虹を見にいこう 第13話「新宿ウォーカー」

なか

Chap.13-1

 スマホの画面から顔を上げると、ユウキと目が合った。

「これって……」

 ユウキも同じものを見つけたのだろう。広まってしまっていた。チャビの病気のことが、SNS上で恐ろしいスピードで拡散されていた。ゲイ同士でつながりを求めるSNSの世界が狭いのか、またはゲイ同士の連携が強いためなのか。

 投稿を辿っていくと、病気のことだけではなくチャビへの誹謗中傷がどんどん見つかった。どれも目を覆いたくなるようなものばかりだった。

『こいつは盗人です。ホテルのシャワーに入っている間に、財布から金を抜き取られました。警察に突き出すべきです』

『拡散希望。この子は自分の身体を売っているアバズレだ。ダマされるな』

『【要注意人物】コイツはHIV陽性でみんなにポジ種をバラまきまくってます』

「なにこれ……」

 チャビへの悪意に満ちた投稿の数々にユウキが唖然とした声を漏らす。全てが出任せでもなかった。チャビが出張ホストと思われるバイトをしていたこと。病気もおそらくバイトを通して感染してまったのではないかということ。夏の終わりにそのバイトを辞めていたことをユウキにかいつまんで話した。

「チャビ、何やってんの。それじゃあ、自業自得じゃないか……って、ちょっと待った。マズイよ、これヤバくない?」

 ユウキが差し出したスマホの画面上に、チャビの住まいとして、このマンションの名前が投稿されていた。住所や部屋番号までは記載されていなかったが、調べればすぐにわかってしまうのではないか。ショックで声を出すことも出来ない。

 そうこうしているうちにも、悪意に満ちた投稿のリツイート数は伸びていった。見守ることしか出来ない僕らの前で、数字が跳ね上がっていく。いったいみんな何の権利があってチャビのことを拡散しているのか。SNSの管理者に言って削除してもらうにしても、どのくらいの時間がかかるのかわからない。そもそも既に拡散され、皆の記憶に刻まれてしまったものはどうすればいいのか。

 きっとみんな知ったことではないのだ。僕自身、他人事だったら、興味本位で拡散していてもおかしくなかった。むしろ、盗人だ、要注意人物だと真に受けて、良いことをしたと思ったかもしれない。情報の信憑性や、安易なリツイートがもたらすかもしれない結果は考えることもなく。

 情報の発信源を確認すると、ほとんど全てが同じ投稿者によるものだった。投稿者の名前は『カンタ』。その名に、ゾワッと肌が粟立った。夏の記憶がフラッシュバックする。

「こいつ、チャビのストーカーだ」

「え?」

 ユウキが自分のスマホ画面を見る。

「チャビが出張ホストをしてたときの客じゃないかと思う。チャビはすごい怖がっていたんだ。客の顔をいちいち覚えていないから、誰なのかもわからない。だけど身近にいて、チャビをつけ回していた」

「ちょっと待って、じゃあ何でチャビの悪口言うの? いやそもそもストーカーに追われてるって、どーいうこと?」

 ユウキが頭を抱える中、僕はその『カンタ』という人物の投稿をさかのぼっていった。もうじき終戦記念日という夏の日。そうテレビで言っていたあの日。四ヶ月ほど前で、探すのに時間がかかってしまった。だが決定的な投稿を見つけた。

 カンタは呟いていた。

『上野動物園なう』

「夏に……チャビと一緒に上野動物園へ行ったんだ。そのとき、コイツにつけ回された」

 ユウキに説明しながらカンタの発言を見せた。記憶が鮮明になる。SNS上で、僕とチャビの通ったルートをほぼなぞるように写真を連投し、最後に意味深な発言をしていた。

『今日はひとりじゃなかったんだね』

 僕とチャビはペンギン舎の前でこれと同じカンタの書き置きを目の当たりにしていた。

 嫌悪に顔を歪めるユウキ。

「なに、コイツ。こんなことして何が楽しいの?」

 他にも執拗にチャビを尾行していると思われる写真がいくつも投稿されていた。新宿、渋谷、秋葉原、都営地下鉄のホームでチャビがたたずむ後ろ姿、新しいバイト先も既にかぎつけられていた。このマンションも同じようにして探し当てられてしまったのだろうか。写真の中のチャビに、「危ない、後ろ!」と叫び出したくなる。

 そんなカンタのつきまといの投稿は、夏を過ぎた辺りから内容が変わり始めていた。相手にされないことへの失望。手が届かない苛立ち。チャビが出張ホストを辞めたことが引き金となったようだった。投稿は攻撃的になっていく。

「……なんかコイツさ、わりと行動範囲限られてるかな?」

 しばらくカンタの発言を目で追っていたユウキがボソリと言う。

「ホラ、この建物もいつも出てくる。新宿周辺?」

 その町並みを写した画像には、新宿三丁目に位置する家具屋さんが写り込んでいた。僕らの生活範囲にも近く、見覚えのある風景が多い。ぼんやりとカンタの生活環境が頭の中に浮かんでくる。

