第38話 宮田宗治と水月詩織⑤

 


「へぇ、宗治はそういう人がタイプなんだ」


 テレビを眺めていると、後ろから煽るような口調で詩織が突っかかってきた。


「別に。あ、でもスタイルいいよな」


 不利奈崎京香ふりなざききょうか──落ち着いた雰囲気と丁寧な言葉遣いが人気の若手女優だ。

 絶賛売り出し中なのか、最近何かと目にする機会が増えた。


「身長163センチ。体重45キロ。父は映画監督で、母が放送作家。サラブレッドってやつ? あ、ちなみに身長は私と同じね」


 振り返ると、ベッドの上で三角座りした詩織は誇らしげに笑う。


 俺の家によく足を運ぶようになってからというもの、彼女の本拠地はもっぱらベッドの上だ。


「随分と詳しいじゃないか。ファンか? あと、詩織の体重が聞けてないなぁ。ピー音でも入った?」


「たっ……体重なんて言えるわけないでしょ! デリカシー持ってよ!」


 ギューッと枕を抱いて顔を填めてしまった。

 何を言っても聞き入れてくれそうに無くなった詩織に時間を伝えた。


「もう18時だぞ。そろそろ店に戻らなきゃいけないんじゃないのか?」


 スマホで時間を確認した詩織はテキパキと帰り支度を始めた。


 俺と詩織が付き合い始めてはや半年が経過した。


 夏を越し、秋を跨いで、もう2月。

 クリスマスや初詣などは記憶に新しい。


 詩織と共にいた時間は有意義だった。

 だが、恋人らしいことを一通りこなしても相変わらず距離感は遠からず近からず。


 そう思っているは俺だけだろうか。


 黒いマフラーを巻いた詩織と玄関で顔を突き合わす。

 そのマフラーはクリスマスにプレゼントしたものだ。


 最初は、黒って……、と引かれ気味だったが、初めて1人で選んだ贈り物という肩書きもあり、積極的に身につけてくれている。

 当然、夏祭りの日のネックレスもだ。


 ああ、そうそう。半年で変わった事もある。


「それじゃあ、冷蔵庫に肉じゃが入れてあるから温めて食べてね」


「ありがとう。いつも悪いな」


 そう言うと詩織は「ん」と目を閉じた。


 俺は詩織にキスをする。この行為はある時を境に全く躊躇が無くなった。


 玄関口でキスとか今日日ドラマでも見ない気がするけど、俺と詩織にとっては数少ない愛情表現の1つだ。


「じゃあ明日も来るからね。絶対お酒なんて飲んじゃダメだよ! ただの毒なんだから」


 玄関のドアが閉まり切っても尚、その場に立ち尽くす。


 詩織から発布された禁酒令。


 冷蔵庫を開けても、好きだった酒は1本も無い。全て詩織が処分してしまった……というより、全部飲み干してしまった。


 俺に付き合っていたせいか、血のせいか、詩織は豪酒に進化した。


 まぁ、そのツケが回ってきたのだ。酒とつまみで徐々について行くお腹のお肉。


 別に気にするほどでもない、と言ったのに、詩織は激しく拒絶し、俺にまで同様の禁酒を押し付けてきた。


 初めて酒を飲んでベロベロになったひ弱な女の子一体はどこの誰だったんだろう、と懐かしく思う。


 詩織が帰ってから酒を盗み飲む事は容易い。

 けれど、俺を信用してくれている彼女に後ろ足で砂をかけるような真似はできない。


 キャップを回して、グラスに緑茶を注ぐ。今ではもうこっちの方が体に馴染んでいるのだ。








 進級も無事済ませた春のある日、詩織といつものベンチに座って桜を眺めていた。

 すると、突然オカルト話を持ちかけてきた。


「『記憶の停留所』って知ってる?」


 すこぶる真面目な顔で聞いてくるもんだから、一瞬気遅れした。


「まぁ、聞いたことぐらいはあるよ。捨てたい記憶を買い取ってくれるっていう都市伝説だろ? 最近ネットでも大流行りじゃん」


「あれ、ウチなの」


 暫く思考が停止した。

 何事にも順序というものがあるはずだ。

 大事な話をする時はそれなりに匂わせたりする。


 よっぽど察しが悪くない限り、聞く側だって心の準備を整えられる。


 なのにだ。


 詩織は一切の助走なく本題に入りやがった。

 もう、頭がパニックだ。


 呆然とする俺を見かねた詩織は苦笑して間を繋ぐ。


「いきなりすぎるよね。でもホントだよ。ウチが『記憶の停留所』。お客さんの記憶を買い取ってとある形で販売してる」


「なぁ、ちょっと待たないか? 俺はそもそも記憶の売買なんて信じてすらいないんだ。その上、詩織が関係してるなんて余計に頭が拒絶するよ」


 いかんいかん。

 変に同様したせいで寿命が縮まったかもしれん。


 気分を暗く落とし込んだ詩織は父の名を口にした。


「お父さんね、元々医者だったの。でも、お母さんが死んでから悪い物に取り憑かれみたいに暴走しちゃってね。スポイトメモリー技術っていう記憶の一部だけを抜き取る発明まで完成させた」


