Chap.13-4

 グーグルマップ上で僕らが見つけた抜け道。大久保から、歌舞伎町のラブホテル街を斜めに明治通りへ突き抜ける路地を、カンタが利用することに、一か八かカケてみることにした。待ち伏せをする。今はそれしか思いつかない。ハズレれば、また出直すしかない。

 マップに示された付近にたどり着き、改めて周囲を見渡した。

 西日がビルの間に姿を消し、まばらに明かりの灯り始めた街角を足早に人々が通り過ぎて行く。なんてことはないありきたりの路地、師走の迫った冬の町並みだった。ホテル街が近いためか、人通りはそんなに多くはない。僕らが目を付けた抜け道に入っていく人の姿も皆無だった。クリスマスや年末が近づき、浮き足立ちはじめた町中からも外れている。こんなところを毎日通勤の道筋に使っているとしたら、ずいぶん寂しい。まるで人目を避けるような生き方だ。マップで見たときには怪しいと感じた道も、こうして実際に見ると印象が変わった。僕なら少し遠回りをしてでも、もうちょっと賑やかな通りを通勤に使うだろう。当てが外れたかもしれない……。

『カンタ:新しいカバンを背負うと、足取りもかるい。仕事ガンバロ』

 スマホを確認すると、カンタにしては珍しく前向きな発言が投稿されていた。

『いってらー』

『おにゅーのカバン見たい!』

 とSNSの投稿が流れていく。

『カンタ:今、すれ違ったデブメガネっ子、かわいすぎだろ』

『どれどれ?』

『デブメガネはみんなの財産です。はよ』

 カンタに写真のアップを促すレスがつく。出社中、歩きながらSNSに投稿しているのだとしたら器用な奴だ。

 ユウキが落ち着きなく辺りへきょろきょろと目を向けていた。

「この道を使うとすれば、もうすぐ来るんじゃない?」

 方向としては海苔巻き屋のあった大通りから、こちらへ曲がって来るはずだった。

 注目していると、路地の暗がりから小さな影がサッと飛び出した。白い体毛に耳と顔だけが黒い。サファイアブルーの瞳をしたあのシャム猫だった。この辺りも彼の縄張りなのか。カンタの写真で持ち帰りにした海苔巻きをあげていたのは、この周辺だったのかもしれない。

 シャム猫は、街灯の足もとまで来て立ち止まると、「ナア」と鳴いて暗くなり始めた町角に妖しい瞳を光らせた。ユウキが近寄る。

「ねえ、ネコくん。キミなんか知ってるの?」

 僕らに無関心の様子だ。どこかで腹いっぱいご飯でも食べて来たのだろうか。

 猫に気を取られ、横を通り過ぎて行く男にしばらく焦点が定まらなかった。

 よったよったとびっこをひく特徴的な歩き方で、その後ろ姿に自然と目が向いていた。ペンギンのロゴマークが付いた緑のデイバッグを背負っている。それはチャビが愛用しているカバンと同じメーカーものだった。上野動物園に行ったときにも、混雑した電車で前に抱え、不忍池に続く歩道橋の上では、空に向けて駆けだしていったチャビの背中で揺れていたリュックだった。

 痩せ型小柄な男。決して大きなデイバッグでもないのに、小学生が大きなランドセルを背負っているような貧相な印象を与えた。

 ラブホテル街へ続く抜け道に一人で入っていくその不自然な様子を数秒見つめた。チャビの無邪気な笑顔がカメラのシャッター音に合わせて瞬くストロボのようにフラッシュした。

「シャム猫くん、どっか行っちゃう」

 ユウキが言う。サファイアブルーの瞳が、ビルとビルの暗がりで瞬き消えようとする。

「あいつだ!」

 さっきSNSに投稿されていた写真では、緑のリュックというだけで、そのカバンがチャビのお気に入りのメーカーのものだと気がつかなかった。

「え?」

 ユウキが不用意な声を上げた。

 次の瞬間、その貧相な男は走り出していた。二、三十メートルほど前方を一目散に走り去っていく。反射的に駆け出す。

「ちょっと一平くん、待ってよ!」

 ユウキが背後に続いた。

 カンタは僕らの顔を知っていたのだ。僕らが気がつかないので、素知らぬ顔で通り過ぎようとした。チャビをストーキングしていたのだから、一緒に生活をする僕らの顔がバレていてもおかしくはない。しかも、僕は上野動物園でも見られていたはずだ。

 なんで、そんな簡単ことに気付けなかったのだ。

 僕らが一方的にカンタを見つける気でいた。学生時代、振るわなかったテストの答案に、詰めが甘いと先生から言われたことを場違いに思い出す。

 男はこちらを振り返ることなく、ひと気のないラブホテル街をどんどん走り抜けて行く。その背中でペンギンマークのリュックが盛大に暴れている。脇目もふらない。ただ、やはり足が悪いのか、そんなにスピードは出ていない。追いつける。男と僕らの追走する足音が半地下となったホテルの駐車場に跳ね返って、辺りに響いた。