 カミソリレターとの関係はよくわからない。チャビへの誹謗中傷がこのカミソリレターを呼びこんだ可能性があった。ネットにはそんな暇人が沢山いる。理由さえあれば人を攻撃しても許されると思っている人々だ。彼らを突き動かしているのは、僕らひとりひとりがSNS上に吐き出して、おりのようによどみ、積もりたまった世の中への鬱憤うっぷんなのだろう。アナタに変わって世直しをしようという人々。匿名性を維持したまま、一方的な正義を振りかざすことに酔いしれる行為。それは情報の信憑性も考えずに、リツイートボタンを押すのと本質は一緒だと思う。マンション名がバレてしまったのだから、それは十分あり得る話だった。

 または、考えたくないが……もしかしたら、カンタが直接この家に来たこともあり得た。そうだとすれば既に、扉一枚隔てた向こうにそいつは立っていたことになる。

「これ、放っておけないよ。何とかしなくちゃ」

 ユウキが言った。カンタの投稿を辿れば、きっと正体が突き止められる。本人に投稿を削除させるのが一番手っ取り早いのではないか、と。僕らの生活が脅かされてもいる。

「いや、ここはタカさんに相談した方が……」

「ダメだよ。ぜったい反対されるもん」

 ユウキの真剣な目に気圧される。

 チャビの事をいろいろ考えたとユウキは言った。僕も同じだった。チャビとこの先どう向き合ったらいいのかわからない。ただ、チャビに向けられた悪意を見て、このままではいけないと思った。迷いの中、ようやくつかんだその気持ちに、今は正直でありたかった。


 ◇


「まず、注目すべきはSNSの発言時間だね」

 翌日、靖国通り沿いのカフェ『ヴェローチェ』に僕とユウキはいた。マンションからの徒歩圏内なので利用することが多いカフェだ。二丁目にも近く『ニヴェロ』と呼んでゲイ達が暇を潰していたりもする。

 ノートとカラーマーカーを片手に、僕らは額をつきあわせて、SNSの投稿として刻まれたカンタの足取りを追っていた。

「なるほど。このカンタってやつ、だいたい発言する時間帯が決まっているな」

 A4ノートに書き出した時間の羅列を眺める。気になる発言をとりあえず書き出してみようと言い出したのはユウキだった。こうして抜き出してみると、投稿の時間帯が偏っているのは明らかだった。

「つまりこれ以外の時間帯は、発言できない理由があるんだね。まあ普通に考えると仕事かな」

「SNSへ投稿しているときは、仕事に行く前か、休憩中か。就業後ってことか」

「時間がズレていることもあるけれど……これは仕事が休みの日かな。曜日はバラバラだから、不定休なんだろうね」

 発言が多い時間帯は、午後十六時付近と、深夜二時から朝五時までの間。特に深夜の時間帯は発言が活発になる。完全に夜型の生活だ。チャビへの誹謗中傷も深夜が一番多い。しかも一つや二つではなかった。カンタはこの数ヶ月、毎日のようにチャビへの中傷を繰り返していた。同じ内容の再投稿も多いが、よくも飽きずに続けたものだと思う。これだけの投稿を繰り返していれば、そりゃいずれ誰かの目に留まる。特にリツイート数が伸び始めたのは、ここ二、三日のようだった。そうでなければ、僕らのうちの誰かがもっと早く気付いていただろう。

 深夜の時間帯は、遅い夕飯なのか、食べ物の話題も多くなる。こういう投稿を「深夜に飯テロ」と言うのだとユウキが教えてくれる。深夜に一人で食べるご飯ほど味気ないものはない。SNSに投稿することで寂しさが紛れるのかもしれない。

