4
休日は約束した通り、ちひろはぼくと一緒に女の子の格好をしている。
彼の自室で、だけど。外出は出来なくとも、ちひろは楽しそうにメイクや服を選んでいる。
彼が喜んでくれる事自体が、ぼくにもとても嬉しかった。
「みつき、これとかどうかな?」
ぼくたちの中学の制服を着て、ちひろがスカートの裾をちょっと持ち上げる。
「すごく似合う! ちひろかわいい!」
「うへへ。そうかな」彼が頬を染めて、照れくさそうに笑った。「お姉ちゃんににてるかな」
「うん、にてる」
彼が今着ている服やウィッグは、彼の姉であるあきらさんのものだ。
それもあってだろう。その姿は昔のあきらさんにそっくりだった。
あきらさんは今大学生だ。ぼくみたいに病気で変わったわけじゃない。自分の意志で、お兄ちゃんだったけれど、今はお姉ちゃんになったのだ。
「そっか。嬉しいな。あきらお姉ちゃんみたいになりたいから――」
言いかけて、ちひろはぎょっとして振り返った。
扉ががちゃりと開いたのだ。
「やあやあ、あたしを呼んだかな」
噂をすれば。あきらさんだった。
すらりと背が高くて、家着丸出しなTシャツとデニムがすごく似合ってておしゃれにすら見えるから不思議だ。目鼻立ちのはっきりした顔で、ちひろをそのまま大きくしたような女の人だった。
「あきらさん、こんにちは!」
ぼくが立ち上がって頭を下げると、彼女はにっこりして丸テーブルに腰を下ろした。
「相変わらず礼儀正しいね、みつきちゃん。ちひろの彼女がこんな美人でいい子で良いのかなあ。ねえ?」
彼女が隣りに座っている、ちひろの肩を軽く小突いてにやにやする。
ちひろはますます顔を赤くして、横目であきらさんを睨む。
「なんだよ、入ってくるなよ」
「おーう。だーれのモノを貸してるとおもってるんだ、この弟くんは! メイクしてやろうかなと思って来てやったのに」
「あ、メイクはあきらさんがしてたんですね」
ぼくが言うと、あきらさんはポーチからテーブルの上に化粧品を並べ立てながら頷いた。
「そだよ。というかまあ。まだそんなに必要無いと思うんだけどね。ちひろがどうしてもしたいって言うから」
「みつきに言うなよ、それ!」
ちひろが頬をふくらませる。子供っぽい動作がなんだかおかしかった。
「なに、格好つけてんの。ほれ、やったげるからウィッグ一旦外しな。みつきちゃんも後でやってあげるね」
そう言って、ちひろの髪をヘアバンドで止めてから化粧水をスプレーした後、乳液やクリームをつけていく。いざ始まったらちひろは恥ずかしそうに顔を赤くして黙ってしまって、対するあきらさんは楽しそうに鼻歌なんかを歌っていた。
「今日は簡単なのだけね。あんた中学生なんだし。ベースとアイメイクだけやったげる」
「ああ。うん……ありがと」
それからは、あきらさんの柔らかな手がちひろとぼくの顔を魔法みたいに走っていった。
彼女の言ったとおり、今回はそれほど多くの道具を使ったわけじゃない。
それでも、ちひろと一緒に女の子になれたみたいで、彼と一緒っていう事自体が、すごく嬉しかった。
「――よし。ほれ、ふたりとも鏡みてみ!」
メイクを終えて、ウィッグを付け直したちひろと、ぼくが姿見に体を写した。
ふたりとも女の子みたい……ぼくはもう女なんだけど。
とにかく。ちひろが本当に女の子になったみたいで、胸がどきどきした。
ちひろの望みに一歩近づいたのだ。
「ちひろ、かわいい!」
「おー。あー。うん。ありがと。なんか……恥ずかしい」
ぼくが言うと、ちひろが頬をかいて、それでもまんざらでもなさそうな表情をしているのが、やっぱりぼくは嬉しいんだって実感する。
「よしよし。ふたりともいいじゃん」両手でぼくとちひろの頭をぽんぽんと撫でる。「みつきちゃん、これからも、ちひろをよろしく頼むね。みつきちゃんとならきっと上手くいくからさ」
