第9話『100回見るより、1 回の触れるコト。』

<<9-1>>

土曜日。夕方のこと。

「おーい、羽月ー!」

「遅いぞ。」

「いやー、ごめんごめん。」

「全く。楽しみ過ぎて眠れなかったとか、小学生かっての。」

今回の用事、全ては天野のモチベーション向上を狙ってのものだ。

今から行く予定の音楽バー『starlit』は、食事の合間にバンドによる演奏を楽しむことが出来る、ちょっと変わった飲食店だ。

デートスポットとしても有名であり、最近は開店の一時間前から行列が出来ている程なんだそうだ。

だから早めに行って、少しでも良い席を取りたかったのに。


「でもさ、何で僕までついてこなくちゃいけないの?別に、ちゃんと音出して音を感じたいって言うならスタジオでもいいじゃない。なんなら、ぼくんち貸すし。」

「あそこ、機材が散らばってて身動き取り辛いし、落ち着いて出来ないんだよ。それに、遠いし。」

相変わらず藤吉さんは勘違いをしているが、そもそも、今回の目的は練習することでは無い。

天野に雰囲気を肌で感じて貰うことだ。

『思いっきり楽しみたいのに、宅練は閉鎖感を感じて面白くない。』

『出来ることは増えてきてるけど、上手くなっている実感はないー。』

ギター始めてからというものの、天野はずっとこのようなことを愚痴ってきた。

純粋に楽しめないっていうのも確かにその通りなのかもしれないが、恐らく天野はスランプに陥っているのだろう。

そんな輩に『自分で音出ししてみろ』はただの拷問だ。

大音量のアンプはバカ正直なので、プレイヤーの腕前をストレートに伝えてしまう悪癖がある。そんなの、追い打ちをかけるに等しいではないか。

まぁそうは言っても。

今まで、相手にすると煩いので、『一ヶ月以上続けてから物を言え。』と突っぱねて適当に誤魔化してきた身である。

そろそろその言い訳もきつくなってきたので、仕方なく今回に至る訳だが…。


確かに、藤吉の地下スタジオは楽器屋顔負けの敷地と設備を備えている。寧ろ不要なレベルにまで。

ただ、その設備在庫が尋常じゃない。散乱したその在庫品の中にいると、最早、部屋というより押入れに閉じ込められた気分になるのだ。

お陰で身動きが取り辛く、無駄な神経を使ってしまうし、それでは雰囲気がぶち壊しだ。


「でも、せっかくの防音室なのに、何で物置にしちゃってるのさ?」

「まぁね、うん。可哀想な子達を片っ端からかき集めてて、気が付いたらこうなってた。孤児院みたいなもんだよ。まぁ、最初の内はメーカー出荷状態に限りなく近づけようと綺麗に直してたんけど、段々追い付かなくなってきてね。今では、賞味期限切れになったら適当な売り文句つけて、在庫不足の中古屋に引き取って貰ってるよ。」

「それってどちらかと言うと、人身売買じゃないの?」

「酷いなぁ。それとね、最近、壁にひび割れが出来てるのが分かったんだ。だから、修繕の目処がつくまでほったらかしてたんだよ。もしかして…重量オーバーなのかな?って思ってるけど。」

「えぇ…。」

この前、帰り道で近所のおっさんにすっげー睨まれたのはそれが原因かぁ!

ってか、地下から音漏れする程の亀裂って、かなりのパワーワードなんだけど、一体何なの?



<<9-2>>

可笑しな会話を繰り広げていると、待ち時間はあっという間だった。

「3名でお待ちの内海様〜。」

「はーい、はいはい!」

はしゃぐ天野。周りの視線が凄く痛い。

いっその事、その辺に繋いで置いてってしまおうか。ペット禁止らしいし。

「奥の席にご案内いたしますね。」

黒のベストと蝶ネクタイに身を包んだその装いは、従業員一人一人の品の良さを連想させる。

室内の中心には巨大なシャンデリアがあり、そこから円を描く様に並べられた指先程のクリスタルが照明の電球色を反射し、部屋の闇がりを薄っすらと演出している。

シャンデリアの真下には円形のステージがあり、そこを取り囲むように噴水が設置されていた。

「うわぁ…。凄いね!なんか大人って感じ!」

「うん。噂には聞いていたけど、随分と洒落た内装だねぇ。子守じゃなかったら最高だったんだけどな。」

「でも藤吉さん、良かったでしょ?一緒に行く相手いないのに言い訳付いたじゃん。」

「お前ねぇ、少し黙って喋って?」

席につき、メニューを手渡すと、店員は物腰静かに立ち去っていった。

そして、それからの天野はというと…

料理が運ばれてくるまで、魚は嫌だだのジュースが飲みたいだのの、我儘のオンパレードであった。



<<9-3>>

料理の味はどれも普段は味わえないようなものばかりで、俺達は胃に栄養を送り込むことにすっかり夢中になっていた。

並んだ皿をぺろりと平らげ、お腹がすっかり膨れた頃、突然ブザー音が鳴り響いて部屋が暗闇に包まれた。

「わっ、何?何!停電?」

「皆様、ご来店いただき誠に有り難う御座います。さて、本日のライブイベントの時間がやってまいりました。それでは、どうか今日のこの時間が皆様の思い出の1ページとなりますよう…。」