 あと数メートルと迫った時、男の身体が急カーブを描いた。男に続いて角を曲がった僕らの前に、寄り添うカップルが飛び出した。

「うわ!」と叫んで、すんでのところで飛び退いた。いぶかしい目を僕らに向けて、足早に去って行く若い男女。ちょうど目の前のホテルから出て来たのだろう。

 息が上がって、頭の中にまでハアハァという自分の声が熱を持って響いた。

「ダメだ……見失っちゃったよ」

 後ろでユウキも苦しそうな声を出す。辺りに男の気配はなかった。だが、すぐユウキの手をとり、「あっちだ」と踏み出した。頭の中に地図がある。グーグルマップで見た地図。さっき角を曲がったのは不自然だった。僕らを巻こうとして取った行動に違いない。推測通りだとすれば、男は普段、あの道を真っ直ぐ進み、明治通りに抜けるはずだ。僕らも最終的にはそちらを目指せばいい。

 国道を行き交う車両の騒音に包まれる。明治通りへ抜けた僕らは、急いで周囲に視線を走らせた。新宿六丁目の方へ横断歩道を渡っていく緑のリュックを見つける。

「ビンゴだ」

 信号が点滅を始め、反対側から歩いてくる人々が邪魔をする。人の流れに逆らい、見え隠れする男の背中を追って、大通りから再び路地に全速力で駆け込んでいた。

「ちょっと待ってよ、もう限界」

 ユウキが険しい口調で音を上げた。僕も近くの電柱に手をかけ立ち止まる。苦しい。激しい呼吸。しばらくこの場から動けそうになかった。男の姿はどこにもなく、捉えかけた姿を再び見失っていた。

 辺りは似たような路地が連続していた。乱立する電柱と碁盤の目のように交差する道筋。電柱に貼られた『ここは新宿六丁目』という看板。見覚えのある景色だった。

 ここは――。

 家出の最中、見知らぬ男に連れて来られたハッテン場の近くだった。あの時はどこをどう歩いているのかもわからなかったが。新宿六丁目。そこは寂れたビジネス街のような、郊外の住宅地のような。こうして改めて訪れても不思議な空間に感じられた。

 SNSに、カンタが投稿をしていた。

『カンタ:サイアク、オレなんか尾行されてんだけど』

『ストーカーか』

『マジか』

『だいじょぶ?』

『あなたもしてましたよね? 自業自得ですW』

『カンタ:でも、うまく巻けたみたい』

 既に落ち着いてSNSへ投稿出来る場所にたどり着いたのか。カンタの勤務先と大久保のミョンドン海苔巻きが徒歩十五分だとすると、この辺りはまだ近過ぎる。でも、カンタの足が悪いことを僕らは知らなかった。そうだとすれば……。

 弾む息をようやく落ち着かせたユウキが思い出したように言う。

「あれ? ここ、寺井さんのお店の近くじゃないかな。バーバー寺井の」


 ◇


 バーバー寺井。店の前には、今どき珍しい床屋さんのサインポールが置かれていた。赤、白、青の縞模様が螺旋を描くように回転している。

 完全にカンタの姿を見失った僕らは、わらをも掴む思いでバーバー寺井にやって来た。この辺りで古くから商売をし、顔の広い寺井さんだったら何か分かるかもしれないと思ったのだ。痩せ型小柄、足の悪い男で、この近辺で働いている。そんなカンタの素性に思い当たるのではないかと。特に足が悪いという特徴は大きい。

「こんにちは……」

 ユウキが『バーバー寺井』の扉を開ける。店内は薄暗く、人の気配がなかった。昔ながらの床屋さん特有のオーデコロンの匂いが鼻につく。僕が寺井さんのお店を訪れるのは初めてだった。

「寺井さーん、いないの?」

 ユウキが店の奥の方へ声をかける。静寂が返ってくる。

 新宿の裏町、日はすっかり落ちてしまい、わずかに差し込む街灯の光が店内の様子をぼんやりと浮かび上がらせていた。カツラが外され、ツルッぱげになってしまった首から上だけのマネキン。その虚ろな青い瞳にゴクリと喉が動いた。

「二人ともどうしたんだ?」

 背後からかかった声に、ユウキと二人、抱き合うようにして飛び上がってしまった。

 店の入り口に、寺井さんがいた。冬だというのに、相変わらずコットン生地のハーフパンツにサンダル姿。夏のビーチでも歩いているような格好だった。店内に伸びる寺井さんの影が僕らの足元まで届く。