 詩織は自分の頭を指さして儚げに微笑む。


「で、真っ先に私の頭からお母さんの記憶を根こそぎもってちゃった」


 冗談はよせ、と言うつもりだった。

 でも、その弱々しい顔を見せられたら……信じるほかないじゃないか。


「……つまり詩織は母親の一切を覚えてないってこと?」


「うん。お父さんはお前の為だ、って言うんだけど、たぶん違う。本心では自分の頭からお母さんを消したいのに、怖くて先に私を実験台にしたんだよ。その証拠に、毎日私から抜き出したお母さんの映像を見続けてるんだもん」


「映像が見えるのか? だったら、詩織もそれを見れば母親の事を思い出せる……」


 詩織は小さく首を横に振った。

 優しい否定、とも言えるが、俺には諦めからくる仕草に見えた。


「確かにお母さんには出会えた。でもそれだけなんだよ。その時感じてた好きとか嫌いとか。楽しいとか苦しいも、何一つ蘇ってこない」


 なんだよそれ。

 まるで他人の記憶と何ら変わりないみたいに言うじゃないか。


「でもね、世間の人の役には立ってるみたい。本当に嫌な思い出ってかえって深く刻まれちゃうでしょ? でも、スポイトメモリーなら完全に吸い出してあげられる。お父さんも慈善事業じゃないからお金を貰う」


「記憶を抜き取るのにいくらかかるんだ?」


「そこにお金はかからない。むしろこっちがお金を渡す。でもその代わり、記憶を映画として上映するの。その時に料金としてお客さんからお金を貰う」


「上映? 他人の不幸な記憶を金を払ってまで見に来るような悪趣味な連中がいるのか?」


「いるよ、沢山」


 詩織は考えるまでもなく即答した。


「人ってね、自分より下の人を見ると安心するんだって。人の不幸は蜜の味って言うけど、本当に蜜を貪りに来るの」


 ゾクッと背筋に冷たいものが走った。


 それは、人の黒い所が如何にして処理されているのかを目の当たりにした事よりも、詩織の父──和重さんがいかに人の弱点を突く能力に長けているのかを知ってしまったせいだ。


 いやしかし、だからと言ってなんだと言うんだ。


 俺と詩織には関係ない。

 別に抜き取ってしまいたい記憶などないハズだ。


「ねえ、宗治」


 硬い声で俺を呼ぶ。


「私とゲームしない?」


「ゲーム?」


 詩織の口から飛び出しとは思えない意外な単語にオウム返しをしてしまう。


「一旦、私の事全部忘れてみよっか?」


「一旦? 一旦、ってどういう意味だよ。一度記憶を抜かれたら、もう二度とその感情を相手に抱く事はできないって言ったのは詩織だろ?」


「だからだよ。宗治がそのジンクスを変えて欲しい。私をもう一度見つけて、もう一度好きになってよ」


 ──無責任だ。


 そう思ったが、俺も同じではないか。


 詩織に対して同情などという独りよがりな感情で好意を踏みにじっている。

 しかも、愚かにも隠し通そうとしているのだ。


 ならば俺も責任を果たす時だ。

 例えまっさらな状態に戻ってしまったとしても、もう一度詩織と出会い、詩織と恋をする。


 そんなストーリーをなぞろう。


「分かった。そのゲーム受けるよ」


「ありがとう。宗治ならそう言ってくれると思ってた」


 その全幅の信頼が俺には突き刺さるんだよ。

 胃に穴が空くほど悩んでたんだからな。


 桜の木の真下に立った詩織は木の幹に手を添える。そして、肩越しに振り返って笑みを浮かべた横顔を覗かせる。


 俺はそんな彼女をいつまでも記憶に焼き付けていた。


「じゃあ8月2日から25日が期限ね! 20日以上もあるんだから大丈夫よね?」


「なんでそんな先なんだよ」


「大学が休講中にやったほうが、ホントに宝探ししてるみたいで楽しいでしょ? それに、メッセージでヒント出してあげるから! あ、お父さんをめんどくさい障害にしてもっと難易度上げるのもありかも」


 はぁ〜、とため息をついて後ろにもたれ掛かる。


 ヒントに障害物、ってマジモンの宝探しゲームじゃないか。


 自分のことを忘れられるのに、肝が据わりすぎてるぞ。詩織には男気ですら適いそうにない。


「分かったよ」


「頑張れ! 宮田先輩」


 後ろで手を組んでこちらに向き直った詩織。

 やっぱり彼女はどの季節に立たせても絵になる。


 次に目が覚めた世界でも、ストーカーの如く執念で必ず見つけ出してやる。


 そう誓うのであった。



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