7(中2 夏休み)
朝からとても暑い日だった。夏休みももう10日程過ぎて、夏真っ盛りだ。
ぼくは夏のセミみたいに浮足立って、落ち着かない。
朝からずっと鏡とにらめっこをしている。
とても、わくわくしている。
今日はちひろとデートする日なのだ。
「うーん……」
どうしよう。前髪変じゃないかな。
ヘアアイロンを持って、鏡とにらめっこしているぼくは、どこからどうみても女の子だ。
髪型だって、るきさんやゆうりさんに相談して、ちひろが好きなストレートに決めた。
一緒に女の子っぽくなれて、ちひろは、喜んでくれるかな。
「えへへ」
独り言を言いながら、にやにやしてる。お母さんに見られたら恥ずかしくて死ねる。
でも、かってににやついてくるのだ。
だって今日は、はじめてふたりとも女の子の格好をしてでかける日なのだ。
ちひろがデートに、しかも大事な日にぼくを誘ってくれた。すごく緊張もするけど、それだけで、すごく嬉しかった。
「大丈夫……かな?」
服と、髪型の最終チェック。髪は、るきさんのアドバイスどおりきれいなストレートになって、ヒザ下までの黒キャミワンピと白Tシャツの組み合せはゆうりさんの真似を勝手にしている。ふたりとも、すごく美人だから真似ぐらいしてもいいよね。
あ。また鏡のぼくがにやついてる。
最近、楽しい事ばっかりだ。
『今日もオレの家集合な』
着信があって、スマホに目をやるとちひろからメッセージが届いていた。
夏休みになって、ちひろと一緒に居る時間が増えた。
彼が部活の無い日は、ほとんど一緒に過ごしている。
ゲームをしたり、家で一緒に女の子の格好をしたり。
あれから体を重ねたことは一度も無かった。
ちひろが部活の日は、るきさんやゆうりさんと街まで出かけて、入ったことのないカフェや、おしゃれな雑貨屋、それに服なんかも一緒に見て回った。
女の子ってこういう風に服を着るんだ、とか。こうやって遊んでるんだってことを、ちひろにも教えて、彼が褒めてくれて、彼と実践したりして。
はじめてできた友達と、大好きなちひろ。
ずっと今だけが続けばいいと、本当に心から願っている。
幸せすぎて、少し怖いぐらいだった。
……。
「みつきちゃんいらっしゃーい」
チャイムを押して玄関が開くなり、あきらさんがぼくを出迎えてくれた。
「あきらさん。それに、」
「はじめまして、みつきちゃん。俺は泰人っていいます」
身長が高くてTシャツから覗く腕にはがっしりと筋肉がついている。
がたいがすごく良い男性だった。男って言葉を擬人化したらこうなるんじゃないかってぐらい、すごくがっしりしていて、とても大きな熊みたいな人だった。
「えっと……こんにちは」
「彼氏なの」
へへ、とあきらさんが、と照れくさそうに顔をくしゃっとして笑った。
あきらさんは、長い髪を後ろでまとめて、大きなイヤリングが今日は目立っているし、珍しくパンツルックじゃなくてプリーツスカートを穿いている。
夏休みだろうし、彼氏さんと出かけるところだったのだろう。
彼氏。そうだよね、居ないほうが不思議だ。
あきらさんはすごく美人だもの。
「わたしは百草みつきって言って、その、ちひろ君の……」
なんとなく言いよどんだのは、相手が知らない人だったからだ。
ちひろは今日は女の子の格好をしているはずだし、この人はその事を知っているんだろうか。
それに、ちひろは彼氏の事を知っていたんだろうか。
「ちひろの彼女だよね」
ぼん、とあきらさんがぼくの頭を軽く撫でて、ぼくは小さく頷いた。
「ちひろ君もやるね。かわいい彼女さんじゃないか」
「ね。ふわふわ系でめっちゃかわいい。みつきちゃん、髪も服もすっごい似合ってるよ。最近ますますおしゃれになってきたんじゃない?」
「ふわふわ?」
「そ。女子ー!って感じ? スタイルいいしね、本当羨ましい限り」
「そんなことないです。あきらさんのほうが、すごく美人さんだし、手足も長くて、スタイル抜群で羨ましいです。わたしは全然身長伸びなかったし」
謙遜とかじゃなく、本当にそう思う。
あなたは、ちひろが好きな人だから。流石にそれは言えないけど。
あきらお姉ちゃん。見た目はクールそうだけど、優しくて面倒見がよくて、何より綺麗って言葉がよく似合ってしまうのだ。
いっそ悔しささえ湧いてこないから不思議だ。
「あー。それわたしに言っちゃう? わたし達はきっとあなたや先輩のことが――」
「お姉ちゃん。みつきに余計なこと言わないでよ」
あきらさんが冗談めかした弾んだ声を、ちひろの声が遮った。
いつのまにか、あきらさんの後ろにちひろが居る。
不機嫌そうにあきらさんを睨みあげて、口を尖らせている。
そんな顔をしていても、とても、
「ちひろ!」
ちひろは、とてもかわいい。
ウィッグだけど、肩下まで伸びた髪に、膝下までのサスペンダー付きの黒いチュールスカートに、なチョーカーリボン付きのブラウスを合わせている。うっすらメイクされた顔も相まって、女の子にしか見えないのだ。
なんとなく、あきらさんのセンスっぽい服装だった。あきらさんは、自分はともかく他人にはすごくフェミニンな格好をさせたがるから。
