「るき。誰? その子」


 なんとなく流れで関戸さんと一緒に帰ることになってしまった。

 校門に出たら、開口一番、見知らぬ女子がぼくを睨んだ。

 制服のリボンの色からして同学年のようだけれど、ふくれつらを隠さないその表情は妙に幼く見えた。


「同じクラスのもーちんだよ。今日は一緒に帰るんだ」


「もーちん? もしかして、その子百草さん?」


 露骨に嫌そうな顔されて、ぼそっと「有名だよね」と言われてしまった。

 今更傷つかないけど。


「そ。先帰ってってラインで送ったっしょ」


「わたし待ってたんだけど」


 その子の声は冷たくて、棘だらけだ。明らかにその棘はぼくに向けられているのだけれど、


「ごめんごめん。でも今日は話したいことあるんだー。大事な話」


 飄々と、なんの屈託もない笑顔で関戸さんは返した。

 ますますぼくに対する目線がきつくなっていることに、関戸さんは気づいているんだろうか。


「そうだけど、ひどくない? それ」


「そんなに怒らないで。もーちんさ、彼氏と色々あって、傷ついてんの。話聞いてあげなきゃ。雪未は優しいから、分かってあげられるでしょ?」


 関戸さんが彼女の頬に軽く触れると、まだ怒った顔をしているけれど、頬はちょっと柔らかくなった気がした。


「るきは誰にでも優しいからさ。不安だよ」


「大丈夫だって。あたしが好きなのは雪未だけ。ね? あたしのこと信じられない?」


「えー? そういう事言う? 信じてる。でもさあ……わたしは、ずっと一緒にいたいよ。好きなんだもん」


「うん。あたしも好きだよ」


 声がとろけて、彼女はしっとりと濡れた瞳をしている。まるきり恋する女の子みたいな目。

 10分ぐらい、関戸さんと彼女の好きの応酬をぼんやり眺めていた。

 ぼくもちひろにああ言うふうに好き好き言っている。

 るきさんと雪未さんのやり取りに、自分の姿が重なってなんでか……すごく、もやもやする。なんでだろう。


「じゃあね! るき! もーちんの話ちゃんと聞いてあげなよ!」

「うん、ばいばーい」


 機嫌の直った雪未さんがニコニコと手を振って去っていく。

 彼女の姿がすっかり見えなくなってしまってから、関戸さんは大きくため息を付いた。


「なんかごめんね。あたしの彼女が」


「わたしのほうこそごめん。彼女なんだ?」


 やっぱりそうなんだ。


「そ。帰ろっか、もーちん」


 関戸さんが歩き始めて、ぼくもその隣についた。


「関戸さん――」「るきでいいよ」


 ぼくの声に関戸さんの声が被った。

 優しい声だけど有無を言わせない眼力でぼくをにっこり見下ろしている。


「えっと……るきさんは彼女と仲いいんだね」


「もーちんは彼女が居るっていっても驚かないんだね」


「わたしだってもともと男だし。変だよね」


「なかなかないよ? 病気で女の子になっちゃうなんて」


 あははってあっけらかんと笑ってくれて、空気が緩んだみたいだった。

 多摩川沿いの水気の多い空気が涼しく髪をなでていく。

 もしかしたらるきさんが気を使ってくれたのかもしれない。


「ほんと、びっくりだよね」


 女にならなければ、違う好きでちひろのそばに居たのかもしれない。

 少なくても体を重ねることは、しなかったんだろう。


「ねえ、もーちん。悠里に言われたことあんまり気にしなくていいよ」


「大丈夫。でも、ちひろと男同士だったら、今どんな風だったんだろうって思っちゃった」


「あれ。結局もーちんって心は男なの? 男としてちひろのことすきなの? それとも、もうすっかり女の子なの? 個人的にすっごい興味あるんだけど」


「うーん……? わかんないや」


 地面を見下ろして、次の言葉を考えたけれど、結局何も出てこない。

 考えたことは何度も会ったけれど、ちひろ以外に好きな人が出来たことなんてないし。ちひろは男だけど女も格好もするから。結局どっちのちひろが好きなんだろう。

 ぼくって、なんなんだろう?


