Chap.13-3

 捜索を再開しようとコインパーキングを出かけると、一匹の猫にじゃれつかれた。駐車中の車の影から現れた毛並みのいいシャム猫で、ユウキの足元にすり寄ってゴロゴロと喉を鳴らした。密集した住宅街の路地裏は薄ら寒く、僕らと同じようにコインパーキングに差しこむわずかな日の光に誘われて来たのだろう。

 ユウキが屈み込んで「どうしたんだー?」と喉元を撫でると、迷惑そうにしてから、プイッと縁石の上にできた陽だまりで毛づくろいを始めた。

「ちぇ、つれないヤツだなあ。そっちからじゃれてきたクセに」

 ユウキがぶうたれる。

 エサでも貰えると期待したのか。人に慣れているし、毛並みもいいので、飼い猫かも知れない。シャム猫特有の白い短毛に覆われ、耳と顔だけが黒かった。サファイアブルーの賢そうな目をしている。体長は四十センチメートルくらいだろうか。大人のシャム猫だ。

「一平くん?」

 毛づくろいをするその様子から目が離せない。

「どうしたの?」

 何かが閃きかけていた。急いでカンタのSNS投稿をスマホで見返した。

「こいつ……カンタの写真に写っている。持ち帰りにしたミョンドン海苔巻きを猫にあげている画像があっただろ」

 興奮する僕の声に、シャム猫がこちらを警戒した。縁石から飛び降りると、さっと車の影に隠れてしまった。

 猫の生活圏のことを動物好きのチャビに教えてもらったことがあった。上野動物園だった。あのときチャビはなんと言っていた? 懸命に記憶の糸をたどる。ネコの縄張りは、飼い猫の場合二、三百メートルしかない場合もある。それは十分なエサを与えられているので、わざわざ広い範囲でエサ探しをしなくてもいいからだ。そして、それから……。

「ネコの通り道だ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。何のこと? ちゃんと説明して」

「ネコはいつも決まった道を通るんだ。道に沿ってマーキングをする。しかも飼いネコの場合、その生活圏は二、三百メートルってこともある」

 SNSにアップされていたシャム猫の写真を見せながら、手短にユウキに説明する。写真の猫がここにいるということは、近くに探しているミョンドン海苔巻きの店舗があるのではないか。

「ちょっと、そうだとしたらマズイじゃん。このままじゃ、どっかいっちゃうよ!」

 車の反対側から再び現れたシャム猫は、色めき立つ僕らを横目に、さっと塀の上に飛び乗った。塀の上をしばらく歩いて、その向こう側に身体を翻した。

 ぴょんぴょんとジャンプをして、塀の反対側を覗く。一本向こうの路地へシャム猫は悠然ゆうぜんと歩いて行くところだった。

「あっちだ!」

 同時に動こうとしてユウキと身体がぶつかり、つまづきかけながら互いに駆け出す。

 サファイアブルーの瞳を持つシャム猫は、僕らが大騒ぎで追いかけて来るのチラリと振り返って鼻で笑うような仕草をした……ような気がした。まさかバカにされているワケはないだろうが。見失いかけてはぎりぎりで追いつくことを繰り返し、入り組んだ住宅街の路地裏を走り回ることになった。

 大通りに立ち並ぶ雑居ビル。その合間へシャム猫がついに姿を消してしまい、もうこれ以上の追跡は無理だと諦めかけた時、その店は目の前にあった。

 ミョンドン海苔巻き大久保十一号店。見つからないのではないかと疑心暗鬼になっていたのがバカらしいくらい、カンタがSNSに投稿していた写真と店の様子が一致していた。しばらく漠然と店の看板を見上げてしまった。ユウキに突かれて我に返る。

 頷き合ってから、海苔巻き屋の店内に足を踏み入れた。


 ◇


「いらっしゃいませー」

 韓国訛りの店員の声がかかった。案内はないので勝手に座れということだろう。

 不自然に店内をきょろきょろと見回してしまう。カンタはいつも同じ席に座っていた。写真に写りこんだ店舗の様子、その見え方や角度がだいたい一緒になる位置があるはずだ。目立たない店の隅の方で、壁に貼られメニューが並んだ下辺りを目指す。カンタの写真の記憶を頼りに、ゆっくり店内を歩く。テーブルから見える厨房の風景に見覚えがある。きっとここで海苔巻きを撮影していたのだろう。そう思われる席に座った。

 店内の雰囲気は、居酒屋といった感じだった。まだ早い時間なので、四十席ほどの店内には二、三組の客がいるだけだった。

 ここにカンタが頻繁に座っているのかと思うとお尻がムズムズとした。

「ちょうどいいから、ここで飯にしよう」

「そうだね。お昼ご飯ちゃんと食べてなかったからお腹空いちゃったよ」

 お茶を持って来た店員に、一番オーソドックスな海苔巻きのセットを頼んだ。トッポギやチャプチュのような代表的な韓国料理もメニューにはある。ネット検索しまくったせいで、この店のメニューを熟知していた。

「カンタが食べにくるのはだいたい深夜でしょ? ここでずっと見張っているわけにもいかないし……そもそも、今晩もカンタがここに来るかどうかわからないもんね」

 ファストフードなみの早さで出て来た韓国海苔巻きに食らいつきながら、僕とユウキは再び額をつき合わせた。何か見落としている情報はないかと、手にしたスマホでカンタのSNSをスクロールさせた。何かあるはずだ。

