四
さて、世の中にはうまい巡りあわせというのがあるものでござまして、まもなく妻の誕生日が近づいていたのです。
夫はこの好機を逃すまいと即座に意を決しました。妻には内緒で猫を購入し、誕生日にサプライズとしてプレゼントすることにしたのです。
夫にしてみれば、それは一世一代の企てでありました。サプライズといえば、これまでにもプロポーズという一大イベントもありましたが、そのときはあまりに月並みでしたので、残念ながらもはや二人の記憶には何も残っていないほどでございます。そのことがいまだに悔やまれていたのかもしれません。夫の心にずっと引っかかっていたわだかまり、それに対するリベンジの思いが、夫の決意に拍車をかけたのでございました。
しかしそうと決まれば夫の行動の早さには目を見張るものがございました。仕事帰りにペットショップに立ち寄り、諸々の調整に精力的にとりかかったのです。どの猫を買ったら妻が喜ぶだろうか。先に支払いはするが、誕生日まではショップで預かっておいてもらえるかどうか。そして誕生日の当日にはどんな手はずで猫を家に届けてもらえるか。などなどでございます。ペットショップの方も、お客様の微笑ましい美談に一役買えるということであれば、一切の協力を惜しむことはありませんでした。
そんなこんなで、とんとん拍子に話はまとまっていきました。
誕生日の夜は小洒落たレストランのディナーを予約します。そこでプレゼントは猫だと告げ、購入した猫の写真と血統書を妻へ渡す。そして二人が帰宅する時間を見計らって、ペットショップから家に猫が届けられる。
夫は「我ながら完璧な計画だ」と自分自身でもうっとりする次第でございました。
ほどなく妻の誕生日がやってまいりました。夫は朝から気もそぞろで、ろくに仕事も手につかない状況でございました。予約したレストランは初めて訪れたお店ではありましたが、雰囲気もよく、店員も親切で、夫はもう始めから大満足だったのでございます。
なにはともあれ、まずはシャンパンで乾杯です。
「誕生日おめでとう!」
夫はいつになく幸せな気持ちに包まれていました。
コース料理を楽しみながら、しばらくは普段通りの会話を続けました。ワインを何杯か飲むにつれ、ほどよく気分も高まってまいりました。そして夫は、満を持してプレゼントの前振りに入ったのでございます。
「最近すっかり猫の動画尽くしだよね」
夫は興奮気味に鼻の穴をピクピクさせていました。
「ええ、そうね。なんだか私もすっかりのめり込んでしまったわ」
妻はいつものように落ちついて答えました。
「いや〜、でもその気持ちよく分かるよ。僕も仕事が今みたいに忙しくなかったら毎日でも動画を見てると思うな〜」
「そうよね」
「だって猫って本当にかわいいもんね」
「あら、そうかしら」
「…え?」
ステーキを切りかけた夫の手はピタリと止まりました。
「い…今なんて?」
「『あら、そうかしら』って言ったのよ」
「『あら、そうかしら』って…?か、かわいくないってこと?」
「かわいくないことはないわよ」
「かわいくないことはない…?」
「そうね。一般的には」
「い…一般的には…?」
夫は「何かがおかしい」という思いを払拭させたいあまり、ワインを一口に飲み干しました。妻は何度も聞き返す夫を少しいぶかしげに見つめていました。
「で、でもさ…、最近はいつも猫の動画をよく見てるし、『いいね』とか押したりしてるよね…」
「そうね」
「そうねって…。だからよっぽど猫のことが好きなんだろうな〜って思っていつもみてたんだけど…」
「誰が?」
「だ、だ、誰がって?」
「私が?」
「え?あ…うん…そう…」
「やだ、違うわよ!私が『いいね』ってしてるのは飼い主に対してよ」
「か、か、飼い主に?」
「そうよ。飼い主。だってそうじゃない?猫って部屋中を走ったり飛んだりして、家の中のものを倒したりひっくり返したりするし。う〜ん…なんていうの?もう、とにかく無茶苦茶でしょ?動画とかよく見てるとね?ソファーをひっかきまわしたりして、もうボロボロになったりしてるわけよ。ソファーの背の部分とかがね。それでも楽しそうにビデオを撮って喜んでる飼い主の人たちって、本当にすごいなあと思ってるの。なんていうのかしら。寛大っていうのかしら。人間ができてるっていうのかしら。ね?そう思わない?」
夫はすでに気が動転していて、固まったまま返す言葉を失っていました。
「私には絶対に無理ね。家中すっちゃかめっちゃかにされたらかなわないわ。そういえば昔ね?友だちから『猫をあげようか?』って言われたことがあったんだけど、断って正解だったわ。猫と暮らすなんて考えただけでゾッとするもの」
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