第一話 月下の貴婦人 7

「ふふっ、わかっちゃったかな?」


 対するフィアネの方はその手のうちのものがなんなのかわかっていて、しかもそれがさも当然であるかのような口調である。


 それどころかどこか悪戯が成功したのがうれしくてたまらない子供の様にも見えてしまうのはきっと思い違いではないだろう。


 リスは目の前で起きている現象のわけがわからず――それこそ本物の魔法でも使ったのではないかと思ったくらいで――その疑問をすかさず問いただした。


「だってそれってユーチェリアですよね!?」


 それはこの地方での冬の定番の花だった。


 いや、正確には花といっていいのかはわからない。


 なぜならこのユーチェリアは他の花のようにつぼみが開いて花が咲くというものではなく、もともと花のような形をつくって生えそろった楕円形の葉が赤く色づいていくことによってこの花は“咲く”からだ。


 ……もっともこの手の話はフィアネの受け売りなのだが。


「そう。正解。よく冬に咲いているよね」


 フィアネはサプライズに成功したと知った時のニコニコ顔をそのままに言ってのけた。


 この花は実はリスの好きな花の一つでもあった。


 冬が深まり、そして雪が降り積もっていくにつれ赤く鮮烈に色づいてくるこの花は、よく森の際などに咲いていることが多い。


 それが積雪の白、そこから垣間見える常緑樹の緑とのコントラストも相まって特に際立って見える。


 花びらの形はまさに葉っぱそのものなので花の形自体に物珍しさはないのだが、そのかわり花が大きくなるので見た目がなかなかに豪華なのだ。


 咲いたときのその様子に加え、まるで冬を連れてくるような開花時期からよく火に例えられ、“森を焼く花”や“冬の灯火”などとあだ名されている。


 特に後者は秀逸である。


 この花が盛りになるとともに冬も本番を迎える。


 つまり「冬に火をつける花」だというのだろうが、冬自体が雪と静謐に閉ざされ、まるで火とは対極にあるからだ。


 ユーチェリアとはそんな花である。


 そしてこれが問題なのはなぜか冬にしか花を“咲かせ”ないのだ。


 それも初冬にかけて一斉に赤く染まりだして、雪が積もりだす頃に色味が最も深まりそして――本格的に雪に埋もれるころには例外なく散っていくのだ。


 冬になると身近に咲いている存在ではあるので、リスも季節になるとよく手折って飾っていたりするのだが、辺り一面雪に閉ざされる頃には赤い花弁は散ってしまう。


 つまりは花の寿命は短い――色が変化しだしてせいぜい3週間といったところだろう。


 そしてもし初冬、赤く色が変化しだすその時期を逃してしまったものはもうその後は色を付けることがないと言われていた。


 一昨年はリスも冬になって自分で育ててみたことがあった。


 自分の机の上にでも置いて育てればきっと華やかになるだろうという魂胆である。


 その結果確かに途中まで、というより花を咲かせるのに十分なくらいには大きく育ったのだが、やはりなぜなのか夏に差し掛かりユーチェリアの株が暑さに耐えられなくなったその時になっても、その鮮やかな赤を拝むことはついぞかなわなかったのだ。



 そんな花が今リスの目の前に、フィアネの手の内で見事な赤に色づいている。


 つまりはそういうことである。


「この花って冬にしか咲かないんじゃ…」


「そういうことでもなかったみたいね」


 リスは相変わらず戸惑いを隠せないでいるというのにフィアネの方はきっとそれをわかっていて言っている。


 今日はいつもより意地が悪いようだ。


「でもどうやって……。なんか方法があるんですか?」


 ただリスはそんなことには気づけないほどその鮮紅に釘付けだった。


「んー。そんなに難しいことじゃなかったよ?」


「え、でも……」


「じゃあ質問」


 さしたることはない、などと言ってのけたフィアネに対し、リスが反論しかけたところでそう被された。


「じゃあ冬にしか咲かないっていうけど、逆になんで冬になったら咲くことができるのかな?どうして冬になったことがこのユーチェリアはわかると思う?」


「えっと……」


 その発想はなかった、とリスは思う。


 そうだ。


 冬に咲く、それも雪が降りだす時期になってみんな色づいてくる、ということは逆に言えばこの花は本格的な冬の到来を何らかの方法で知って、それから咲いているのだ。


 もしそれが再現できれば家の中でもきっと咲かせることができるのだろう。


 では季節が秋から冬に変わって変化するものは何か?


「気温……ですか?」


 フィアネは何も言わない。


 答えの続きを促しているようだ。


「気温が下がったことを感じ取って咲くことができるのなら……温かいところに置いといてそれを外に出せば……」


 まだこの時期は冷える。


 つまりしばらく室内の暖かいところに置いておいて「秋」を認識させ、その後外の涼しい環境に置けば色を付けることができるのではないか、ということだ。


「なるほど。それでもいいかもしれないね」


「じゃあ違うんですね……」


「それでできないかはわからないけど……。でも私が使ったのは別の方法。冬になると他に何が変わる?」


 フィアネはあくまでリスに考えさせるつもりのようだ。


 リスは必死に冬を思い浮かべる。


「冬は他に……雪……と、あと……暗くなるのが早い……?」


「そう。正解。光にあててた時間が大事みたい」


 どうやら当たりだったようだ。


 フィアネは続ける。


「セマムはわかるよね?」


「まぁ、はい」


 セマムは秋口によく見かける野花だ。


 町からこの邸へ至る道にも毎年咲いている。だがそれと何が関係あるのだろうか。


「あれが花を咲かせるのも実は同じ仕組みなんだって。つまり暗くなるのが早いと花が咲くみたい」


「そうなんですか!?」


 植物は光がないと育たない。


 それは以前からぼんやりと知られていいた事実ではあった。


 それだから光が当たらない時間が多いと花ができる、という事実はリスにとって新鮮だった。


「だからユーチェリアももしかして、と思って十分育つまでは明かりのあるところに置いておいて、今日に合わせて毎日夕方になったら暗い部屋に移動させるようにしてみたんだ」


 フィアネは、ちょっとやり始めるのが遅かったのかまだ色は変わり切っていないんだけどね、と付け加えつつそのからくりを説明した。


 のちの世ではこの作業を「短日処理」だなんて言うことになる。


 またフィアネは「暗くなる時間」それ自体が問題であると言ったが、厳密には「光にあたっている時間の長さ」が重要であるのだが、結果的には変わらないのでもはやこれ以上の追及は不必要であろう。


 ようやく原因を理解したリスは以前自分でユーチェリアを育ててみた時のことを思い返す。


「じゃあ私が前失敗したのはずっと明かりのある部屋に置いてたからなんですかね?」


「そうかもね」


 この時代になってくると灯りといえば暖炉のみではなく、獣脂のろうそくなども一般に出回ってくる。


 照明というものは慣れると手放せないものだ。


 ひとの活動の幅をそれだけで増やしてくれる。


 リスも例にもれず、冬は日が暮れた後も照明を使った生活をしていた。


 以前ユーチェリアを育てた時、鉢はその生活のすぐそばになかっただろうか。


「ユーチェリアの花言葉は『祝福』少し遅れたけどお誕生日おめでとう、リス」


 そう、リスの誕生日はこの日のちょうど一週間ほど前のことだった。


 きっとフィアネはこれを前々から用意していたのだろう。


 ずっと頭を働かせていたリスは思わず満面の笑みとなる。


「はい!ありがとうございます!」

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