第37話 宮田宗治と水月詩織④
すぐそこで祭りの賑わいを呈しているというのに、裏通りには一切の人気がない。
多少はこっちも流れ込んできてもいいだろうに。
「お腹減ったぁ〜」
事切れる寸前のように後ろをノロノロと歩く詩織が情けない声を上げた。
「前、歩かないでよぉ。ソースのいい匂いがこっちに流れてくるぅ」
「じゃあ早く追いついてこい。もう喫茶店見えてるぞ」
後ろでブツブツ言う詩織を置いて店の前に立つと、『臨時休業』の看板が立てられていた。
不思議に思った俺は詩織の方を向いた。
「臨時休業、ってどゆこと? 昼やって無かったん?」
「ん〜? ああ……、うち夜はお酒売ってるの。だから、今日は夏祭りにつき臨時休業ってこと」
「なるほど。そっちで儲けてんのね」
「まあね。色々あるんだよ」
追いついた詩織が店の鍵を開けて中へ入っていく。冷房が入ってファンが慌ただしく稼働した。
お酒の場を意識している為か視界は薄暗く、間接照明に留められていた。
詩織が奥から持ってきたものを見て俺は困惑した。
なんと、お盆の上にウイスキーが入った酒瓶とグラス。氷が入ったアイスペールまで。
「今日は飲みましょ」
「何言ってんだよ。未成年だろ」
適当にあしらうが、詩織はジッとこちらを見てきて、視線を外さない。意思が固そうだ。
あと1年。
たった1年我慢すれば、酒なんていつでも飲めて、特別でもなんでも無くなるのに。
我慢できない詩織はほんとに悪い子だ。
「分かったよ。お父さんには絶対内緒だからな。それと炭酸水か水持ってこい。ロックでなんか飲めるか」
そう言うと、詩織は嬉しそうに笑って、奥に駆けていった。
詩織は酒が注がれたグラスを持ち上げて下から覗き込む。
「おぉ〜」と唸ってクンクンと匂いを嗅いでいる。
初めて出されたエサを目の当たりにした犬みたいだ。
「いただきます」
最初は口の先に付けた程度。
毒味を終えた2回目は遠慮なしに口に含んだ。
「どう?」と聞くと、詩織はふぅ、と息を吐いて、
「楽しい」
「楽しい?」
「宗治と一緒に居られるから楽しい」
酒の感想を聞いたはずが、全く見当違いな感想が飛んできた。ま、悪い気はしない。
「そりゃ良かったね」
と満更でもない。
2人でいる時間はゆったりと流れた。
すっかり会話も無くなって、詩織はテーブルに突っ伏したまま動かない。
「なぁ詩織、もうそろそろお開きに」
「ねぇ〜、そうじぃ。つたへたいことがあるんらけどぉ」
舌も回らずの口調で被せてくる。
顔だけを上げた詩織は不貞腐れたみたいに頬を膨らませていた。怒り上戸とはこれまた面倒な。
ここは変に刺激しないのが得策だ。
「きいてるのぉ? みみついてるぅ?」
「耳もあるし、聞こえてるよ。なに? ……うぉっ!」
突然、詩織が起き上がったせいで受け身の体制をとってしまった。
酔い倒れの行動は予測できないから困る。
「そうじぃ! あたしとつきあいなさい!」
「……酔いが覚めたら死にたくなるパターンだな。俺は優しいから忘れといてやるよ」
「酔ってないぃ! ちゃんとわかって言ってるもん! 好きだから付き合ってよぉ!」
えらくハッキリとした発音で2度目。
詩織は本気なのかもしれない。
しかし、俺は詩織をそんな目では見てなかった。
いや、好きという感情の境界がよく分からなかった。
確かに詩織は美人で慣れれば人懐っこくて、誰からも愛されるんだろう。
俺も一緒に時間を過ごして、楽しいと感じることが多い。
けれど、素直に答えが出せない。
ほら、コミュ障の弊害がここに来て出た。
長年、人との関係を避けてきたせいで『好き』が分からないのだ。
でも、1つだけハッキリしている。
それは、詩織の勇気を無為にする訳にはいかないという事。
最初は成り行きで酒を飲み始めたのかもしれない。結果、酒の力が詩織助けたのだとしても、彼女が俺に気持ちを伝えてくれた事実は残るのだ。
「いいよ。付き合おう」
詩織は目を大きく開けて「ほんと?」と声を震わせた。
「ほんとだよ」
そこからはもう強引の一言だった。
グラスを倒した事には目もくれず詩織の体がすぅーっと伸びてきて、一直線に唇が重なる。
罪悪感をひしひしと感じていた。
どうしても母親を早くに失ってしまった詩織の悲しみに同情していた。
これがいかに彼女にとって不誠実なのか、言うまでもない。
だから決めた。嘘を真実に変えてしまおう。
この世で1番──詩織を好きになる。
そうすれば、嘘は嘘ではなくなるのだから。
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