第17話 8月11日(後編)透けブラを覗くような男に神は雷を落とすのだろうか?
俺はすぐに駆け寄った。
「なんで駅の中に隠れとかないんです!? びしょ濡れじゃないですか!」
「だって、宮田先輩がいつまで待っても来ないから!」
「来ない、ってどっか行っちゃったのは詩織さんでしょ?」
詩織さんはムッと眉を寄せた。
「『あの女の人とお話があるみたいだから、駅前で待っとくね』って言ったじゃないですか! 何も聞いてなかったんですか!?」
俺は言葉に詰まった。
佐山さんの方に意識が向きすぎて全く頭に入ってなかったのだ。
「すいません、全然話聞いてなくて……一旦中に入りましょう? このままじゃ──」
「今更雨宿りしたって意味ないですよ。もうびしょ濡れです。それに」
詩織さんは俺の手首を掴んで、雨の中を歩き始める。
「まだ、満足してませんから」と付け足して、非力な力で必死に俺を引っ張ってくれる。
いつだって振り解けるのに、そうしなかったのは詩織さんに甘えたいと思う心の弱さなのかもしれない。
5分としない内に神社の鳥居を潜る。
外に迫り出した軒が雨を防いでくれて、ようやくノイズの無い詩織さんの声を聞くことができた。
「なんでよりにもよって今日降るんですかね。あーあ、ハンカチもびしょ濡れ」
スカートの水気を絞って、雨に濡れた髪を耳にかける。
毛先からポタポタと雫が垂れて、木造の本殿にシミが浮かんだ。
「あの」と切り出すと。
「何ですか、雨男さん」
と、万遍の笑みで返される。
怒ってる、その笑顔は怒りの裏返しだと本能が言っている。
けれど、臆する訳にはいかない。
改めて謝罪を伝えると、詩織さんは「別に気にしてませんよ」といつもの調子で言う。
こっちが気になるんですよ……いつの間にか敬語に戻ってるし、雰囲気も喫茶店の時みたいな大人っぽくなってる。
やっぱり、さっきまでの詩織さんは夢だったのかとすら思ってしまう。
靴下を脱いで三角座りする詩織さんの隣に座る訳にもいかず、賽銭箱を挟んで腰を下ろした。
また、距離感が掴めなくなった。
初めて会った時の方が上手くやれてたんじゃないか? 心の距離感を測る物差しはいつになったら出来ますか?
沈黙を破ったのは詩織さんだった。
「お腹空きました。なにか下さい」
「でも、袋の中にも雨入っちゃってて」
「餓死しろって言うんですか?」
「……」
抑揚の無い声で言われると、従う以外の選択肢が奪われる。
感情を思う存分載せてくれた方が分かりやすくて対応もしやすいのになぁ。
とりあえず、大丈夫そうな焼きそばを渡そう。
「これ、置いときますね」
詩織さんは膝に顔をうずめて動かない。
「食べないんですか?」と聞くと、少しだけ顔をずらして、
「宮田先輩が隣に来てくれたら食べます」
と、上目遣いで誘ってくる。
なんなんだ今日の詩織さん……
子供っぽいなって思ってたのに、急に色っぽくなったりして。
こうやったら宮田宗治という男がどう動くのか全部手中に収められているみたいだ。
俺は大人しく隣に座る。
すると、雨音の隙間から「ふふっ」と小さな笑い声が零れた。
詩織さんが喜んでるなら、まあいいか。
しばらくの間、無言の時間が進んだ。ちゅるちゅると麺を啜る詩織さんを定期的に横目で覗く。
不審者みたいだ。
「そんなにチラチラ見ないで下さい」
バレてた。
「味はどうです?」と誤魔化しを入れる。
「祭りの焼きそばの味です」
「じゃあ、味はイマイチだ」
「雰囲気が最高の調味料ですから。食べますか? ああ、でも確かもう1つ買ってましたね」
「いや、貰おうかな」
こんな経験前もあった。確かあれはサキちゃんと喫茶店に行った時だったかな。
あの時はあーん、チャンスをみすみす逃して……ってあら? なぜ丸ごと?
