第一話 月下の貴婦人 6

「もうわかってると思うけどやけどには気を付けてね?」


 向かい合うそのひとがそう、からかうように言ってくる。


 これはもう毎回の恒例。


 もはやこの花の均しを始める際のルーティーンみたいなものになってきている。


「その話はもういいじゃないですか……」


 リスもそうやって反応はするが、実は一連の掛け合いは嫌いではなく、むしろ普段まじめなフィアネとこのように軽口でやり取りできる時間は好きだったりもする。


 そして毎回このやり取りをするということは、フィアネの方もリスのそんな考えをお見通しということなのかもしれない。



 均しの際に二人で奏でる、「チョキン、チョキン、ジュッ」という音が耳に心地いい。


 この町の長の邸宅にかれこれ100年は止まらず変わらず、時を刻み続けているという立派な古時計があるのだが、その時の重みにも勝るとも劣らないとすら思う。



 ラグノーの緑色にランタンのゆらゆらと揺れる炎は目に落ち着く。


 暖炉にくべられた火も寒い季節にその前から離れがたくなる魅力はあるが、この普段は見慣れないアルコール特有の静かに灯り続ける炎は不思議と気持ちを落ち着かせてくれる。


「うん?どうしたの?」


 ふいにフィアネと目が合う。


「ふふっ、なんでもありません」


 もしかして先生の方も同じことを考えていたのかな、なんて思う。


「そう?」


 きょとんとした様子のフィアネはリスが何を思っているのか、あまりわかっていないようだったが、どうやら深く追求するつもりはないらしい。


 そうやって二人、また作業に戻っていく。



 均しの作業について最初のころはリスも、そんな切っちゃうなんてかわいそう、と思ったものだったが、フィアネがそれならばと、一株だけ何も手を加えないで育てたものの結果を見せたのと、それからフィアネの「じゃあ無理やり沢山咲いて、でもそれじゃあ一つ一つが目立つことができないの、どっちの方が可哀そうだと思う?」との言葉を受けてから納得するようになった。