「もーちんごめん、なんかついもーちんには余計なこと言っちゃう。ゆうりに怒られちゃうね」


 るきさんは苦笑しつつ、堤防に転がる石を蹴飛ばした。


「別に平気。変に気を使われるより全然」


 ぼくが言うと、るきさんはにっこりして、手を掲げて眩しそうに空を見上げる。


「雪未っていうんだけど。あたしの彼女。彼氏に振られたのを慰めてたら付き合うようになってさ」


「うん」


 唐突な話に彼女の横顔を見上げた。

 るきさんは空を眩しそうに睨んだままだった。


「そ。いっぱい好き好き言ってくれるし、寂しがり屋だし、ちょっと束縛が過ぎてたまにうざいけど……すっごいラブラブだよ。まあでも、こんなの今だけだよね」


「どうして? お互い好きならずっと続くんじゃないの?」


「純粋すぎでしょ」るきさんが吹き出した「雪未はたぶん、今は誰でもいいんだよ。そのうち男が出来たら次に行っちゃうだろうし。あたしじゃ、結局男になれないから。でもそれでもいいんだ。あたしもまた別の人を好きになるんだろうし。もーちんは違うの?」


「わたしはならないよ。ずっと一人が好き。この先も」


「そ。頑張れもーちん、応援してる」


 るきさんが、大人みたいに悟ったような顔をして笑う。少し寂しそうに見えた。


「太陽、眩しいなあ」


 るきさんにつられて、手をかざして目を細めた。伸びる堤防の先に夕日が沈もうとしている。

 夕日を背にしたゆれる影が、ぼく達に言った。


「ふたりとも、一緒に帰ろう」


「あんた帰ったんじゃないの」


「言ったじゃない。ひとりは寂しい」


 照れる風でもなく、聖ヶ丘さんはただ微笑んだ。

 ぼくとるきさんは顔を見合わせて、目をしばたかせていたけれど、やがてるきさんが吹き出してしまった。


「じゃあ、もーちんに謝りな?」


 彼女はちょっと考えて、ゆっくりぼくの前まで歩いてきた。

 ぼくを見下ろして、なぜだか今度は目を反らして口元に手をやって、もごもごと何事かを呟いている。

 よく聞き取れないけど、流石に謝るのはプライドが許さないのかもしれなかった。


「ごめんなさい、百草くん。さっきは言い過ぎました。よかったらこれからも友達でいてください」


 勢いよく顔を上げた彼女と、ぱっと目が合って、少しびっくりした。

 やっぱり彼女はいつだってストレートだ。

 友達。そっか。女の子の、友達。嬉しかった。


「嬉しいです。聖ヶ丘さん」


「わたしも嬉しいです、百草くん」


 それから、握手した。隣でるきさんが爆笑した。


「いや、あんたらなに!? 小学生の演劇じゃないんだからさ! 後名字呼びもやめようよ!」


「えっと……ゆうりさん?」


「はい。みつきさん」


「だーかーらー、それやめろって! 笑い殺す気!?」


「関戸も友達にしてあげる」


「なんで上から目線なんだよ。良いけどさ。っていうかとっくに友達のつもりだったんだけど」


 るきさんにつられて、ぼくも笑った。

 そう言えば、ちひろ以外の友だちができたのは生まれてはじめてだったのだ。

 


……。


「――でね、ちひろ。ちゃんと友達ができたんだ。ちひろ以外で、はじめて!」


 休日の夕方、ちひろの家で今週の出来事を話していた。

 嬉しくて、それにちゃんと女の子になってるよって報告したくて、ついついたくさん話しすぎてしまった。


「良かったな、みつき。なんか最近学校が楽しそうだもんな」


 その間、ちひろは満面の笑みで聞いてくれていて、時折頭を撫でてくれていた。


「ごめん、ぼく……じゃない、わたしばっか話しすぎちゃった。ちひろは、どう? 部活大変?」


「んー。まあ、それなり。筋肉つくから本当は嫌なんだけど」


「じゃあ、やめちゃえばいいのに」


「ぶっ」ちひろが吹き出した。「そう簡単には行かないって。部とか、友達関係だってあるし」


「そっか。そうだよね」


「オレだって友達結構居るんだよ」


 ちひろがぼくの頭を撫でて、にっこりした。

 そうなのだ。ちひろは明るいし、友達も多い。みんなから慕われてる。

 そんなの、当たり前のこと過ぎて、なんで今更言うんだろうってちひろを見上げる。


「うん! ちひろは人気者だもんね!」


「……別にそこまでは言ってないけど。ま、いいや。今日はオレがみつきをメイクしてもいい? お姉ちゃんが服買ってくれてさ。みつきも着てみてよ」


「うん。ちひろは良いの? 後でしよっか」


「そうだなー。あとで。みつきは本当、どんどん可愛くなるよな」


 ちひろがぼくの手を掴んで、引っ張った。

 ぶつかるように唇を合わせた。

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