 ここまで来たのだ。あと少し、もう少しでカンタにたどり着ける――。

「さっき一平くんが言っていた通り、仕事帰りにカンタがこの店に寄るとするとさ」

 僕の前に座るユウキは、海苔巻きを頬張る口をもごもごさせながら言った。中に入ったカクテキの辛さに少し涙目になっている。

「カンタが仕事をしているのは、夕方十七時から深夜一時過ぎくらいだよね。深夜で他に営業している店が少ないから、自然とここを利用する頻度が高くなっているのかな」

 韓国海苔巻きのチェーン店であるこの『ミョンドン海苔巻き』は、居酒屋のノリもあって深夜営業をしていた。

「歌舞伎町の方にいけば、遅くまでやっている飲食店はいくらでもありそうだけどな。この大久保だって、駅に近ければ他に深夜営業をする店がないわけじゃないだろう?」

「うん、だからこの店が帰り道にあるんじゃないかと思ったんだ。わざわざ遠回りして他の店に行くのも面倒だって考えれば、飲食店の少ないエリアから、この大久保二丁目へ移動しているのかも」

「なるほど」

 海苔巻きの最後のひときれを食べ終わる。お茶を飲んでひと息ついた。

 ここから比較的飲食店の少ないエリアは、東新宿、歌舞伎町のホテル街、新宿六丁目から四谷にかけての住宅街がある。日常的な徒歩圏内としてもその辺りが限界だろう。スマホアプリでグーグルマップを開き、この店へ徒歩でたどり着けそうな範囲を絞っていく。

「SNSにアップされていた風景は、ぼくらの生活範囲とも似ていたし、やっぱり東新宿の方かなあ」

 ユウキが唸る。グーグルマップとにらめっこをするようにして、カンタの足取りを想像した。何か見落としはなかったかと、ざっと眺めるようにSNSの発言も見返していく。

 ある日の投稿に注目した。

『しごおわ』

 と深夜一時付近に発言してから、この店で韓国海苔巻きの画像をアップするまで、二十分以内で済んでいる日があった。注文してから海苔巻きが出てくるまでの時間を差し引いて、勤務場所からこの店まで十五分以内に到着しているのではないか。

「人の歩くスピードってどのくらいだ?」

「うーん、どうだろう。今、ちょうど引っ越し先を探してて思ったのは、駅から徒歩十分て結構距離があるなあって。賃貸情報に書いてある時間じゃ、絶対たどり着けないし」

「あれは、ちょっと早足で計算してるみたいだからな」

「え、そうなんだ、ズルイなあ。ちょっと待って。調べてみる」

 ユウキがネットで調べてくれた結果、一般的な人の歩行スピードは時速四キロメートル(ちなみに不動産屋に記載されている駅徒歩○分は、時速四・八キロメートルくらいで計算されているらしい)。一分間に直すと約六十六メートル。十五分圏内だとすれば、この店からおよそ一キロメートル以内になる。

 指先を使ってグーグルマップを拡大、縮小させた。新宿の町が手のひらの中で大きさを変える。こうして見ていると、僕らがまわってきた大久保もそんなに広くは感じない。入り組んだ路地裏、普段は気付かない道筋が幾つか拡大に合わせて表示された。

「この斜めに歌舞伎町を貫通している道を使うと、ぼくらのマンションと大久保って意外と近いんだね」

「ほんとだ。まあその辺はホテル街だから夜はちょっと歩きにくいけどな」

 約四百メートルに渡って、国道三〇二号線から僕らの家にも近い明治通りへの抜け道が目についた。

「この道を使うとさ、カンタの通勤範囲がもうちょっと広がらない?」

 東新宿方向へ限定すれば、新宿二丁目付近までたどり着くことが出来る。

「この斜めの道、どうも気になるね……」

 新宿二丁目から大久保方面に徒歩で向かうなら、この道を使わない手はない。

 眉をピクピクとさせながら難しい顔でスマホとにらめっこを続けていたユウキが、急に、

「あ、あ! あ!」

 と慌てた声を上げた。

「カンタが今日の活動を開始している。きっと……これから仕事だ」

 昨夜から何度と見返してきたカンタの投稿。書き込みのパターンから、行動がだいたい予測出来るようになっていた。今の時刻は十六時過ぎ、出勤前の発言に違いない。

『おはよ』とカンタが発言していた。しばらくして、数名の者が『おはよーさん』『おはー』『もう夕方やぞ』とレスポンスを始めた。

 カンタのアイコンはお気に入りの太め少年のイラストで、反応をする者たちもカンタと同じようなイラストか、犬や狼を擬人化したキャラクターだったりとその正体はわからない。

『おはあり』『これから仕事』『休日? なにそれオイシイの?』とカンタの返信がついていく。

『今日は買ったカバンで出勤する』

 カンタの発言が続く。数日前の投稿で、デイバッグの写真がアップされていた。ありきたりのカバンではあったが、町中でそのデザインを探せば、カンタを見つけることが出来るかも知れない。カンタが何処に出没するかわからないのでは、それも無理だろうが。

「どうする? カンタ、もうじき家を出そうだよ」

「……カケをしてみるか」

 僕らは席を立つと、慌てて会計を済ませ、店を飛び出した。


Chap.13-4へ続く

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