 どこかで買った海苔巻きを、猫に食べさせている投稿写真を見てそんな風に思う。

 食べ物の写真ばかりを見ていたら、腹がぐうと鳴ったので、焼きたてサンドでも注文しようかと席を立つ。

「あ、ついでにココアにアイスクリーム乗せたやつもお願い」

 特別甘そうなものをユウキは注文をして、

「頭を使うときには、糖分が必要だからね」

 とすぐに画面へ目を戻した。普段は抜けたところの多いユウキだけど、やはりネットの情報収集能力には優れている。少し頼もしいと感じる。

「このカンタって人は、午後五時くらいから深夜一時過ぎまで働いている。一度、そう仮定してみようよ」

 ココアフロートのストローをくわえたまま、ユウキが眉をピクピクとさせる。

 僕は腕を組んだ。

「夜の仕事ねえ。なんだろうな……飲食業は、その時間が多いかもな」

「ぼく学生の頃、保険会社のコールセンターでバイトしたけれど、そういうところも二十四時間対応のシフト制だから、夜間に働いている人がいるよ」

「時間帯だけで仕事を絞り込むことはできないか」

 テーブルに軽くつっぷした。

「闇雲にデータ解析しててもしょうがないよね。目的をハッキリさせた方がいい。ぼくたちの目的は何だっけ?」

「相手の尻尾をつかまえたいんだ」

「つまり正体を知るための情報だよね。名前、住んでいる場所、会社の場所でもいい」

「じゃあ、改めて地名、地域に関わる発言がないか見直してみるか」

 スマートフォンの画面を再びスクロールさせながら思う。僕らが逆にストーカーになってしまったようだった。カンタはどうやってチャビのストーキングをしていたのだろう。こんな風にチャビのSNSの投稿から情報を導き出していたのだろうか。チャビは個人的なアカウントではなく、出張ホスト店の指示でSNSをしていた。発言も少なく個人を特定する情報も少なかっただろう。ただ警戒心が薄かったから、上野動物園では後をつけられることになった。頻繁に、チャビを尾行したりしていたのだろうか。カンタはどんな気持ちで悪意を募らせていったのだろうか……。

 カンタはなかなかのSNSヘビーユーザーだった。膨大な量の発言をスクロールさせながら、世田谷、代々木とか具体的な地名を探していく。だが、なかなかこれぞという地名には行き当たらない。あったっとしても、チャビをストーキングするものか、どこかにふらっと出かけたようなものばかりで、そこに日常的に訪れているわけではなかった。あまり過去の発言に遡り過ぎても行動パターンが変わったり、引っ越していたりするかもしれない。今言えるのは東新宿周辺の出没が多いのではないかということだけ。それでも気になったことはノートにどんどんメモをしていった。

 小一時間も調べただろうか。ホットサンドに食らいつきながら手を動かしていたので、スマホ画面にバターの油分が虹色の紋様を作っていた。乾いたオシボリでゴシゴシと拭う。昨夜カミソリで切ってしまった指先も今になってズキズキと痛んだ。

「ダメだー。ぜんぜん住所を特定するようなものは見当たらない。わかったのは……この人、筋金入りのデブショタ専ってことくらいだよ」

 ユウキが弱音を吐く。

 カンタのお気に入りに登録されているのは、太った少年の画像ばかりだった。お気に入りとは、気に入った他人の投稿をいつでも見られるようにリスト化し、自分のメニューからアクセスし易くするSNSの機能だ。その数、数千枚か。チャビはデブショタ界隈ではモテ筋だろうし、丸っとした子は可愛いとも思う。けど、二次元のイラストから、三次元に実在する人物の自撮りまで、これだけ収集されているとさすがに引いてしまう。

「韓国海苔巻きも、どんだけ食ってんだろ、コイツ。週一以上で食ってるんじゃないか?」

 さっき見かけた写真、猫に与えていたのも韓国海苔巻きだった。キムチや細切野菜、タマゴ焼きを韓国海苔で巻いたお寿司のことを韓国海苔巻きと言う。専門のチェーン店もあって、好きな人も多い。

「お気に入りの店でもあるのかな?」

「仕事の帰り道にちょうどいい店があるのかもな。テーブルの調味料の瓶とか、海苔巻きの具材の内容からすると、大体同じ店で食べてるだろ」

「ん……、ちょっと待って。それって場所を特定することになるんじゃない?」

「そうか。店の常連だとすれば……いずれカンタがそこに現れる」

 前のめりになる。ようやく尻尾の先っちょくらいは捕まえたような気がした。

 写真にある海苔巻きの具材は、ほうれん草と細切にしたニンジン。卵焼き、カニカマとカクテキと思われるキムチ。特徴的な具材はこれと言って使われていない。だけど、具の配置はお店によって結構違う。鮮やかにスライスされた海苔巻きの断面。カンタがアップした写真と見比べながら、都内にある韓国海苔巻き屋のメニューを徹底的に検索した。

 夢中になりすぎて、スマホを掲げてみたり、互いの画面を突き合わせて、うーんと唸る僕らの姿をカフェの店員から変な目で見られていることにもしばらく気がつかなかった。

「間違いない……これだ」

 三十分後。『ミョンドン海苔巻き』という韓国海苔巻きのチェーン店に行き当たった。チェーン店なので海苔巻きの作り方が画一的でわかりやすい。カンタのアップしていた海苔巻きの断面の色彩や盛り付け方が、口コミ系グルメサイトに誰かが投稿した画像とほぼ一致していた。同じサイト内にあった店舗写真から、調味料の種類や容器もほぼ一致していた。探そうと思えば僕らにだって出来るのだ……思わず鼻息が荒くなる。

「でも、ミョンドン海苔巻き、都内に三十店舗以上あるよ。どうしよ」

 僕は立ち上がると、弱気なユウキの両肩をつかんだ。興奮が収まっていなかった。せっかくとらえた尻尾の先を離したくない。

「三十ならやれる範囲だって」

「やれるって、何を?」

「しらみ潰しだよ」


Chap.13-2へ続く

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