第5幕



「いってきます!」

日曜日。

今日は、待ちに待った演劇部の新入生歓迎会当日である。

玄関を出た絢音は、家の近くのバス停まで歩いていく。

今日の新入生歓迎会は市民会館で開催されるため、バスを使っての移動となる。なので、いつもとは少し違った小旅行感を味わえるのだ。


バス停に着く。

運行表を確認したところ、目的のバスが来るまで、まだ数分程度余裕があるようだ。

週末ということもあってか、普段よりも車道を走っている車の数が多い。

青い空にまばらな雲々。

黒いアスファルトの道路に、車やバイクのエンジン音がこだまする。そんな、車やバイクのエンジンの音による野外演奏会の中に、独特な音を奏でるエンジン音が聞こえてきた。

絢音は、独自な音を奏でる車両に目を向ける。


––––––来た!

そう、言わずもがな。今まで絢音が待っていた、目的のバスなのである。

市民会館行きのそのバスは、絢音の居るバス停にゆっくりと停車した。

絢音や他の乗客を乗せたそのバスは、ゆっくりと発進した。


暫くして再び、そのバスは野外演奏会の一部と化した。


後方の窓際の席に座った絢音は、窓枠に右肘をつけ、顔の重さを右腕に委ねた。そうしてそのまま、窓の外の世界へと目を向ける。

バスの中から見る、いつもより少し高い世界。普段なら見通すことが出来ない反対側の道や車も、軽々と見通すことが出来てしまう。走るバスから見る世界は、普段いつもと同じようで、毎日いつもとは少し違っていた。

バスは時々停車して、バス停で待つ他の乗客を次々に乗り込ませる。

若い男の人やスーパーでの買い物帰りの主婦、小さい子どもを連れたおじいさんに、世間話で盛り上がるおばさんたち。

市民会館行きのこのバスは、様々な人々を乗せて、市民会館への道のりを走っていく。


普段いつもと変わらぬ日曜日。

毎日いつもとは少し違う今日という日。

小旅行のような今日という日を、絢音は心から楽しみながら、目的地へと向かっていった。

───────────────


バスを降りる。

目的地である市民会館は、もう目と鼻の先である。

「おぉ〜、久々に来たけど……やっぱり新しくなってる!」

市民なら誰もが知っているであろうこの市民会館は、数年程前に老朽化を理由に全面的な改修工事を行った。

その結果、外観だけでなく建物内のあらゆる設備や事務所、更には駐車場までもが最新の物へと大変貌を遂げ、以前までの古臭いが何処か哀愁漂う姿から、県内外に誇る最新鋭の劇場兼娯楽施設へと姿を変えた。

