第3話 2秒





私、何十年も前にアメリカに住んでいたの。



今はワーキングホリデーだ、何だって海外に行く人も多いし、航空券も安いのも沢山出てる。

でも、その当時はまだ留学生ってなんか特別だったし、あんまり居なかったの。留学したら、日本人が山のようにいた、とかそういうのも多分、あんまりなかった。

かと言って、英語が話せた訳でもないし、誰か知ってる人が居るわけでもなく、アメリカに土地勘も全くなかったから、唯一、知り合いの帰国子女の子に色々と聞きつつ、全部自分で手配したわよ。辞書片手に調べて、調べまくってね。


メールだって、全然普及してない時代だから、いちいちエアメールよ。学校にもいちいち書類を書いては送って、送り返されるのを待って、って。今みたいな世の中じゃないから、さくーなんて事は無いから手続きに物凄い時間を有したよ。グーグル先生だっていないんだから、辞書がボロボロになるくらい調べまくって。


そして、期待を膨らまして、右も左もわからないアメリカにたった一人で飛び立った私。


今思えば、うちのお父さんもお母さんも相当、心配したはず。

今、母になった私は、うちの子たちを送り出すことはできないな。一緒に行く。


文字通り一人ボッチの、英語が全く話せない私。いや、行く前にNHK英会話講座を録音して何度も何度も聞いたから、旅行編の英会話は覚えた。完璧に。頑張った、私。


成田でジャンボに乗って、十数時間を機内で寝ないで過ごして(誰も知り合いがいないから、寝たら危険と本当に思ってた)、到着してから今度は、興奮と見たことも無いような小さい国内線を逃さないように、必死に私は目的地を目指した。

ほぼ寝ずに到着して、降り立ったアメリカはあまりにも田舎だった。あまりにも小さい空港で、周りはなああんんにも無くて、



「とんでもない所に来てしまった」


の一言。

ド田舎の空港で奇跡的にタクシーを拾い、車中でどこまでもどこまでも続くコーンフィールドの中を走り抜けていく。私は、アメリカの匂いが日本とは全く違う事を感じた。甘い、匂い、洗剤の匂い。そして、畑臭い匂い。

タクシーの窓を勝手に半分くらい開けてた気がしたけど、タクシーのおっちゃんにしてみたら、「このアジアのねーちゃん、窓閉めてくんねーかな」と思っていたに違いない。もしかしたら、そう言ってたかもしれない。でも、その当時の私には何を言ってもわからないだろう。そして、アメリカ人が異常な暑がりだと言うことを私は知る由もなかった。


到着したのは、あっけらかんとしたアメリカを象徴するような綺麗で明るいモーテルだった。

低い建物で、建物の中央にはプール。アメリカ人の子供たちがはしゃぎながら、水遊びしてた。そのあまりにも白い肌を眺めながら、私はここがアメリカである事を初めて実感した。

どこ情報か今となってはわからないけど、アメリカは危険。決して外に出ちゃいけないし、一人だと悟られてもいけない。と信じてた。

完全にバカです。


外に出ないとフリーのブレックファーストのドーナツも食べられないし、何のために来たのかもわからない。一人だということは、チェックインした時点でもう知られている。なんせ、このド田舎にバカでかいスーツケースを持って、誰の目にもはっきりとアジアの国からきた女子、と言うことは認識されてたはずだから。


1日は耐えた。

外にも出ず、窓から見えるアメリカ人の子供をカーテンの間から覗き(何しろ、見つかってはいけないから)、全くわからない英語が延々と流れるテレビをつけながら。お腹がすいたら、日本から持ち込んだ大事な、日本食を食べた。





人間は欲張りだ。




2日目に、私は早くも決心していた。あの、向かいに見える店に行ってみようと。何の店かはわからない、けど、何か食べ物が買えるかもしれない。

比較的安全、と言われている(誰に?)日中に初めて外に出た。モーテルのプールの横を抜けて、目の前の道路の縁に立ってみた。

ら、

道が高速道路みたいに巨大だった。そして、人は誰も歩いていなかった。そう、誰も。ただ目の前を車がビュンビュン走り抜けるのみ。

でも、なぜか、絶対にあの店に行ってみなければいけない、と私は思った。


そして、待った。



車が途切れるのを。




その瞬間は、来た。


一気に道路を走り抜ける。(自殺行為です)

店側に渡ることに成功した!