 もっとも後者の言葉の方は後になって考えてみればただの詭弁であったのだが、迫真に迫る勢いで言われたその勢いとシリアスさに飲まれてその時は頷くしかなかったのだ。


 それに気づいてもその時はもうずいぶん大人になっていたのでわざわざ掘り返そうとなど思わなかったのだが。



 昼過ぎから始めて、すべての鉢について終わるのはちょうど陽の傾きだしたころだった。


 リスの手伝いがだんだん上達していっているのを見て昨年から増やしたところもあるのだが、おおむね理想通りの時間に終わったとはいえる。


 ちなみにこれでも町のすべての需要は満たせない。花の魔女の育てるラグノーはやはり人気なのだ。



 出番が少ないからか、いまだにその色を失せない真鍮製の消灯鐘をランタンの炎に覆いかぶせそっと火を消す。


 燃料であるアルコールを抜き取って、回収用のビンにいれてしまえばランタンの片づけはもう終わったと同然だ。



「リス、この摘み取った葉っぱやら枝やらを全部表の庭に戻しておいてくれる?私はこっちの道具を片付けてくるから」


 今回の均しは今年の感謝祭の前のおそらく最後だろう。


 その証拠にこの日の作業の残骸にはつぼみがいくつも見受けられる。


 それもちらほら、そのまま枝が付いたままならば2~3日もすればきれいな花を咲かせるだろうことがわかるくらい大きく膨らんだものまである。


 ただ祭り自体はもう少し先なのでこれらはフライングだ。


 早く咲きすぎるとそれはそれで困りものなので、そっちに無謀な栄養を回されないようにとってしまっておくのだ。


「はい。わかりました」


 ゆっくりしてきていいよ、と付け加えられる。


 基本的にリスに否やはない。


 それはフィアネが命じてくる内容に無理がないこともそうだが、こうやって魔女の仕事を手伝っていること自体がリス本人の意思であるから。


 初めて会ったその日に心の底からその人に魅了されてから、それはもう半ば盲目的であるとすらいえる。


 リスにとってフィアネは、特に草花のことについて自分の知らないことを何でも知っており、またひととしても誰よりも尊敬できる存在だ。


 まだたった少しの手伝いしかできないのに、その知識を惜しみなく教えてくれるし、手伝った内容がなにか報酬が生じるものであったのならばそれを均等に分けてくれる。


「もっといろいろ雑用押し付けてくれてもいいのに……」とすら思うこともあるが、自分でできるところは面倒くさがらずにすべて自分で片づけてしまう。


 それだからか、もう初めのころの初々しい気持ち、手伝えることに対する純粋な喜びが落ち着いてきたこのころになって、フィアネの心が読めないと思うようになってきた。


 何を考えているのかわからない。


 なぜ、何を思って自分にかまってくれるのか。


 いつ、どこから、そしてなんのためにこの町に来たのか。


 いろいろと彼女について聞きたいこと、知りたいことはあるがいまだになにも聞けていない。


 なんとなくひとのことを詮索するのがはばかれたからだ。



 そうやってリスは少し感傷にふけりながらそう広くはない花畑の、まだなにも植わっていないところの土にラグノーの均しで切り取られた部分をなるべくまんべんなくなるようにすきこんでいった。


 手元の枝葉がすべてなくなると、それまでの思考を断ち切るように「ふぅ」と息を吐きだしてすっと立ち上がり、そのままの勢いでぐっと伸びをする。


 十分体を伸ばした後はもう一度軽く息をついてから一度体の力を抜き「よしっ」と自分の体に活を入れてから邸へ、フィアネが待っているだろう屋内庭園へと足を向ける。


 夏はまだ遠い。


 夕方に差し掛かった、その時間帯の冷たい風が身に染みるようだった。



とんとんとん、と段差を上り、それ自体は軽く作られているはずのドアに手をかける。


「ギィィ……」という音とともにリスの腕には時の重みがかかる。


 それをもう一回繰り返してリスは屋内庭園へとたどり着いた。


「ただいま戻りまし……」


 ちょっと時間がかかっちゃいました、おまたせしちゃいましたよね。


 そんな言葉を続きに用意していたが、それらは完全に出番を失っていた。


 フィアネは部屋にいなかった。


 さっきまでは気付かなかったが二対の大きな四ツ窓すら開いたままである。


 夕方の冷たい春風は開けられた窓の隙間を通ってさらに鋭く部屋の中に吹きつける。


 いつもならフィアネはこんな無作法な真似はしない。


 自分のすることは自分でしてしまう人なのだ。


 今日の場合は窓を閉めて丸机と椅子をもとの位置に戻し、そしてリスのことを待っているはずだった。


 もしフィアネが玄関から外に出たのであればドアの音によってリスは気づけたはずである。


 ということは、フィアネは邸の中にいるはずであり、その点は不安や心配はないのだが、それでもいつもと違う様子にリスは戸惑いが隠せなかった。


「先生、戻りましたよ!けどなにかあったんですか?」


 奥か二階か。


 どっちにいるのか、フィアネが邸のどこにいても聞こえるように大きく声をかけてみる。


「あら?そっちもう終わっちゃった?ごめん、ちょっと待っててくれる?」


 返事はリスの戸惑いとは裏腹に早かった。


 あまり物音がしなかったからさっきまではわからなかったが、少しくぐもった声が聞こえてくるのはどうやら2階の方からなようだ。


 まだリスは踏み入ったことのない、フィアネの私的な空間である。


「あ、はい。窓は閉めておきますね」


 思うところはあるものの、フィアネの所在は知れたわけなのでとりあえず窓が開いたままなのは気になるし、夏になり切れないこの季節、夜になるとまだ冷えるので手早く、かつ丁寧に閉めていく。


 フィアネが戻ってきたのは、リスがゴトン、と鈍い音を残してもう片方の窓を閉め終えた時のことだった。


 と、と、と、と階段を下りてくる音は気持ち早いような気がする。


「窓、ありがとうね」


 そう言いながら姿を現したフィアネの右手には小さなブーケがあった。


「え⁉」


 思わず、といったふうに声が漏れ出てしまう。


 リスが驚いたのはわざわざリスがブーケを用意していたことに対してもそうだが、それよりもブーケに使われている花の方に対しての方が大きかった。

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