第一幕

木々が震え枝葉が擦れる音がする、鳥の囀りは遠く響いて、

真っ白な雲は随分と楽しそうだ。青くて広い中空をふわふわと泳いでいる。


風に揺れるカーテン、大きな窓から入る陽は僕まで届かない。

清潔で真っ白な部屋には他には何もない。



――僕も外に行きたいな






机を挟んで座る男がボクを見て薄く微笑んでいる。

薄い白衣に薄青いシャツ、なんなら顔も薄い。


――頭の薄そうな医者



「やあ、こんにちは。初めましてだね」


「……こんにちは」


「私の名前は佐々木。君の名前も教えてくれるかな」


「……宍戸、宍戸斗真」


「よろしくね。トーマ君」


「早く終わらせて欲しいんだけど」



――くだらない会話に時間を使いたくないのに



「あはは、まだ始まっていないんだけどな」


「……はぁ、じゃあ早く始めてよ」


「はいはい、それじゃあいくつか質問していくね」



男は手元の紙を見ながら胸ポケットからペンを取り出して、キャップを外した。



「今年は西暦何年かな」


「2004年」


「今日の日付はわかるかな」


「5月の2日、日曜日」


「今は何時かな」



僕は少し悩んで部屋の中をゆっくりと見渡す。



「……時計なんてないけど?」



男は自分の腕時計を少しの間見つめた。



「時計は見なくていいよ」


「……10時半とか?」


「なるほど」



その時初めて、男のペンが動いた。

時計の針は僕からは見えなかった。


――時刻を言い当てることに何の意味があるんだろう



「君の生年月日を教えてくれるかい?」


「1996年の4月25日」


「その日の曜日は分かるかい?」


「えっ?うーんと……月曜日じゃないかな」



男が少し驚いた顔をした気がする。

おそらく計算が合っていたのだろう。



「それじゃあ、君のお母さんの生年月日は分かるかい?」


「……知らない」


「お父さんの方は?」


「……それも知らない」


「お兄さんのはどうだろう?」


「知らないよ、どうだっていい」



――くだらない、なんで「家族」の生年月日なんか覚えていなくちゃならないの



男のペンがまた動いた。



「私の名前を覚えているかい?」


「……?」



男は胸元のネームプレートを手で隠しながら、僕の目をまっすぐに見つめていた。


――認識力のテストだったの?イラつかせる質問だなぁ



「……ごめんなさい」


「あはは、気にしないで!謝る必要はないんだよ」



男が胸元の手を外して、また何かを書きはじめた。

男の名前は「佐々木」というらしい。


一通り何かを書き終わると、男はおもむろに絵の束を取り出した。

水の中に絵の具が溶け込んだような、左右対称の綺麗な絵だ。



「……ロールシャッハだ」


「詳しいね!その通り、ロールシャッハテストだ」



男は絵をバインダーに挟んで僕に見せる。


――確か、思考障害と逸脱した言語表現の心理テストだったはず



「それじゃあ、これが何に見えるかな」


「……んー、骨盤かな?」


「なるほど、これは?」


「犬?」


「どんな犬?」


「こっちを向いてる犬、顔だけ描いてある」


「じゃあ、これは?」


「こっちを向いた猫の顔」


「これは?」


「七面鳥」


「七面鳥?」


「クリスマスとかでよくテレビに出てるやつ」


「ああ……なるほどね。それじゃあこれは?」


「うーん、飛んでる蛾」


「これは?」


「楽器?三味線とか?」


「三味線なんだ?」


「穴がないでしょ?」


「なるほど。これは?」


「ムカデの尻尾」


「尻尾?」


「うん。角みたいでカッコいいでしょ」


「……そうだね。これは?」


「んー、カカシかな」


「どんなカカシだろう」


「麦わら帽子と目隠しと耳当てとマスクがしてあるカカシの頭」


「……それじゃあこれは?」


「変な絵だね。ウルトラマンの怪獣にこんなのいなかったっけ?」


「あはは!居たかもしれないね」



男は僕の顔を見ていた。


――これで、貴方はどんな診断を下す?