「わり、遅くなった」
「ううん。わたしも今来たところ」
「お、オレどうかな」
「すごく可愛いよ!」
「そっか。ありがと。なんかめっちゃ照れるな!」
顔を赤くして目をそらすちひろがすごく可愛いって思う。
あ。ふわふわって、こういうことなのだ。
なんとなく分かった気がする。
あ、でも、大丈夫なのかな。
咄嗟にぼくがあきらさんの彼氏さんを見たからだろう。
彼はぼくをみて、少し顎を引いて言う。
「大丈夫だよ。ちひろ君のことも、あきらの昔のことも俺は知ってるから。その上でお付き合いしてる。その上で、大好きなんだ」
「あ……すみません」
「いやいや。俺も先に言うべきだったね」
「みつき、そろそろ出かけようぜ。オレ、行きたいところあるんだ」
ちひろは顔は笑っていて、いつもの声音で、あきらさんの横を通り抜けて、靴を穿いている。
でも、ほんの少しの棘がちょっとだけ乱雑に靴を穿く動作に現れていた。
「ちひろ、今日ぐらいはオレやめたら? 女の子なんだし。あーでもオレっ子もありか。うん。好きにしたまえ。デート楽しんできてねっ!」
あきらさんは気づいているのか、いないのか。よくわからない。
のんびりした口調をちひろに投げて、彼の背中を軽く叩いた。
「ありがと。わたしにしとくよ。今日でかけるのだって、お姉ちゃんが背中押してくれなきゃ出来なかった」
ちひろが、あきらさんと彼氏さんの方を振り向いて見上げる。どんな顔をしていたかは、ぼくには見えなかった。
……。
「めっちゃ緊張する……お腹痛くなってきた。ねえみつき。お……わたし、大丈夫かな。変な目で見られてない?」
電車に乗って30分ぐらい。
雑踏の行き交う大通りから少し入ったところにちひろの行きたいお店はあった。
「大丈夫だよ、ちひろはどこからどうみても女の子にしかみえないから!」
10代~20代前半向けの、姫系のブランドのお店だ。
外から見てもとてもピンクピンクしていて、フェミニンらしさ前回のお店だ。
この店は一度、悠里さんや琉希さんと一緒に来たことがあったのだ。
そのときは結局何も買わなかった。ふたりとも趣味とは違うみたいだったし、ぼくもそこまでピンとこなかったのだ。
ちひろは、こういうのが趣味なんだ。知らない一面をしれて、ちょっとうれしい。
ぼくもこういう服を着てみようか。
「声低いし」
「そんなに低くないよ。ハスキーな女子って感じ」
「そうかなあ? そうなら嬉しいけど」
「うん。ちひろは可愛い。本気でそう思ってる」
ちひろがこんなに取り乱すなんて珍しい。
手は痛いぐらい握られて、さっきからずっとウィンドウの前を行ったり来たりしている。
やっぱりはじめて女の子の格好をして外に出るのはすごく緊張するんだろう。
ぼくも、女子になってはじめて学校に行ったときは本当に嫌で、緊張して、ちひろに助けられなければきっとクラスに戻ることだって出来なかったのだ。
「ちひろ! わたしに任せて。実は来たことあるし! 任せてよ!」
ちひろの手を両手で包んで、彼の顔を見上げる。
いつも頼ってばっかりだから、今日ぐらいはぼくもしっかりしなきゃ。
今日こそ、恩を返すんだ。
「みつき、来たことあるんだ。誰と?」
「悠里さんと琉希さんとだよ! ほら、最近ちひろに服の話とかいっぱいしてたじゃん。二人に色々訊いたり、一緒に色んな所にいったりしてたんだ。ちひろに、女の子のこといっぱい知ってほしくて」
「そっかそっか。最近みつき、なんか楽しそうだったもんな」
あれ。ちひろが褒めてくれない。
「ちひろ? ごめん、怒った?」
「まさか。どこに怒る要素があったんだよ」
「う、うん。なんか、変だよ、でも」
「まじか。緊張してるからかな。悪い悪い。心配かけたな。気にしないで。この話はもうおしまい!」
無理やり口を曲げたみたいに彼が笑って、手を離した。
声音は明るくて、それだけにすごい違和感だった。
「……教えてほしいよ。ちひろのこと、知りたいから。わたしに悪いことあったら直すから」
「なんか、みつき変わったよな。見た目もだけど、前はこんなに食い下がってくることなんてなかったのにさ」
ちひろが眉を寄せて、寂しそうな顔をして、けれどもその口調はどこまでも茶化すようなものだ。
「ごめん」
「いや、謝るなって。全然悪くないよ。ねえ、みつき。オレ、お姉ちゃんのことが好きなんだ」
「うん。知ってるよ。気づいてた」
ずっと分かっていたことだ。
今更動揺もしなくて、ただぼくは頷いた。
それでも良いのだ。ちひろが幸せになってくれるなら、何でも良い。
「そっか。みつきは平気なんだ」
「別に、変とか思わないから……。ちひろは、ぼくと一緒に居てくれて、いつも感謝してて、ずっとちゃんとお返ししたくて……」
言葉がうまく紡げなくて、なんども支えた。口下手なのが本当に恨めしい。
「そういう意味じゃなくてさ。まあいいや。店、入ろうよ。一緒に来てくれるよね?」
ちひろがにっこりして、ぼくの手を引いた。
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