイスっていうし。まだ、胃袋を掴まれてないぞ、俺は。って誰に言い訳してるんだ。


 *


「うへぇ、食いすぎた」


 ロールキャベツは2個。俺は、それで米を3杯分食べた。1個につき1杯分、最後に残ったスープをかけてもう1杯分。どう考えても食べすぎだ。俺に3食分の主食を1食で食わせるとは、やるな狛江さん。貴重な主食がまたピンチだよ。俺の認識は間違っちゃいないな。

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