第一話 月下の貴婦人 2
「おはよう。ごめんね、外で待たせちゃって」
そう言って出てきたのがリスの言うところの先生、人呼んで“花の魔女”、この邸の今の主人だ。
妙齢の女性である。具体的にはリスの七つ年上らしい。
背丈はリスより一回り高い。それでいてまたリスよりも線が細くすらりとしている。
それだからリスも初めはこのひとがここの冬を乗り越えられるのか心配だったくらいだ。
……結局そんなのは杞憂だったのだが。
そしてそれがこれから土をいじるのに邪魔にならないようズボンをはいていると、その背格好はとても様になる。
似たようなものを着ているのになぜこうも自分とは違うのかとリスはいつも思う。
切れ長の目にはっきりとした鼻筋は、もしそれだけだったのならきっと人にはただきつい印象を与えるだけであっただろう。
しかし彼女の場合はその血色のいい唇のおかげか、柔らかい物腰のおかげか、そうはならなかった。少なくともいままで彼女が誤解される姿をリスは見たことはない。
その整った顔立ちを引き立てるのはこの地方では珍しい、つややかな黒髪だ。
そう、彼女は実はもともとこの町の人間ではない。
それは彼女のフィアネという名前にしてもそうだ。
発音が難しいわけではないことからそう遠いとこから来たというわけではないだろうことは想像できる。
が、少なくともここ近辺でそう聞く名前ではない。
もともとの癖っ毛のせいか、ふんわりした感じのある頭髪は、普段の仕事の邪魔にならないようにするためか首元までで短くすっきりと切られている。
リスはそんなフィアネの、気遣いを忘れないところに微笑みつつ、
「いえいえ、むしろ私来るのちょっと早かったです?」
そう言ってこっちは特に問題はないと返す。
別に彼女が出てくるのは特別遅かったわけではない。
むしろいつも自分が来そうな時間帯に外やら外から見える位置にいる方がまじめなんだよなぁ、と思うとクスッとなる。
「そんなことはないよ。あとリスが来るのを忘れていたわけでもないからね?」
すぐに迎え入れることができなかった弁明なのか、フィアネが付け足した一言に笑みを深めて返す。
「大丈夫です。わかってますよ、さすがに」
「そう、それならよかった」
まじめな彼女は安心したという風にそう言ってから、ここが玄関であることをようやく思い出したようで
「まぁ、とりあえず入って」
と声をかけてきた。
「はい、お邪魔します。あとそれと」
「うん?どうしたの?」
わざわざ呼び止めるまでもなかったかなぁとリスは思ったが、もう声をかけてしまったものはしょうがない。
「いえ、さっき挨拶を返すの忘れていたので。おはようございます」
「ああ、おはよう」
そんなとりとめのないことにふっ、と笑って返してくれる。
そのさりげない笑顔がやはり好きだなと思いつつ、リスは戸をくぐるのだった。
邸の一階、玄関の二重扉を開けてすぐの部屋は居住空間とはしていない。
もともとはリビングとして広く作られていたものなのだが、邸の正面、玄関の両隣に外から中が見えるような位置取りで、木枠で区切りのつけられた大きめの四ツ窓がとりつけられている。
これは採光という点では優れている。
が、そもそも人通りなど邸の周辺にはないとはいえ、どうしても邸の外から中が良く見えてしまうという目のつぶりがたい欠点があるのも事実だったのだ。
長らくこの邸にひとが住むことがなかった原因のひとつだ。
このどうにも扱いが難しいリビングを、フィアネはなんと自分の草花を育てるための屋内庭園にしてしまっていた。
部屋に特別な改造など必要はなかった。
なにせもともと居住空間として設定されてあった部屋なので暖炉はある。
十分な広さがある。
そして光もよく差し込むとなればそれ以外は鉢植えに土さえ運び込めばいい。
屋内なので雨風も当然防げるのだから。
さすがに家の中なので、花壇のような仰々しいものを作ってあるわけではないが、鉢植えの草花でも壁へと背の順に並んで配置され、壁にも雑多になりすぎない程度に壁掛けのプランターが並べられていると、外から見ても洗練された美しさを感じられる。
四ツ窓の枠と合わさって、さながら絵画のようだ。
そうやって作られた屋内庭園の中心、そこから少しだけずらしたところに、木で作られた丸机とそれに見合った椅子が配置されているのがまたこの空間をより一層引き立てる。
この部屋で育てられているのは単に外からの見栄えを考慮してもののみではない。
壁に寄り添う観葉植物や、今はキュラスのオレンジの大輪がよく映える壁掛けのプランターなどは確かにフィアネの私的なインテリアの一部である。
きっと初めて訪れる者などはまずはこちらばかりに目が行くだろう。
ただそういったもののほかにこの空間には、小さい鉢植えに若そうな花が植わっているものや、さらには芽を出したばかりの鉢に幼さの残る草本などもびっしりと置かれている。
その中でもひときわ大きな集団を作っている一群に目を向ける。
実は今日リスがフィアネのもとを訪れた目的の一つにはこの鉢植えのこともあるのだ。
「順調に育ってますね」
「ラグノー?」
フィアネはこれから行う作業のため道具箱を漁っているのだが、それでもきちんと返答をしてくれる。
「はい。つぼみもいくつかできてますね。この間はまだだったのに」
「うんうん、昨日からかな、ちらほらできてきたよ。もう季節だから」
先日来た時にはまだなかったが、その後ここ二日ほどで花芽がつくられ始めていたようだった。
「なんか不思議です。ここに来るまでの道ももう雪が解けてて花もいろいろ咲いていて。毎年思いますけどこの時期は時間が過ぎるのが早いですよね」
「晴れる日が少ないと次晴れた日までにいろいろ変化が起こってて、それだから早く感じるのかもね」
雨が降っていると基本的に家の中で過ごすことになるし、こうやって町のはずれまで足を運ぶことなどまずない。
そのため数日ごとにしか訪れないということも多い春の晴れ間には、数日分の季節の変化が一気に実感として押し寄せることとなるということだ。
この邸でひとり暮らしているフィアネらしい考え方といえる。
「じゃあ感謝祭まであと少しですね」
それはあと二週間ほど後に控えた、この町のお祭りだ。
「うん。だからこれから大変になるよ」
フィアネの手伝いを行うリスもそれは先刻承知だった。
「はい。でもそれ以上に今年も楽しみです」
「ふふっ、それは責任重大だね」
道具箱からハサミに手袋を二人分、そして透明な液体の入った瓶を水瓶の中から取り出してきたフィアネに話題を振ってみるとそうやって少しおどけたような返事が返ってきた。
とはいえ屋内庭園での作業は後回しだ。
「だけどまず先に外の作業でいいかな?」
「もちろんです」
そうして外に向かう。
まず午前のうち行うのは、邸の前の花畑の方での作業だ。
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