物凄い偉業を成し遂げたように自分を褒めたかった。

たった一人で家から遠く離れて、何時間もかけて異国の地へ降り立った私。


何もかも全て自分で手配できた私。凄い、私!!


私は、歓喜の思いで、目の前にある路肩をジャンプした。







超え・・・・・・・・・・・・・・


















られず、膝から?足首から?とにかく落下した。





と同時に激しい痛み。

血だらけの両膝・・・・・







両膝から血を流し、まともに歩けもしないのに、私はまっすぐ巨大な駐車場を歩き続けた。(どうやって⁉︎)涙も流していた、と思う。





その先にあったのは、






電気屋だった、と言うか、照明屋だった。

家の照明が天井から無数に釣り下がっていた。


途端に強烈な痛みに襲われた私。

もはや、どうやって来た道をもどったのかわからない、けど、モーテルの部屋に戻った時には強烈な吐き気に襲われて、トイレに駆け込んだ。




相変わらず、膝から血は流れてるし、気が付くと、右足は信じられないくらい腫れていた。





しかし、私よ、






焦ること、無かれ。

救急セットは持ってきた。ちゃんと消毒液も、包帯も、湿布さえ持ってきている。

膝を消毒して、大きな絆創膏を貼って、大丈夫。よくできました。









と、冷静を装ってみたけど、湿布も貼ってみたけど、右足が痛い。

死ぬほど痛い。

死ぬほど腫れてる・・・・・・

このまま、力尽きるかもしれない・・・・・・




痛くて、怖くて、心細くて、涙流して、鼻垂らして、途方にくれた・・・・・・・





痛い・・・・・・・





痛いよおおおお。






こんな時、人は内部で二人に別れるんだな。

一人は、痛くてもはや、余命いくばくもないかもしれない、と恐れおののく自分。


一人は、はて、どうしたもんかな、と異常に冷静な自分。






冷静な自分は、気が付いたよ。

学生保険に入って来た事を。

さっそく電話。日本人応対。

「あ、じゃ、救急に行ってください。そちらですと、こちらの病院です」



日本人サイコー



あんたサイコー




さて、ホテルのフロントへ飛び出した私。

タクシーを呼んでほしかったのよ。




NHK旅行英会話、

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!






あとはひたすら、血だらけの膝を見せて、腫れた足を見せて、

「ホスピタル、ホスピタル、」

騒ぎましたよ。



ホスピタルでは、全く会話通じず、保険会社に電話。全て説明してもらいました。

車いすに乗せられ、あっちこっちに連れていかれ、レントゲンも撮られ、身振り手振り汗かきながら、説明しました・・・





それから、なぜか車いすにのせられたまま、放置。


一人ぼっちで放置。


結構長い間。


足は、めちゃくちゃバカでかいアイスみたいなので冷やしてもらってたから、あまり痛さは感じなかった。

でも、








ぽつーーーーーーん。









おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。









突然、誰かが車いすを押しだした。

ぐんぐん押されて、

どっかの部屋に連れていかれた。












黒人のお医者さんらしき人が居た。


そして、ニコリともせず、




「お待たせしましたね」

でも、

「大丈夫ですか」

でもなく、

(ちなみに、このくらいの英語なら、わかるはずだ!)



















なっとぶろーくん



















終了。







2秒。











なっとブロークンではあったけど、重症の捻挫で私は、初めての地アメリカで、人生初めての超重症の捻挫のせいで、その後2か月くらいは足を引きずり続けたのでした。









アメリカ人からつけられたあだ名は

リンピー。



びっこをひく、という意味です・・・・・・






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