まさに、劇的ビフォーアフターである。


絢音は、集合場所となっている正面玄関へと向かう。

すると、既に4人程の人影が、正面玄関の近くで待っていた。

「あ、おはよう。絢音」

「おはよう、絢音ちゃん」

「おはよう!絢音ちゃん!」

「悠希に美香先輩にみどり先輩、おはようございます!」

絢音は、既に集まっていた3人に挨拶を返すと、

「おはようございます、三崎先生」

元気よく、顧問の三崎先生に挨拶をした。

「おはよう、絢音。朝から元気だなぁ、絢音は」

「へへへ。今日が楽しみだったので」

「絢音も?私も今日を楽しみにしてたんだ!」

「確かに、悠希ちゃんはすごく楽しそうだったわね。私は30分くらい前にみどりちゃんとここに来たけれど、その時には、もう悠希ちゃんがいたのよね〜」

「そ、そんなに早くから⁉︎」

「うん…なんだか待ちきれなくて」

悠希は少し照れながら、そんなことを言う。

確かに、私も少しわかるような気がする。

私も、今日の新入生歓迎会を楽しみにしていたし、何よりも、悠希や部員のみんなと会えるのが–––––とても待ち遠しかった。


悠希はスマホで今の時刻を確認した。丁度、集合完了時間の15分前になっていた。

「詩先輩と紗奈ちゃんはあとどのくらいで着きそうですか?」

「そうねぇ……。さっき詩に連絡したら、『もう目の前よ』って返信が来たから、そろそろ着くと思うのだけれど……」

美香は、少し心配そうな表情でそう言った。

すると、美香のスマホから着信音が聞こえた。どうやら詩先輩からの着信のようだった。

そこには、『今着いた』と一言。

「みんな早いわね…。私達が最後みたいね」

美香のスマホの画面から顔を上げると、そこには詩と紗奈の姿があった。

「おはようございます。皆さんお早いですね」

「紗奈ちゃんも一緒だったんだ!おはよう!」

「おはよう、紗奈ちゃん」

「絢音に悠希ちゃんもおはよう」

「詩ったら相変わらず朝に弱いんだから」

ふふっ。と美香は詩に対して微笑ましく頰を緩める。

「ち、ちょっと!そんなことは……ないことはないけど、流石に早すぎないかしら、貴方たち」

「そうですかね……?」

「うーん、そんなことはないと思いますけど……。それよりも、慌てた詩先輩可愛かったですよね?」

紗奈にこそこそとそんな話をするみどり先輩。

「そこ、思いっきり聞こえてるわよ」

ばれてましたかー、と笑顔で誤魔化する気が全く無い。

やはり今日も、いつものようなゆるさを発揮している演劇部なのであった。

───────────────


開館時間を迎え、絢音たちは正面玄関から建物の中に入る。

高い天井に豪勢なシャンデリア。

お洒落な壁紙に、エントランス全体に敷き詰められた赤色の絨毯。

正面玄関から一番始めに目に入るのは、やはり二階席へと続いている巨大な螺旋階段だろう。その内装は、とても市民会館でやっていいレベルのものではない。

第一、これ程までに内装に力を入れているとすれば、維持費はとんでもない額になってしまうだろう。

全く以ってその通りで、その維持費に似合う程の人気や知名度を出す為に、積極的に舞台や演奏会を行い、何とか元を取れているに近い状態であった。


それはそれとして。


「す……凄い」

「改めて見ると、どこもかしこもお金がかかってるわね…これ」

市民会館の内装に驚愕する彼女たち。

「それじゃあ、劇場内に入るけど、開演時刻までにトイレとかを済ませておいてね」

三崎先生の諸注意を聞いた彼女たちは、開いている扉からホール内へと足を踏み入れる。


その景色はまさに圧巻。

赤色で統一された椅子に、上に横に広い観客席。

二階席も結構な数の椅子があるのだろう。

緞帳どんちょうには大きな刺繍が施され、まさに劇場という空気を醸し出していた。

絢音たちはそんな広いホールに圧倒されつつも、其々指定された席に座る。今日は週末ということもあり、一般客の数も平日よりも多い。

舞台が始まるまで、まだ少し時間がある。

「今のうちに水分補給をしておいた方が良いわよ」

「わかりました」

「ホール内は飲食禁止なので、ホールの外に出てから飲食してくださいね」

「了解しました、みどり先輩」

絢音は、軽く敬礼しながら返事を返した。

────────────────


開演時刻を知らせるブザーが鳴り、ホール内の照明がゆっくりと落ちていく。

『それでは間もなく–––––』

暗闇に響くアナウンス。

『開演致します』

開演を開始するアナウンスが出され、緞帳が上がっていく。

瞬間。

暗闇の舞台に唯一差し込む、スポットライトの光。

女性の姿と影が舞台に映る。

その女性の役者の台詞によって、今この舞台は生命を吹き込まれたのである。

────────────────


「やっぱり、プロの演劇って凄い……」

絢音は、コーヒーを飲みながら、そう呟いた。

何故、絢音がコーヒーを飲んでいるのかというと、あれから圧巻の舞台は、様々な印象を残して幕を閉じた。

なので新入生歓迎会は無事に終了し、そのまま現地解散となったのであるが、

「丁度お昼時ですし、折角ならみんなでお昼ご飯でも食べに行きませんか?」

という立花みどりの提案によるものであった。

この提案に反対する者は一人もおらず、満場一致で採択となったのである。がしかし、一体何処のお店に食べに行くべきか、という事までは決まってはいなかった。

「それなら、私のお店に食べに来ませんか?」

紗奈は絢音たちに対し、そう提案した。


そんな経緯があり、絢音たちは紗奈の親が経営する喫茶店でランチタイムを過ごしているのである。

話題はやはり、先程の舞台の事についてである。照明の色や差し込み方、SEの入れ方に演出方法。大道具の仕掛けに役者の演技など、話題は尽きない。

しかしその一方で、“高い壁”というものをまじまじと見せつけられたようにも感じてしまう。勿論、プロの劇団だから仕方がないというところもあるのだが、やはり他の高校演劇の舞台を知っている二人からすれば、今のこの状況に、焦りや迷いが生じてしまうのも無理はなかった。

「–––––っていう台詞に対しての照明のタイミングが本当に素晴らしかったわ」

「わかります、美香先輩!あそこのシーンは本当に……」

白熱する舞台の話題。しかし、この喫茶店でお昼を過ごして、既に一時間が経過していた。まだまだ語りたい話題は尽きないのだが、流石にこれ以上長居してしまってはお店に迷惑がかかってしまう。

なので、今日の新入生歓迎会は、ここで解散となった。


「悠希、一緒に帰ろ!」

「う、うん」

美香先輩や詩先輩と別れ、二人は共に歩みを進めた。

けれど悠希は、絢音の背後で俯きながら、静かに歩いてしまう。


悠希は途中の道で絢音と別れ、一人家へと歩みを進める。

言い出したくても言い出せない。

もしかしたら、絢音が私を嫌いになってしまうかもしれない。


それでもやっぱり、訊かなくてはならない。


そんな小さくて、けれどとてつもなく巨大な勇気が、今の彼女には、まだ無かったのだ。





(続)

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