男の声に、客の視線が一斉にステージへ集中する。

「では、早速参りましょう…。本日の一発目は!今が熟し時の…コイツらだ!!」

店長らしき司会の男が出演者の名前を読み上げると、静まりかえっていた店内は黄色い歓声で包まれた。

ドラムロールが客の歓声を押し返し、それに続いてギターとベースが交互にメロディーを奏で始める。

ばらけていた3つの音色が次第に合流して混ざり合い、それぞれが役割を持ち始めた頃、ボーカルのハミングを合図に歌が始まった。


後で藤吉さんに聞いたが、彼ら『Come★TERRACE(通称︰カンテラ)』は最近この辺のライブハウスでノリに乗っているアマチュアバンドなんだそうだ。

この店の店長とライブハウスのオーナーが偶然知り合いで、そのコネで参加したらしい。

お店の性質上、出演者により客足が左右されるので、宣伝に一苦労したそうだ。

当然、藤吉もその息がかかった一人という訳だ。

つまり今この店にいる客の殆どはこの人とうきちと同類ってことで・・・ちょっと考えるの止めよう。

それにしても、演奏に追随する虹色の水流といい、演出効果は非常に素晴らしいのだが、客の雰囲気はすっかり一転。

さっきまでの品性はどこへ行ってしまったのだろう。


そんな下らないことを考えていると、曲が終わり、また次の曲が始まった。

すると、突然後ろの女性が声を上げて泣き出し、思わず振り返ってしまう。

「おぃおぃ…どうしたんだよ〜?」

「だって…だってぇ…。思い出しちゃったんだもん。」

その曲は叫ぶような、胸を締め付けられるような切ないラブソングだった。

耳をつんざくメロディーには身を刻まれている様に、揺れ動くリズムには胃を掴まれている様な錯覚に陥れられる。

恐らく、その身体を蝕む様な表現というのは、詩や文単体だけでは成し得ないものだ。

音には伝えたい感情を何倍にも誇張し、ぶつける働きがある。

そして…。

時に、聴く人間の心の枷を外してしまう。

「ほらほら、これで涙拭きな。」

「うん…ありが…とう…。」

付き添いの男が、女性にそっとハンカチを差し出す。

何度も嗚咽をあげ、泣きじゃくりながら、その女性はハンカチで顔を拭いた。


その光景は微笑ましい筈なのに・・・俺の心はどこか複雑な気持ちに包まれていた。



<<9-4>>

「どうだ、これがバンドだよ。」

演奏が終わると、出演者が撤収したのを見計らって天野に感想を聞いてみることにした。

「あぁ…うん、凄え。俺もやってみたい!こんな風に、人の心を動かしてみたい!」


人の心を動かす、ね。

そういえば、何を思ってステージに立っていたんだろう?


「羽月?」

「ん?何?よく聞こえない。」

「どうしたの?なんかボーッとしてた。」

「何でもないよ。」

「ふーん?」

「ほら、転換そろそろ終わりそうだぞ!いつかライブやりたいんなら、準備から撤収まで何をやってるのか良ーく見ておけよ。」

「へいへい。」


一時間半程の開催時間の中で、5組の演奏が急ぎ足に行われた。

1組2曲出来るかどうかの持ち時間の中で、ブラスバンド、民謡、カントリーからコメディー系まで、様々なジャンルのものが演奏された。

2人は非常に充実感が得られたようだ。

藤吉さんは最近のトレンドはこんな感じなのかと年長感丸出しの台詞をブツブツと呟いていた。

天野はというと、ずっと凄ぇ凄ぇと煩かった。

でもその甲斐もあり、やる気を取り戻したようだ。


彼は早速、『近場のスタジオを見つけたら通いたい』とか言い出している。

そんでもって、

「アンプとかミキサー?の使い方とか全然分かんない。ってか、そもそも予約の取り方とか部屋の大きさも全然分かんない!」

…ですって。


そうですか…。


あぁ、この子の子守はいつになったら終わるんだろう。


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