第2幕
「私の目標は、全国大会の舞台に立つこと。ただ、それだけです」
悠希は、堂々と真剣な眼差しでそう語った。
「ぜ…全国⁉︎」
すごい。ただ単に演劇を楽しむことを一番だと考えていた私とは違って、悠希ちゃんは本気で演劇というものに向き合ってる。
「全国大会。大きな目標よね」
「夢は、大きくでかく、ですね!」
寺内部長にみどり先輩の楽しそうな感じを見ていると、こっちまでわくわくしてしまう。
「夢かぁ〜。悠希ちゃんが夢を追い続けてる姿を見ると、こっちまで応援したくなってきちゃうよ!」
「あ、ありがとうございます」
先輩や絢音の思わぬ反応に、悠希は少し照れてしまう。
けれど、
「自己紹介も済んだことですし、演劇部の日々の活動内容についてお話しするわね」
美香は、演劇部の活動について話し始めた。
「先ずは声出し練習。詳しくは、このプリントを参照にしてね。それが終わったら…」
声出し練習に滑舌練習、外郎売りの音読に軽い筋トレ。これを全て、部活が始まる前に全員が済ませておくのだとか。
「寺内先輩。普段の練習って、どこで行っているんでしょうか」
「この文化棟に隣接している体育館で行っているのよ。
「なるほど」
「照明や裏方については、また志望を聞くから、その時に説明するわね」
そんなこんなで話は進み、あっという間に部活の終了時間が来てしまった。
「あら、もう終了時刻なのね。今日はここまで。お疲れ様でした〜」
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした」
絢音と悠希の二人は、揃って挨拶をした。
そのまま、床に置いてある鞄を手に取って、
「お疲れ様です!」
と、綾音がそう言ったのを見て、
「お疲れ様でした」
と、悠希も続けて言った。
お疲れ様〜と、寺内美香と立花みどりは笑顔で手を振った。
二人は手を振り返して、部室を後にする。
–––––––––––––––––––––
文化棟の昇降口へと繋がる廊下を、二人は何故か黙って歩いていく。
暫くの沈黙。
その僅か十数秒の静寂を打ち断つかのように、
「ねぇ悠希ちゃん、よければ一緒に帰らない?」
絢音は、悠希に対しそう提案した。
悠希は、困惑しつつもその提案に対して考える。
果たして、このまま断ってもよいのだろうか。でも、私の唯一の友達になってくれるかもしれない子なのだ。
あの時の事を彼女は覚えていないとしても、あの時の彼女にとっては、偶々一緒に居たというだけの存在だったとしても。
それでも。私の最初の友達なのだと思う。これからも、ずっと一緒に過ごしていくのなら、もう、答えは決まっている。
「––––––うん、もちろん」
悠希は、微笑みながらそう答えた。
「やった〜!ありがとう、悠希ちゃん」
「悠希でいいよ。えっと…絢香ちゃんは、好きなものとかって…ある?」
「絢音でいいよ。私の好きなもの?…ん〜そうだなぁ…」
「あ、ゆっくりで大丈夫だよ」
文化棟の昇降口で、靴を履き替えながら、自分の好きなものを考える絢音。
「ん〜…はっ!本とかよく読むかなぁ〜」
「本かぁ。例えば、どんなジャンルの本を読んでるとかってあったりする?」
「えーとね…殆ど小説しか読んでないや」
あはは、と少し照れながら言った。
「わ、私も小説はよく読むよ」
「え⁉︎ほんと⁉︎」
「うん。例えば––––––」
そんな話をしながら、二人は校門を通って、帰り道を歩いていく。
「へぇ〜そんな小説もあるんだねぇ〜世界はまだまだ広いなぁ」
「確かにね。でも私だって、まだまだ読めてない小説は沢山あるから」
「まだまだ成長するのですか⁉︎悠希先生!」
「せ…先生って…」
「ご、ごめん。嫌だったよね…私も少しはしゃぎすぎちゃったから…」
「大丈夫だよ、絢音。先生って言えるほどじゃないけど、私ももっと、小説を読み漁るから!」
「おぉ…。これはまだまだ伸びしろが…!」
そんなお話をしながら、二人の顔は静かに微笑む。
やさしく。
たのしく。
やすらかに。
西の空に、低く浮かぶその夕陽は、橙色の優しい光を放ちながら、ビルの山々の合間を縫って地平線へと沈んでいく。
歩道橋を渡るふたりの影は、静かにゆっくりと、それでいて、どこか暖かみを持ってハッキリと、すぐ下の車道へと映し出される。
