Chap.13-2

 JR新大久保駅周辺はコリアンタウンとして有名だ。だが、その歴史はそんなに古いものじゃない。日韓サッカーと韓流ドラマへの熱狂がこの韓国街を成長させた。ヘイトスピーチという反韓デモで水を差されなかったら、今でも発展を続けていたかもしれない。仕事の得意先、大久保周辺の百人町でタウン誌を作成している印刷工場の社長さんはそんなことを言っていた。

 店舗検索によると、ミョンドン海苔巻き全三十二店舗中、十三店舗がこの大久保周辺に集中していることがわかった。しらみ潰しをするなら、密集しているところから始めた方が効率がいい。カンタの生活環境が東新宿であることを考えても、大久保は出没の可能性が高い。靖国通りを渡り、歌舞伎町を通り抜け、ユウキと二人、休日の大久保へやって来た。同じ新宿区なので十分歩いて行ける距離だった。


 カンタがSNSにアップしていた写真、海苔巻き屋の店内の様子や、その近辺と思われる風景の画像を頭の中で照らし合わせて見る。慎重に大久保の街並みに視線を配った。過去のカンタの発言に店舗を特定するヒントはなかっただろうか。

 そうだという確信もないが、絶対に違うという確証もないまま、ミョンドン海苔巻きの店を巡って行った。もしかしたら、既に違うと通り過ぎた店舗に正解があったのではないか……徐々にわき上がるそんな不安を振り払い、コリアンタウンの狭く入り組んだ路地を進んで行った。グーグルマップのルート検索に従うと、なぜか込み入った路地裏ばかりを歩くことになった。

 角を曲がると、赤や緑の色彩に溢れた、朝鮮半島の歴史を感じさせる立派な装飾の門構えに出くわした。足を踏み入れた住宅街では、ネグリジェのようなスケスケの服を着て眠そうな目つきでゴミ出しをしている夜の商売のお姉さんや、頭にクルクルカーラーを付けたオバサンにジロジロと見られた。壊れた自転車が立ち並ぶ通り、何を売っているのかよくわからない雑貨屋さん、韓流ホストのでっかい看板。ここが東京であることをうっかり忘れてしまいそうだった。映画の中で観たような異国の街、雑多としたアジアの地方都市にやって来たような錯覚に襲われる。一方で、カンタの常連と思われるミョンドン海苔巻きの店舗は、一向に見つからなかった。


 ◇


 少し休憩をしようとユウキが言い出した。

 自販機の缶コーヒーを飲みながらコインパーキングの縁石に腰を下ろす。日影は冷えびえとして、路地に連なる屋根の合間から差すわずかな日の光を求め、ユウキと寄り添うように座った。冬の日差しを感じる。

「ねえ、一平くん」

「ん?」

 手のひらに缶コーヒーの温もり。

「実際に見つかると思う? 探している店」

 見つかるさ……とはすぐに言えなかった。しらみ潰しを言い出したのは自分だったが、正直、結構しんどい。気弱な思いが顔に出ていたのだろう。ユウキが苦笑いをした。

「一平くんは、ホントにわかりやすいなあ。ウソがつけない性格だよね」

「それはバカにしてんのか」

 臨戦態勢を取る。

「してない、してない。でも、家出してたのはバレてたよ。急な出張なんてウソだったんでしょ?」

 チャビが入院する前、タカさんのことでギクシャクとしてしまった僕はいたたまれなくなって、数日マンションに帰らなかった。会社の同僚の部屋やカプセルホテルを転々としていた。やっぱり見抜かれていたのだ。それを言われるとぐうの音も出ない。

「心配をかけてごめん」

 神妙にする僕を横目に、ユウキは缶コーヒーに口をつけた。

「一平くんて、タカさんのことが好きなんだよね?」

 言葉に詰まる。前にも同じことをユウキから聞かれたことがあった。そのときは誤魔化してしまったが。

「そうだね。タカさんのことが好きだよ」

 思いを初めて、自分以外の誰かへ口にした。

 ユウキは視線をそらすと、少し声をどもらせた。

「一平くんの前に、一緒に住んでた人も、たぶんタカさんのこと好きだったから、何となくわかったよ。恋が実らない人と、一緒に住んでるのは辛いよね」

 理由も告げずに出て行った以前の同居人。僕は話に聞いただけで、実際に会ったことはない。その人もあの部屋が事故物件で、死んでしまった恋人の気配をタカさんが自作自演していたことに気がついた。僕と違ったのは、皆に知らせず、そっと引っ越して行ったということ。

「一平くんは、これからどうするの?」

「わからない。ユウキは? 本当に引っ越しちゃうのか」

「うん、部屋は探している。いいところが見つかったら引っ越すと思う。年内は厳しいかもしれないけれど」

 そのまま黙ってしまう。

 二人してコインパーキングの空を見上げていた。

「ぼく、好きな人がいるって言ったの覚えている?」

「ん? ああ、覚えているよ」

 一緒に海に行ったときに、好きな人がいるから今年はひと夏の恋をしないと言っていた。

「あれ、もう諦めることにしたんだ。その人、他に好きな人がいるの分かっちゃったから。まあ最初からそうじゃないかとは思っていたんだ。ちょっとは期待したけれど、全然だったなあ。次、好きになる人がもしできたら、いろいろ考えずに言っちゃうことにするよ。好きってさ。そういうのって言っちゃったもん勝ちじゃん? どんどん言いづらくなるから。あーあ、いざって時に何でいつも言えなくなっちゃうんだろ、ぼくって。気持ちも伝えられずに終わっちゃう恋なんて冴えないよなあ」

 視線を落としたまま、ユウキは引きつった笑みを浮かべた。

「さて、そろそろ捜索を再開しますかー」

 ユウキがぐっと手足を伸ばし、縁石から立ち上がる。黙ったままいつまでも立ち上がろうとしない僕に差し出された手を、ぎゅっとつかんだ。

「ありがとう」

「え? 何が」

「ユウキの気持ち、ちゃんと伝わってる」

 そう感じていたからタカさんのことを話した。ユウキは耳まで顔を真っ赤にする。

「な、な、何言ってんだよ、もう! ズルイよ、急にそんなこと」

 泣きそうな顔で、無理に笑おうとする。立ち上がった僕の肩にゆっくり額を当てると、うつむいたまま囁いた。

「ぼくも頑張るから、一平くんも頑張ってよね。いろいろとさ」

「できるだけのことはしてみるよ」

「うん、そうだね。今はとりあえずチャビのことを頑張ろう」

 そう顔を上げたユウキは、いつもと同じ生意気な顔を見せた。


Chap.13-3へ続く

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