第二幕

大きな木が陽を受けて青く染まる。

木漏れ日が窓越しに僕を照らした。

雲はどこまでも遠くの空で群れて膨れ上がっている。



もうすぐ雨が降る





扉を開いて、先生が顔を出した。


――いつもと変わらない、薄い顔だ



「やあ、トーマ君。久しぶりだね」


「こんにちは、先生。一年とちょっとくらいですかね」



先生は椅子に座るとすぐに数枚の書類を取り出した。



「早速始めようか」


「はい」



ペンを取り出して僕の顔を見つめる。


――いつもと同じ、くだらない質問から始まる



「君の名前は?」


「宍戸斗真」


「今日の日付は?」


「2008年9月14日、日曜日」


「今は何時?」



先生が腕時計を見るのが分かる。

僕は窓の外を見つめる。太陽はまだ高い。



「正午ですね」


「よし、次に移ろう」



先生はペンを置いて、ロールシャッハの絵を取り出した。


――いつもと同じ絵だ


先生は僕を視ようとしている。



「これは何に見える?」


「翼を広げた蝙蝠」


「これは?」


「鏡合わせの小人」


「これは?」


「荷物を運ぶ二人組」


「これは?」


「牛の頭蓋」


「これは?」


「潰れた蛞蝓」


「これは?」


「閉まった扉」


「これは?」


「言い争う4人」


「これは?」


「目と耳を閉じた人」


「これは?」


「海老フライを揚げてる鍋」


「これは?」


「いろんな種類の花」



先生はペンを取ってキャップを外した。


――今回はどんな結果に出来たかな



「ちょっと待っててね」


「はーい」



僕は窓の外へ顔を向けた。

空は少し暗くなってきていた。


雲が墜ちてきている。



「午後は一雨降りそうだね」


「予報は外れですね」



先生がペンを置いた。

僕の目が先生を捉えた。



「よし、終わったよ。それじゃあ、近況を聞こうかな」



――いつもと同じの質問



「退屈です」



――いつもと同じ答え



「ハハハ、変わらないね」



――くだらない会話だ



「あのクラスはやれることが少な過ぎます」


「そうかい?新しくできた制度だからあんまりうまく行っていないのかな?」


「小学校の範囲以外はやっちゃいけないって言うんですよ」


「……あー、なるほど」


「元のクラス比べたら多少は自由ですけど……」



――あそこは確かに自由だけど、動物園の柵の中から猛獣の檻に移送されたようなものだ


――猛獣専用の頑丈で広い檻だけど、それでもあの檻は僕には窮屈すぎる



「……そういえば、ママがまた学校に乗り込んでいましたよ」


「あらら、何回目だっけ?」


「15回目ですね」



――僕と同じ、頭のおかしい人だ



「ははは……今度はなんだって?」


「兄がイジメられたそうですよ。それで学校のセンセーをクビにするって」



――兄も僕と同じクラスだから嫌でも目に付く、僕と違って「社交的」で声が大きいんだ



「あぁ……可哀想に」


「どっちがですか?」


「学校の先生が」


「ぷふっ、でしょうね」



――兄は人に甘えるのも得意だ


――それを認めるあの人もあの人か



「ボクよりも兄やママを診た方がいいんじゃないですか?」


「それは難しいなっ!」



――知ってるよ



「アハハ、残念」


「他に変わったことはあったかい?」


「うーん、何かあったかな……」



――くだらないことしか思いつかない



「そうだ、高校の範囲が終わりました」


「……えっ、本当に?」



眉を上げ、目を見開いてこちらをカッと見た。


――先生の顔を見るのは好きだ



「勉強がってことだよね?」


「ふふ、うん、そうだよ」


「流石だねぇ」


「でも高卒認定は取れないんだって、学校の人が言ってた」


「……そっか、年齢が足りてないんだね」



この国の制度では、17歳以上の人間でなければ高校卒業資格は得られない。



「そう、取れても大学には行かないけどね」



――今のままで大学に行けるほどの資金を積み上げることは出来ないし、特にいきたいとも思わないけど



「……これから学校ではどうするの?やることないでしょ?」



――最初から「学校」でやることなんてありませんよ



「……何をしたらいいと思いますか?」


「おっ、難しいね」


「でしょう?」



先生は僕から視線を外し、思案するように俯いた。


――貴方はどんな「道」を示してくれますかね



「……そうだなぁ、君だったら政治や経済についても勉強したらいいんじゃないか?」


「政治と経済ですか?」


「うん、君だったらちゃんと理解できると思うよ」



――政経か……あまり興味がなかったけれど、面白いのかもしれない



「……先生のことだから、心理学とか勧めてくるのかと思った」


「ハハハッ、それもいいねぇ」



先生は気持ちよさそうに笑って、僕に向き直った。

その目は、僕を見ていなかった。



――あぁ、そういうことだったのか



「でも、それは後でいくらでも学べるからね」


「……そういうものですか」


「……一つの物だけじゃなく、色んな物をその目で見るんだよ」


「……はい」



――僕は、先生の手にも余るようになっていたのか



雲の中で光が鳴いた。

先生が立ち上がって窓を閉めた。



「……本格的に降り始めちゃったね、少し雨宿りしていくかい?」


「はい、お願いします」



外は暗くなっていた。

雨が窓を叩き割ろうとしている。














あの人は僕に逃げ道を作った

頼んでもいない逃げ道を

僕には出来ないと

才能はないと

人並みにすらなれないと

一人で立つこともできないだと


そうやって僕の未来を決めつけたんだ



逃げ出してもいいと

諦めてもいいと

泣いてもいいと

縋りながら生きてもいいのだと


そうやって、あの人は自分勝手に僕を慰めた



その先には成功も失敗もないのに?

絶望しか待っていないのに?

悲しみしか待ち受けていないのに?

凄惨な死しかないのに?


これが愛だというのか?

これを人は美しいというのか?



僕は認めない


そんな腐った人生など

そんな無色透明な未来など

そんな光の差さない世界など

そんな稚拙な妄執など


僕は理解しない



僕は這いずり回ってでも生きよう

この絶望だらけの世界で

汚泥に塗れたこの身体で

最期までもがき苦しみながら生きよう



誰の目にも留まらない


ゴミの花を咲かせよう

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