第18話 8月12日 ギャルが台所に立つギャップ

 


 8月12日


 頭が痛い。最悪の目覚めだ。


 雨に打たれながら帰ってきたのがマズかった。


 でも、あのまま神社で雨が止むのを待っていたとして、それが果たして何時間後になったことやら。


 今だって、外は雨じゃないか。


 詩織さんは大丈夫だろうか……


 喫茶店まで送り届けようとしたが、電車を降りてすぐ、ここまでいいですよ、と気遣われ、別れてしまった。




 昨日の記憶が鮮明に蘇る。


 まさか、ひと夏の間に2人の女の子とキスをして、2人の女の子の泣き顔を見るなんて……


 どうした俺の人生?

 ジェットコースター並のハイスピードで次々起こりすぎなんですが。


 スマホが鳴った。珍しく電話だ。


 気怠い体を無理やり起こして、ベッドに座る。


 大きく息を吐いて、画面を見る。


「佐山さん? なんで電話なんか……」


 ああ、何となく予想はできる。


『昨日見た男の人の事は、皆には内緒にしといて』とかだろ。


 それ以外で佐山さんから電話がかかってくる用事なんて無い。


 別に誰かに告げ口するような話でもないだろうに。


 佐山さんは心配性だなぁ。


「はい、もしもし」


「あっ、宮田センパイ?」


「え、サキちゃん?」


 なんと電話口の相手はサキちゃんだった。


 まさか、サキちゃんを使って恋人の口封じをしようと企むとは。さすが佐山さん、策略家だ。


「どうしたよ? 佐山さんのケータイからなんて」


「いや、あたしスマホ持ってないし」


 なんで? と聞くのは簡単だったが、サキちゃんにはやむにやまれぬ事情がある。


 向こうの家ではスマホすら持たせてくれないのが現実なのだ。


 それを敢えて聞くなんて野暮なまねは出来ない。


「あのさ、宮田センパイ。聞きたいことあるんだけど……その前に喉、大丈夫?」


「なんかヘン?」


「ガラガラっていうか、死ぬ前のセミみたい」


 電話越しでも淡々とひどい言い方してくるな……もう慣れたけど。


 喉を押さえて、喉を鳴らしてみる。確かに少し痛みもあるな。

 けど、それが気にならないほど頭が痛い。


 サキちゃんには悪いけど、今すぐにでも電話を切って眠りたい気分だ。


「ごめんねサキちゃん。実は今日、あんまり調子良くなくて。さっきも寝てたんだ」


「えっ、マジで? 病院は?」


「そんな大袈裟なもんじゃないよ。ちょっと寝たらすぐ治ると思う」


「そ、そっか……ごめんね、こんな時に。じゃあ、また」


「うん、また」


 電話を切る。


 スマホを耳に当てる体勢を取ってるだけで痛みが増した。


 参ったなこりゃ、今日は家でじっとしてよう。


 天気も悪しい、何より最近の俺は少しアクティブすぎた。


 たまには休息か必要だ、って体が言ってるんだな。

 死ぬ前に信号を送る俺の体、まじ優秀。


 その時、手の中のスマホが小刻みに振動した。


 今度はメールだ。


 次から次へと矢継ぎ早に如何様ですか……って、また意味のわからない文章が送られてきた。


『約束破っちゃったけど、許してくれる?』


 いい加減しつこいな。誰と約束してたんですか、この人は。


 俺と今すぐ決別の約束してくれませんかね?

