第30話 Re.8月14日 サキの世界

 

 Re.8月14日



「ねぇ、サキちゃん。今日お祭り行くんでしょ? 浴衣着ていけば? 着付けしてあげるわよ」


「えー、別にいいよ」


 あたしは食事の手を止め、楓さんを見やる。


 楓さんの朝は慌ただしい。

 さっきからパンをかじりながら、あっちとこっちを行ったり来たり。


 部屋をまたぐ度に手荷物が増えている。

 仕事で必要な道具が沢山あるらしい。


 以前、いちいち家に持って帰らなくても、美容院に置いておけばいいのに、と釘を刺したが、手入れがあるとかで却下を食らった。


「そんな遠慮しないで。宮田くんと行くんでしょ? 可愛いところ見てもらいたくないの?」


 むぅ〜。そう言われるとそりゃあ可愛い姿を見て欲しいよ?

 でも、なんかあざといっていうか、狙ってるというか。


「じゃあそういう事だから、夕方に美容院に来てね」


「えっ!? ちょっと、楓さん!」


 行ってしまった。


 ホントにウチの母親の姉妹なのか? 全然タイプが違うから、ちょっと扱いが難しい。


 でも、母と違って楓さんはちゃんとあたしを見てくれるから……。


 妹が夏休みに入ると、家族はあたしを置いてバカンスに出かけた。


 家出をするいい機会だ。


 母のお古のキャリーバッグに着替えを突っ込み、置いていったお金を握りしめて外に出た。


 勢いだけは二重丸。


 外に飛び出してみたのはいいものの、行くあてなんてなくて、途方に暮れていた。


 ふと思い浮かんだのは、母の妹・佐山楓。


 小さい頃に何度か顔を合わせたこともあったし、大きな駅前に美容院を開いたとかで話題になっていた。


 行くしかない!


 電車を乗り継いで、何とか着いた頃には日が暮れていた。


「ごめんなさい、今日はもう閉店……ってサキちゃん!?」


 美容院に入ると、入口近くのレジで事務仕事をしていた楓さんが目を大きく開けた。


「久しぶり〜! もう何年も会ってなかったもんね! 随分大きくなって! 今、何歳? 彼氏出来た? 若い子眩しい〜!」


「若いって……楓さんまだ26じゃ……」


「もう26なのよ……」


「なんかごめんなさい……」


 楓さんがキャリーバッグを見たのが分かった。


「今日は1人?」


 目を逸らして口ごもってしまった。


 しっかりしなきゃ。

 家出してきたから泊めて下さい、って伝えるんだ。


「……あ、あの、……えっと」


 どうして言葉が出てこないの?

 あたしの覚悟なんて、所詮は口に出すのが恥ずかしいと思ってしまう程度のものだったの?


「座って待ってて。今、冷たいもの入れてくるから」


 結局、見かねた楓さんに助けられた。


 なにやってんだろ、あたし。

 自分で決めた事すらまともに出来ない。


 学校でもそうだ。

 もう絶対母を困らせたりしない、と誓っても、学校の雰囲気に流されてガラの悪い人と付き合うようになった。


 友人達は、決まって身に降りかかる災難を周りのせいにしていた。


 それがあたしにも感染した。

 あっという間に体は蝕まれて、母を気遣うあたしは消滅。かまってちゃんが爆誕という訳だ。



「サキちゃんを置いて海外旅行!?」


 家出の経緯を話すと、楓さんが机をバン、と叩いた。アイスコーヒーの水面に波紋が広がる。


「でも、義妹いもうとはこんなあたしにも優しく接してくれるんです。旅行だって、最後まであたしと残るって言ってくれてたし」


 義妹まで嫌に当たられて欲しくないから、最後は無理矢理行かせたんだけどね。


 母も義父も、あたしと義妹の事なんて外聞を飾るステータス程度にしか思っていないのだ。


 更に、義妹と違って手遅れのあたしは、もうめの上のたんこぶってわけですよ。


「行く宛てはあるの?」


「……」


「ないのね。ならウチにいていいよ」


「ありがとう……ございます」


 ああ、自分が嫌になる。

 楓さんなら、いつかそう言ってくれるんじゃないかって、ずっと待ちわびていたのだから。


「その代わり、お店を手伝うこと! それが条件ね」


「ここをですか? あたし、髪切れませんよ」


 そう言うと、楓さんは大笑いした。


 目じりに涙まで浮かべてる。

 身の回りには楓さんほど感情豊かな人がいなかったから、どこに笑う部分があったのか、ちょっと不思議だった。


「素人にハサミ持たす訳ないでしょ! サキちゃんは面白いなぁ。レジ打ちとか掃除を手伝ってもらうわね」


 なるほど、と納得。


 そりゃ免許持ってないんだから人の髪の毛を切れるわけないよね。

 さっきの発言、とんだ大マヌケじゃん。


 楓さんは最後に「でも、レジも掃除も雑用なんかじゃないよ。ちゃんとしたお仕事なんだから責任を持ってやってね」と真剣な顔をした。


 あたしなんかにも役割を与えてくれるんだ……。

 その事が嬉しくて、胸の奥が少しあたたかくなった。


 楓さんといるのは楽しかった。


 日頃では見えない世界を見せてくれる。

 あたしがいた世界は思ったより何倍も息苦しくて窮屈だったみたい。


 自然と笑う事が多くなった気がする。

 相変わらず愛想は成長しないけど。


 そんなある日、レジのお金をチェックしているあたしに楓さんが「髪を染めてみよう!」といきなり提案してきた。


 当然あたしは首を横に振る。


「いいじゃん、花の女子高生よ? 夏休みの間だけ髪を染めて、新学期早々、黒に戻りきってない髪を見た生活指導の先生に怒られるまでがセットなんだから!」


 荒い鼻息と超早口。楓さんの高校時代はそんな感じだったのかな?


「うちの高校、アクセも髪色自由なんで、それは大丈夫です。それに、あたしは黒のままでいいんです」


「どうして? 外を歩くのが少し楽しくなるわよ?」


「お母さんとお義父とうさんが嫌がるから」


 楓さんは束の間考え込んで、それでもあたしを強引にチェアまで連れて行った。


 鏡越しに目が合うと、楓さんは優しく微笑む。


「大丈夫、きっと楽しいから」


「楽しい?」


「一回やってみれば分かるわ。鏡に映る自分が全くの別人になってるから。たぶん、嫌なことも少しは忘れられるんじゃない?」


 それもそうかも。


 人に流されやすいあたしの本領発揮だ。

 やるならとことんやってやる。


 期間限定で黒い髪ともおさらば。

 真逆の白を選ぶと、さすがの楓さんも躊躇っていた。


 最後は「言ったのは楓さんですよ?」と発破をかけてイメチェン完了。


 髪色を変えたあたしはホントに別人にみたいで、鏡の向こうのあたしも別で意識を持ってるんじゃない? と思ったりもした。


 けど、瞬きをしても、手を挙げても全く同じ動きを真似てくる。正真正銘、羽山紗希だ。


 楓さんが言ってた『楽しい』が少し理解出来た。


 ドラマとか漫画で主人公に乗り移った気になれる感覚に近い。


 自分じゃない自分に、心が浮つくのだ。


 ここにいる間だけは、ガラスの靴を履いたシンデレラになれる。



 あたしの世界が僅かに色づき始めた。


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