「それじゃあ、これで最後」


「うん?……なんだろう、花……かな?」



――しまった、何も思いつかない



「どんな花かな」


「どんな?うーん、いろんな種類の花の……束?」



男は絵に何かを書き始めた。

しばらくすると、絵をしまい込んで僕に向き直った。


――どんな結果になったんだろう



「お待たせ、それじゃあ今度は、最近の君について教えてもらおうかな」


「最近の……なんのことを話せばいいの?」


「家でのこと、学校でのこと、お友達のことでもいいよ」


「……友達」



――僕には「必要」ないものだよ



「私に話してもらえるかな?」


「……ボクは友達がいないんだ」


「それが嫌なのかな?」


「別に嫌ってわけじゃないけど……出来損ないみたいでしょ?」


「そうかな?」


「……オジサンはそう言うかもしれないけど、学校じゃあ可哀想な奴って思われてるもん」


「まだオジサンって歳じゃないんだどな……」



眉を寄せて項垂れるように肩を下げる姿は少し滑稽で、とても可愛らしく見えた。


――その顔は、なんとなく好きだ



「ハハハッ!じゃあ先生って呼んでいい?」


「うん、ありがとう」



先生はボクを見て悲しそうな顔をしている。



「話していると君に友達がいないようには見えないけどね」


「……ボクはみんなと同じような話ができないんだ。だから、学校だとほとんど喋らないよ」


「同じ話?」



――くだらない会話のことだよ



「どの遊びが楽しいだとか、どの子が好きだとか、どのテレビが面白かったとか、そうゆう話」


「君はそうゆうことに興味はないのかい?」



――興味がある訳が無い、何が悲しくてあんなお遊戯会を見なくちゃいけなんだ



「そんなことはないけど……家にいると、遊んだりとか、面白いテレビを観れるわけじゃないから」


「家だと何をしているんだい?」


「うーん、特に何もしてないかな?」


「ずっと寝ているのかい?」


「ううん?洗濯物を干したりとか、ご飯作ったりとか、勉強をしてるよ。他はあんまり」



――基本的には本を読んでいるだけだけど、特におかしくはないはず



「両親とも働いているんだっけ?」


「ううん?ママはずっと家にいるよ?」



先生の目が少しだけ開いた気がした。


――答えを間違えたかな?



「……そうなんだね」


「どうかしたの?」


「いや、なんでもないよ」



先生は嘘をついた。


――また、隠し事



「他にも何か話せることはあるかな?」


「……ううん、大丈夫」



――やっぱり、この会話もくだらなかった


――知ってたよ、僕は選ばれない



「ボクは大丈夫」





その言の葉は、宙を踊って枯れた。

窓の外はまだ明るかった。



――今日のご飯はどうしようかな













僕はみんなとは違うんだ


勉強だって運動だって一度始めればすぐになんでも上手になるんだ

僕は頭がいいから


家事も料理も仕事もいろんなことができるんだ

僕は一人でできるから


何が本当のことで何が嘘かもわかるんだ

僕は嘘つきがわかるから


僕は強いんだ

僕は特別だから


だから、


学校に友達が居なくても大丈夫なんだ

僕とは違うヒトだから


パパやママに相手にされなくても大丈夫なんだ

僕とは関係のない人だから


先生や大人に頼らなくても大丈夫なんだ

僕の頭は悪くなれないから


誰かに頼らなくても一人でも生きていけるんだ

僕は弱くなれないから


誰からも相手にされなくても、誰からも無視されても大丈夫なんだ

僕は、「みんな」にはなれないから


誰からも嫌われていても大丈夫なんだ

……ボクは独りだ


誰にも選ばれなくても大丈夫なんだ

…………ボクは「トクベツ」なんだ





大丈夫

ボクは「トクベツ」だから

ボクは居なくなっても「いい子」だから


「ボクは大丈夫」

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