 そしたら、許してあげますよ。


 スマホの電源を落として、改めてベッドに横になる。


 体勢を変えるとまた頭痛の波が変わる。


 額に腕を乗せて圧迫してみると、ほんの少しだけ痛みが和らいだ。


 どちらかというと、押し付けて鈍麻しただけ。

 ちょっとでも腕の力を抜くと、瞬く間に元通りだ。






「最悪だ」


 ポツリと呟く。


 ベッドの上でごぞごぞと動き回り、目を閉じているだけの時間が過ぎてゆく。


 一向に改善に向かう気配が無く、苛立ちが募る一方だ。


 しびれを切らして、スマホで『眠れない時』とワードを打ち込んだ。


 検索してみると、対処法がすらり。


『スマホの画面を見ないの事!』って、本末転倒だろ。


 眠れないから調べてんのに、かえって逆効果になってるって、なんかのギャグかよ。


 水を飲もうと立ち上がった。


 すると、偶然のタイミングを見計らったようにインターホンが鳴った。


 居留守を使ってやってもいいのだが、ついでだし仕方ない。


 あっ、ヤベ。

 宗教とかの勧誘だったらめんどくさいぞ、と思った時には既に手遅れ。


 玄関を開けて、招く準備は万端であった。


 しかし、幸運は舞い降りる。


 招かざる客かと覚悟したその先に居たのは、サキちゃんだった。


「心配だから来た。とりあえず中、入れて」


「いきなりすぎだよ、ちょっと待って!」


 傘を畳んだサキちゃんは、有無を言わさず家の中に上がり込んできた。


 色味の無いごく普通のワンルーム。


 大学から帰ってきた時いつも温かく迎えてくれるお前を、今日ほど花のように輝いてくれと祈った事は無い。

 頼む。突然、オシャレなインテリアとか出てきてくれ。


 サキちゃんは、持っていた袋の中身をローテーブルの上に並べ始めた。


「これ、買ってきてくれたの?」


「うん。でも、どこが悪いのがわからなかったから……」


 お茶や、スポーツ飲料、ゼリーからのど飴まで。


 サキちゃんは不安の残る顔をして視線を泳がせている。


 ずっといないものとして扱われてきたせいで、自分がしている行動に自信が持てないのだろう。


「ありがとう。ちょー助かる」


「何それ、キモい」


 それが照れ隠し的な意味合いを含む言葉である事は、表情と声色から安易に読み取れた。

 不安がってた顔が、テストの点を褒められた子供みたいに晴れやかになる。


 口ではトゲのある言葉を発しているけど、たぶんサキちゃんが欲しかった反応だったんじゃないかな。


「あっ、そうだ。お腹空いてるでしょ? 簡単なもの作ってあげる」


「……?」





 座椅子に身を預けて、台所に立ったサキちゃんを眺めている。


 料理をするイメージが湧かなかったから、反応が鈍くなってしまったけど、ネギを切る包丁さばきはなかなかのものだ(無論、俺は料理ができない。口だけ評論家ぶってる)。


 皆、当たり前のようにネギ切ってるけど、ネギってすでに切られてるの買うもんなんじゃねぇの?


 料理しないと、その辺もよく分からん。


 鍋のお湯がボコボコと沸騰する音と、ネギを切るリズムが心地よい。


 今になって眠気がやってきた。


 もったいないなぁ……せっかく、台所に立つギャルのギャップに見とれてた所なのに……







「センパイ。宮田センパイ、起きて。麺が伸びちゃうよ」


「いやだ、もう休載はいやだぁ……はやくつづきがみたい」


「何寝ぼけてんの」


「……へ?」


 目の前に呆れた様子で覗き込むサキちゃんがいた。


 テーブルの上には湯気を放つ丼が1つ。

 出汁の良い香り……思わず、すうっーと鼻に入れたくなる。


「うどんだけど、やっぱり今の時期は暑苦しいかな?」


「ううん、美味そう。サキちゃん、料理出来るんだね。びっくりしたよ」


「麺茹でただけなんだけど」


「いやいや、俺にとってはカップラーメンも立派な料理だから。包丁使うなんて考えらんわ」


「じゃあなんで置いてあんのよ……」


「俺、形から入るタイプだから」


「そんなドヤ顔されても……あと、形から入れてないじゃん。入口に立って終わってるじゃん」


 確かに。

 1度も包丁を振るう経験なく、一人暮らし3年目だ。


 包丁くんも、ようやく存在意義を果たせてよかったね。3年間その刃を錆びらさず、よく耐えたな。あっぱれ!