「店の中に人影が見えたから、泥棒かと思ったよ」

 寺井さんは「コンビニに行っていたんだ」と片手にぶらさげたレジ袋をひょいっと持ち上げた。

「もう、鍵くらい締めてってよー。危ないなあ」

 ユウキが寺井さんに文句を言う。

「勝手に入ってしまってすみません。今日はお店やってないんですか?」

 明かりの消えた店内を見渡す。

「ん、休みってワケではないんだけどね。うちは完全予約制だから、客のいない時間も多いのさ。二人とも今日は、髪を切ってほしいとか?」

 寺井さんが片手をチョキにして動かした。

「いや、それはまた今度で……あの、僕たち、人を探してて」

「人探し?」

 僕とユウキは代わるがわる、今までの経緯を寺井さんに話した。カンタという人物を追って来たこと。そいつがチャビのストーカーで嫌がらせを受けていたこと。外見的な特徴も伝え、この辺りで働いているはずだと。

 ひと通り聞き終わった寺井さんは「フム」と無精髭の生えた顎に手をあてた。店の奥にあるローテーブル、そのソファに座るように促される。

 店内の明かりがついて、眩しさに目をしかめた。

「君たちはこの辺りが、ゲイの風俗街だと知っているかね?」

 ハッテン場に、サウナ、マッサージ、ゲイ専用の出張ホスト、一見何の変哲もないマンションや雑居ビルの一室がそういう場所として機能している。この辺りは、ゲイ向けの風俗店が集っているのだと寺井さんは言った。

「私はここに店を開いてもう二十年になる。掃きだまりのような場所、と言った人がいたが、私はその言い方はあまり好きではないね」

 寺井さんは僕らと向き合うように腰を下ろすと、少し困ったような顔をした。

「君たちは、そのカンタという男を見つけ出してどうしようと思っているんだい?」

 真意がわからなくて、ユウキと顔を見合わせた。

「そんなの決まってんじゃん。止めさせるんだよ、嫌がらせを。SNSに投稿されている悪口とか、ぼくらのマンションの名前とか全部削除させる」

「でも、もし言うことを聞かなかったら?」

 ユウキはそんなこと考えてもいなかったという風に、口を開けたまま眉をピクピクさせた。

「そ、そしたら警察に突き出して……」

「警察か。上手くやってくれればいいが、彼らはそうでないことも多い」

 寺井さんはあごをこするような仕草をした。

 タカさんの店の火事でもそうだった。あの時、警察の対応は納得のいかないものだった。火をつけた犯人が他にいるはずなのに、まるでタカさんが火事を起こしたかのような扱いだった。店の主人として、責任は自分にあるとタカさんは言っていたが。

「ましてや、君たちはストーカーの直接の被害者ではない。警察が本気で取り合ってくれなかったらどうする? むしろ、君たちこそストーカーまがいのことをしているのではないかね」

「でも……」

「どこの社会にも悪い奴、危ない者がいるんだ。私はこの裏町が気に入っているし、不必要に警戒することもないだろう。が、君たちがとった行動は軽率すぎる。追いかけている人物が、君たちの手に余る者だったらどうするつもりだったんだ。これ以上、タカちゃんやリリコに心配をかけるようなことをしてどうするんだね」

 通り魔事件やストーカー被害で傷害に至ったニュースは確かにときどき目にする。いつもと違う険しい表情の寺井さんに、僕らは何も言い返せずにいた。

「ただね……君たちが、チャビくんを心配した気持ちは尊い。真っ直ぐに行動に移せる君たちが羨ましくもある」

 声のトーンを少し落として、寺井さんは息をついた。

「私にはそんなマネ、とてもできないからね」

「寺井さんも、タカさんの事を心配してくれています」

 過去に囚われて身動きのできなくなったタカさんを、寺井さんもリリコさんもずっと支えて来た。友達を思う気持ちは、僕らと一緒なのではないかと思う。

「いや、私がやっているのは慈善事業に金だけ出して満足しているようなもんだ。どうも当事者になるのは苦手でね。タカちゃんのことも、タカちゃんが背負ってしまったことも、実際はあの手この手ではぐらかしてばかりさ」

 夏の台知久海岸で初めて会ったときから、寺井さんの印象はずっと変わらない。アイスキャンディの詰まったクーラーボックスを肩から下げて、配って歩くのは恥ずかしいから売っていることにしている。寺井さんはそういう不器用な人だった。

「ごめんなさい。カンタを探そうと言い出したのは、ぼくで。一平くんはタカさんに相談しようって言ってくれてたのに」

 黙って話を聞いていたユウキが神妙な様子で頭を下げた。

「ユウキのせいだけじゃない。むしろ、僕の方が年上なんだからしっかりしなきゃいけなかった」

「ちょっとやめてよ、今更年上ぶるなんてズルくない?」

「僕が年上ぶってるんじゃなくて、ユウキが生意気なだけだろう」

 つい条件反射でやり返してしまう。本当は感謝をしていた。ユウキがいなければここまでたどり着けなかったし、僕がタカさんへの思いを口にして尚、真っ直ぐに向き合ってくれるユウキがありがたかった。

 揉める僕らを見て、寺井さんは「やれやれ」と苦笑いをした。

「支度をするから、ちょっと待っていなさい」

 寺井さんの言葉に僕らは言い合うのを止め、どういうことだろうと互いに目配せをした。


Chap.13-5へ続く

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