第8話『殴られて強く育つ。』

はぁ~・・・」

「なんだよ、気持ち悪い。」

そう、クラス一騒がしいお調子者、天野は元気がない様子だった。

悪いがこちらからすると、久々かつ貴重なこの平穏の時を、実に有り難く感じている次第である。

「すっげーモヤモヤする!誰かに話したい!けどなぁ。はぁ~。何だかなぁ!!」

前言撤回。少し相手するとすぐコレだ。元気の有無なんて関係無く、やっぱり奴の存在そのものが鬱陶しさで出来ているみたい。

「んだよ、いいから早く言えよ。」

「昨日なー。」

「あぁ。」

「煩いって言われた。」

「え、そうでしょ?」

「何ですとぉ!」

そうじゃなくって!と天野は手と首を回し全力で否定する。

「隣の部屋の人に叩かれたんだよー。」

「え?喧嘩?」

「いや、壁を叩かれたんだけど。」

「なんだぁ。」

「なんだじゃないよ!」

「ってか、お前んちマンションだったの?」

「ん?言ってなかったけ?俺、今一人暮らししてるんだよ。」

「・・へぇー。」

知らなかったー。どうでもいいー。

アパートやマンションの需要が高まった現代、昔よりも隣人とは疎遠になったが、心に反して物理的な距離間隔は却って近くなったと言えるだろう。

つまり天野の住宅環境は、ちょっと羽目を外せば振動あんなことから奇声こんなことまで、隣へ漏れなく筒抜けになるのだ。

ってことはつまり…。

「なっ…。お前、やったのか?」

「うん。やったよー。」

「ふーん、そう…。で?どうなんだ実際?」

「あぁ、まさにリサイタル!弾いて動いて!」

「…?あ、あぁ…」

そっちか。うん、そうか…そうですよね。

いつの間に色気づいたのだ、と勘違いした。この時程、自分の多感さを憎らしく思ったことはない…。

「家でやる時はアンプにヘッドホン繋げって注意したろ?」

「そうなんだけどさー。ギター買ってからというものの、練習は地味なんだけどさ、出来るようになることが楽しくって。」

「うん?」

「で、時々復習すると止まんなくなっちゃうのな。」

「はぁ。」

「でね、テンション上がってきて、立って、首振って、跳ねてなんてやってたらさー。ケーブルが抜けてたっぽいんだよね。最初は、まるで歓声か聞こえてくるようだ…なんて思ってめっちゃ燃えたんだけど、段々と声圧が増して来たなって思ったら…。」

「一発ドカンときたと。」

「うん…。」

「なるほど…。」

何だかよく分からないけど、コイツは昂ぶると理性が吹っ飛ぶタイプらしい。


楽器を始めるに当たって、最初にぶつかる壁。技量を磨くことも確かにそうだが、練習場所・時間を確保することも同様に難しいのかもしれない。昔は公園や川辺に持っていけば良かったかもしれないが、子供が遊具で遊ぶことすら難しい現代ではそうもいかない。

だから俺は、エレキギターの中から選ばせたのである。アンプにヘッドホンさえ挿せば、スマホやPCと同じで、音漏れが耳元までで完結するからだ。

まぁ、もしギターに穴が空いているのなら、そんな対策も虚しいことに成り兼ねないのだが、その話は今するべきことではない。


「こんなにテンション上がるの、彼女と遊んでる時くらいなんだよなー。」

「つまらない冗談はいいから。」

「ぇ〜。」

ぇ〜って…

ぇ?マジなの?

「まぁいいや…。んで、セッティングは?」

「え?聞いてくれないの?つまんないなぁ♪」

さっきからさぁ、こっちは真剣に対応してるのに。

おちゃらけた天野の態度に腹が立ち、全力で睨みつけてやる。

「怖…。10、10、10の、10で10!」

「は…?」


イコライザーオール10に加えて、ボリューム、ゲイン共に10?

所謂フルテン、…どころではなかった。

毒電波以外の何物でもないでしょう、それ。

コイツ、地下スタジオ以来、耳が腐ったんじゃないか?いや、もともと耳悪いけど!


「数字が一番大きいってことは、最大の性能を発揮してるってことでしょ?だから、取り敢えず全部MAX!」

「そっかぁ…。お前の中では、お日様が沈むと陽射しが強くなるんだな。」

「いきなり何のポエム??」

恥ずかしくないんですか?と煽る天野に、情景反射でチョップをかます。

…も、難なくかわされてしまい、思わず大きな舌打ちが出た。

「なぁ、天野。一日で一番明るくなる時間帯っていつだ?」

「んー。お昼?」

「だよな。いいか、音楽機材っていうのは時計なんだよ。」

「どこに付いてるのさ。」

「そういうのいいから。昼って何時だ?」

「12時?」

「そう。で、太陽はどこにいる?」

「頭の上?」

「……そう。つまり、てっぺんにいる12時が一番明るい訳だ。それと同じ。」

「でも、一番上を向いてる言っていったって、5って真ん中の数字だよ?半分なんだから、完璧な音じゃないってことでしょ?」

「だからさ、良いんだよそれで。中間の目盛りで合わしとけば、当たり障りが無いんだから。」

「横暴だー。」

「違うよ。寧ろ基準になっている。ここからなら数値が増えても減っても、調整幅は±5。なんか変だと思ったら、一回振り出しに戻って真ん中まで回せばいい。ほら、ゼロや10から始めるより効率がいいだろう?」


嘘か本当か、音楽機材の大体のものの設計は真ん中がセールスポイント売り込みたい最高の音になるように調整されている…と噂されているくらいだ。


「つまり、全部正午にすれば間違いないんだね!」

「いや、それこそ横暴なんだけどなぁ。」

「………。なんか、もうよく分かんないね。」

「そうだなぁ…。音作りはよく分かんない。底無しの沼だよ、まるで。」

「はぁ〜。でも、これじゃあ何のために楽器やってんのか分かんないよ。縮こまってちっちゃな音でコソコソ弾いてさ!思ってたより楽器ってつまんないじゃん!」

「ほーーーーぅ。」

「…ぇ?羽月さーん?」

「演奏とは何たるか、お前のその貧相な耳に叩き込んでやる。週末にバーへ行くから逃げるんじゃねぇぞ!」

周囲に天野以外の人間がいないことを確認すると、スマホを取り出し電話をかけた。

「もしもし?藤吉さん?」

ようこそ。天野くん。

ギタリストへの第一歩へ…


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