 美味しい、と味の感想を言うと、サキちゃんは、そう? と毛先をいじりながらよそを向いた。


 わかりやすい子だ。

 でも本当に味は美味しかった。


 それに、わざわざ雨の中、俺を心配して来てくれたんだと思うと嬉しくて仕方ない。


 よくよく考えれば、21歳の男の部屋に16の女子高生ってなかなかにヤバい状況なのでは?


 ……ん? ちょっと待てよ。


「サキちゃんさ。なんで、俺ん家知ってんの?」


「……」


 サキちゃんは俯いてしまった。

 2人の間に、厳かな空気が漂う。


「──いた」


「いた? 何が居たの?」


「────いたの!」


「だから、何が」


「聞いたの! 楓さんに! 楓さん、お客さんの住所知ってるから、宮田センパイの住所聞いて来たの!」


 個人情報の管理どうなってんだよ……佐山さんの事だがら、聞かれたらすぐに親指立てて答えちゃうんだろうなぁ。


 なんか、天然なのか思案深いのか分からなくなってきた。


 悪い!? と顔を赤くしたサキちゃんを宥める。


 悪いか悪くないかで問われたら、たぶん悪いんだろうけど、サキちゃんの料理上手っていう意外な一面も見られたから全然オッケー。

 むしろ感謝だな。


「あ、そういえば、電話で聞きたいことがあったみたいだけど、なんか用事でもあった?」


 あっ、とサキちゃんは沈黙した後、様子を伺うみたいに恐る恐る口を開いた。


「違うとこのお祭りで宮田センパイと会った、って楓さんが言ってたから……そのぅ……誰かと一緒に行ってたのかな、って」


 こんな質問が返ってくるなら、聞き直さなければよかった。


 どうせ佐山さんに


『聞いてよ、サキちゃん! 宮田くん、一人でお祭り来てたよ〜! 袋いっぱい持ってたぁ!』


 って聞いてるんだろうな。


 ひとりじゃない、決して一人で寂しく屋台めぐりに勤しんでた訳じゃないんだ!

 でも、佐山さんに見られたのは一人でいる所だしなぁ……


 ちょっと誤魔化してみるか。


「サキちゃんは来てなかったの?」


「宮田センパイとこっちのお祭り行くから、別にいいかなって。宮田センパイが向こうのに行ってるとは思わなかった。……もしかして、あたし一人で勝手に盛り上がってのかな? 宮田センパイ、あたしとお祭りイヤ? ホントは一人の方がよくて、あたしと行く前に一人のお祭りを謳歌しときたいとかだったらマジで空気読めない女じゃん。そんなの恥ずかしすぎるよ、もう一生、」


 後半、すごい早口だった。

 いや、今も止まってないんだけど。


 てか、やっぱり俺が一人で居たって佐山さんから聞いてたんだ……ちくしょうめ。


 頭を抱えながら、ブツブツと念仏のように嘆くサキちゃんの肩を掴んた。


「下見的なやつだよ! サキちゃんと行くお祭り楽しみ過ぎたから色々プラン練ろうと思ってさ! イメージ掴めるかなって行ってみたんだ、1人で!」


 はい、大嘘です。


 本当は2人でしたよ?

 でもここで正直に言ったって、ただのおかしな人でしょ?

 だったらもういいです。

 俺は1人で両手いっぱいの食べ物を抱えた寂しい人です。


 サキちゃんが笑顔になる。


 凄いなぁ、嘘の力。

 俺の外聞を犠牲にサキちゃんの笑った顔を見られたぞ。


「そんなに楽しみにしてくれてたんだ」


「え、うん」


 楽しみにしてたのはウソじゃない!

 これだけは強く念押ししておこう。


 サキちゃんは上機嫌にそっかそっか、と頷いた。


「それじゃ、あたしそろそろ帰るね。いつまでも邪魔してちゃ悪いから。ちゃんと明後日のお祭りまでには元気になっててよ?」


 オッケー、と自信たっぷりに親指を立てた。


 サキちゃんはやれやれ、と肩を竦めて玄関に向かう。


 扉を開けると、セミの鳴く声が隙間から流れ込んでくる。


 でも、それだけ。


 雨はもう、すっかり止んでいた。

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