「じゃあ全部あげます」
「よっぽどお気に召さなかったんですね……」
確かにあんまり美味しくはない。
麺はブヨブヨでゴムみたいだし、ソースはとにかく辛い。
野菜もゴツゴツしてて人参なんてまだボリボリしてる。
「美味しいでしょ?」
「全部寄越した人がそれを言うのおかしいと思うんですけど」
「素直ですね。……そんな宮田先輩に聞きたいんですけど、あの女性のこと好きなんですか?」
「詩織さんにはそう見えたんだ」
「だって、あの人を見つけた途端に嬉しそうになってたから」
どんな顔してたんだろ。
ニタァってなってなら最悪だな。一生外歩けないよ。
俺は心中をさらけ出す事にした。
佐山さんと付き添っていた男性を見て、不思議に感じたところがあったからだ。
どうにも自分一人でこの気持ちを処理できるとは思えない。
「あの人、行きつけの美容院の店長なんですけど、会ってすぐに好きになってました。一目惚れってやつです。でも、今日、男の人と一緒にいる姿を見ても何とも思わなかったんですよ。あぁ、そうだよな、って佐山さんに恋人が居るのを簡単に受け入れちゃったんです。だから、どうゆーことなんだろう、ってずっと引っかかってて」
「嫉妬もない?」
「ちょっとはあります。けど、それ以上はない。意地でも佐山さんを手に入れてやろうとか、ぶち壊してやろうとか、ちっとも。……ねぇ、詩織さん」
いけない。
これ以上を口にしてしまうと、自分が分からなくなる。
今までの積み重ねた経験や想いが全部無意味だったんじゃないか、って他でもない自分自身でゴミ箱に投げ入れてしまいそうになる。
でも、もう遅かった。
「人を好きになるってなんなんでしょうね。……知ってます? 最近、記憶を売るなんてアコギな商売もあるらしいんです。もし記憶を売って、それでも、もう一度佐山さんを好きなれたら、それは今度こそ恋の証明になるんでしょうか? だったら、やってみるもの悪くないかもしれない」
「私、よく分かりません。……けど」
急に立ち上がった詩織さんが、俺の体を押し倒して覆いかぶさってきた。
「ど……どうしたんです? いきなりこんな」
影になって顔はよく見えない。
慣れないことはするもんじゃありませんよ、と体を起こそうとした時、詩織さんが俺の腕を掴んで自分の胸に押し当てた。
「なっ、なにやって!」
「私、よく分かりません。けど、宮田先輩と一緒にいると、心臓がいつも高鳴って仕方ないんです。ほら、分かるでしょ? 私、いつもこんな風になってるんですよ?」
詩織さんの胸から早い鼓動が伝わってくる。
ドッドッドッ、って心臓が激しく血液を送り出している。マトモじゃない時の鼓動。
「1回でいい、1回でいいんです。……だからごめんなさい、宮田先輩」
詩織さんの甘い吐息が漏れた時、ようやく放心状態が解かれた。
俺は詩織さんと唇を重ねていた。
雨で纏まった毛先が首筋を撫でて冷たい。
でも、密着した体と唇は2人の体温を分かち合っていて、暑いほどに熱を持っている。
「なんで、泣いてるんですか?」
唇を離した詩織さんは目元に大粒の涙を溜めていた。
悲しいことなんてなかったはずなのに、いつ零れてもおかしくないほど涙が溢れている。
「さっき、私の事チラチラ見てたのブラが透けてたからって知ってますよ。この涙は宮田先輩がスケベすぎて困っちゃったな、って涙です」
「バレてたか」
俺は、手のひらで涙を拭いながら短く嗚咽を繰り返す詩織さんの背中に腕を回した。
今からやる事は全部俺の自惚れ。
決して詩織さんが望んで、それを俺が叶えたって訳じゃない。
だから『いるけど今はいない彼氏さん』よ、どうか許して欲しい。
あと、神社の神様。
これは決して罪に問われる行いではないと念を押しておく。
あんたら、すぐに言いがかりをつけてきそうだから。雷なんて絶対落とさないでくれ。
詩織さんの震えを止めさせてあげられるのは、今は俺だけなんだ。
そう言い聞かせて、詩織さんの体を抱きしめる。
激しく打ち付ける雨は、まだ降り止んでくれない。
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