「私はこの道を左に曲がるんだけど、絢音の家も同じ方向にあるの?」
「ううん、私はこのまま道を真っ直ぐ行ったところにあるの」
「それじゃあ、ここでお別れだね。絢音とお話が出来て、とっても楽しかった」
「私もだよ。悠希ちゃん、また明日!」
ぶんぶん、と絢音は笑顔で手を振る。
「うん。また明日」
ゆっくりと、けれど笑顔で手を振り返した。
––––––––––––––––––
「ただいま」
玄関のドアを開ける。
誰もいない部屋。
暗い、静かな廊下。
悠希は、廊下の照明のスイッチを入れる。
悠希の親は共働きなのだ。
現代に於いて、夫婦の共働きというのは珍しくない。しかし、ほんの数年前までは、中々見かけない光景だった。
悠希の親もそのひとつ。
悠希のお母さんも、比較的早めに帰宅するのだが、それでも悠希の帰宅する時間よりも遅くなってしまうことは少なくない。
悠希は自分の部屋に入って荷物を置くと、早速私服に着替える。
年頃の女の子らしい、あまり派手ではないが、明るい色合いの服。
すると悠希は、鞄からスマホを取り出し、ベットにぽすっ、とうつ伏せに寝転がる。
悠希のスマホでは、学校の帰りに交換した絢音の通話ツールが表示されていた。
だが。
あまりこういうものに慣れていない悠希は、何と言葉を使うべきか、少し悩んでしまう。こういうタイプの通話ツールを使ったことがない訳ではない。だが、基本的に親との連絡に使用するので、こういう時、特に“友達”との会話について、どういう言葉を使えば良いのか。慣れてしまえばどうという事はないのだが、それに慣れるまでが大変なのである。
簡単に云えば、初心者あるあるというやつである。
取り敢えず、当たり障りのない言葉から入ってみる。
“絢音ちゃん、今日はありがとう”
“ううん、こちらこそありがとう!とっても楽しかった!”
“私も楽しかった。久しぶりに楽しいお話ができたよ”
“こっちも楽しかったよ!ありがとう!”
“ねえ絢音ちゃん、聞きたいことがあるんだけど…”
“どうしたの?悠希ちゃん?”
“私と絢音ちゃんって、友達なのかな…?”
“当たり前だよ!悠希ちゃんは私の友達だよ!それに、一緒にいて楽しいと思ったり、安心できたりしたら、その時点で友達だよ!”
––––––やっぱり、全然変わってない。
絢音は、ずっと絢音のまま。
私は、今もずっと私のまま。
私が唯一、気を赦せる存在。
あれだけ、楽しいと思えたのは、久しぶりだった。ずっと、私は、絢音の友達だった。
いままでも、これからも。
“ありがとう。私も、絢音の友達で、嬉しいよ”
“私もだよ!悠希ちゃん、明日もよろしくね”
“また明日もお話しようね”
“うん!それじゃあまた明日!”
“また明日”
「明日が楽しみだなぁ…」
絢音は独り、静かにそう呟いた。
絢音はふと、壁掛け時計を見る。
…そういえば、そろそろ夜ご飯の時間だっけ。
絢音はベッドから立ち上がって、自分の部屋を出た。
階段を降りて、リビングのドアを開ける。
「絢音か。ちょうど呼びに行こうと思っていたところだ」
「ナイスタイミング〜」
「お、お母さんまで…」
とまぁ、母と姉とのいつもと同じような平和なやりとりを終えて、絢音は席に着く。
「いただきます」
母と姉と絢音は、夜ご飯を食べ始めた。
「絢音、今日から高校生だけど、学校で何かあったの?」
「実はね、今日部活動の体験をしてきたんだけどね、なんとそこで、高校での初めてのお友達が出来たんだよ!」
「おぉ〜いいじゃない」
「絢音が一緒に帰っていたあの子か」
「何でそれを知ってるのお姉ちゃん⁉︎」
「それでそれで、お友達の名前は何ていうのかしら?」
「うん。三河悠希ちゃんって云うんだけどね」
「ほほう」
「私と同じで演劇部に入部する予定なんだって!」
「よかったじゃない〜」
「うん!」
母と姉との会話は続く。
そんな友達の話題は、まだまだ尽きそうにない。
「悠希、少し嬉しそうな顔をしてるけど、何か嬉しいことでもあったのかしら?」
「うん、お母さん。実はね––––––」
楽しかった。本当に嬉しかった。
あの時、絢音が友達だと言ってくれて嬉しかった。
だから、こんな私でも。
「私の初めての友達が、出来たの!」
(続)
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