「…急に何いってんだよ。みつきが困ってんじゃん。なあ」
ちひろが同意を促すようにぼくに視線を送るから、慌てて両手を振った。
「え? わたしは別に……! 困ってないけど!」
「あはは。ありがと。まあでも、デートの邪魔者は消えるとするよ。ちひろ、頑張ってね! ちゃんとみつきちゃんに、女装のこと話したみたいでお姉ちゃん嬉しいぞう!」
ぐっと親指を立てて、あきらさんがイタズラっぽくウィンクする。
「あーもう! いいからそういうの!」
子供っぽく怒鳴るちひろの姿が、とても新鮮で、おかしかった。
学校でもそうだし、ぼくの前でもいつも優しくて、怒ったところどころか取り乱すところなんて見たことがないのだ。
「はいはい。じゃあね。みつきちゃんもまたね」
あきらさんがくすくす笑いながら部屋から出ていくと、なんだか急に部屋が静かになった。
ちひろは、相変わらずあきらさんが出ていった扉をぼんやりと見続けているて、ぼくの方を見ようとはしなかった。
その視線はどこか熱を持っているようで、放っておけば彼はいつまでもそうしているように思えた。
「あきらさん、きれいだよね」
ぼくがちょっと迷ってから、彼の手に触れると、はっとしたように体ごとぼくに向き直った。
「……ん。まあ、性格はどうかと思うけど」
「でも、あきらさんに憧れるの、分かっちゃうな」
「まあ。オレ、女装はお姉ちゃんに憧れて始めたところあるから」
「そうだ!」
両手を叩いて、笑顔でぼくはいう。思ってたより大きな声が出て、自分でもびっくりした。
「ぼくもあきらさんの服着てみようかな! 身長とか、サイズ合わないかな」
「え?」
ベッドの上に無造作に置いてあるそれらに手を伸ばした。
ちひろにお願いされたわけでもない。自分でもなんでこんな事を言いだしたのか、よくわからなかった。
「これとか――」
ちひろが着ていたワンピースに手が触れる。「ストップ!」
後ろから、ちひろの叫び声があって、世界がぐるりと一回転した。一瞬、ちひろの焦った顔が見えて、気づけば、ベッドの上に仰向けに倒れていた。
時計の針の音が、妙に大きく聞こえた。
ちひろが、ぼくに覆いかぶさっている。体同士がくっついて、彼の重さと熱さが全身にあった。
「わ、わりい!」
彼が両手をついて、上体だけを慌てて起こす。
「ちひろ?」
その彼の片手が、ぼくの胸を押しつぶしていた。ちょっと、ううん。結構痛い。
「その……なんていうか、ごめん。それは、だめなんだ」
「そっか。そうなんだ」
彼が目をそらして。相変わらず、手のほうはそのままだけど。
たぶん見てないから気づいていないんだ。
だめな理由はなんとなく分かる。でもそれを口にするのは怖くて……って。あれ、これ。
「ね、ねえちひろ」
彼は両手をついて、上半身だけを離している。
顔と顔がくっつきそうな距離で、彼の下半身はちょうどぼくのスカートのふとももぐらいにあって。
「……あ、たってる。ってうわあ!?」
彼も気づいたみたいだった。
飛び上がらんばかりに、一気に起き上がってベッドの端で正座して、思いっきりぼくから顔を背けてしまった。
顔なんて燃え上がらんばかりに真っ赤だ。
無言だ。
お互い気まずくて、何も言えない。
だめだ。何か、言わなきゃ。焦った頭のまま言葉を無理やり吐き出したら、
「……し、仕方ないよ、ちひろは男の子なんだし……」
ぼくは何を言っているんだろう。こんなのフォローでもなんでもない!
「いや、でもオレ! こんな格好して……!」
「わたしは、良いよ。ちひろがしたいなら」
「え?」
お互い、やっと目と目があった。
時計と、吐息と、ぼくの心臓の音だけが部屋を満たしていた。
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