小5 夏

……。


 髪結構伸びたなあ。

 職員用更衣室で、ひとりつぶやいた。

 ちひろと一緒に伸ばしているんだ。

 小5になった今では耳の下ぐらいで切りそろえられるぐらいには、お互い髪が伸びている。


「…しょっと」

 

 息を吐きながら、水着に片足つづいれていく。

 女子の水着はとても着づらいしあんまり好きじゃない。

 でも、プールに入れるならそれでも嬉しい。


 なにせ小4のときは、プールに入れなかったんだ。

 先生たちや両親の間で話し合いがあって、それが結局去年は間に合わなかった。

 つまり、ぼくが水着を着ていいかどうかって事を、大人が1年ぐらいかけて話し合った結果が今だ。

 相変わらずぼくの知らないところで、ぐるぐるとわからないことが飛び交っているのは、何となく分かる。たぶんぼくの本当の性別なんて周りには関係ないんだろうなあって思う。


「……ん?」


 違和感を感じて下を見た。

 水着の肩紐を引き上げる時に、手が胸に当たった。そこが痛いようなかゆいような。

 最近、胸の中に硬いものができてるし。

 これって、多分――


 がちゃり、と音がして振り返った。

 クラスメイトの聖ヶ丘(ひじりがおか)なつきさんだった。

 猫みたいなきれいな目がまっすぐにぼくを見ていた。


「聖ヶ丘さん? どうかしたの?」


 ぼくの声掛けを無視して、扉を閉めるとさっさとぼく隣までやってきた。


「百草くんのロッカー貸して」


 止めるまもなく、ロッカーを開けて、水着入れを放り込んだ。

 それどころか、タオルすら巻かずシャツを脱ぎ始めるから、一瞬ぼくも固まってしまった。


「ちょ、ちょっと、何してるの」


「時間無いし。ロッカーだって、百草くん以外のは鍵かかってそうじゃん」


「じゃなくて! なんでここで着替えるの!?」


「恋愛に興味ないと仲間じゃないんだってさ」


 聖ヶ丘さんはTシャツに手をかけながら言う。まるでぼくの言うことなんて聞いてない。

 肩上でざっくり切った髪に、ちょっときつく見られがちな目。

 美人だなあって思うし、どこからどうみても女子だよ。

 とか考えてたら、もうあっという間に下着姿になってしまった。

 

「なにそれ」


「別に。っていうか、百草くんも女子。みんなと一緒に着替えたって」


「ぼくは…去年まで男子だったから。先生にも、こっちで着替えてって言われてるんだ」


 彼女が下着まで脱ぎ去って、ぼくは目をそらした。とても悪いことをしている気がしたのだ。

 聖ヶ丘産、ブラしてるんだ。


「ふーん。先生に言われたから?」


 うん、って答えようとしてすごく変な声が出た。


「いいっ! いった!」


「おっぱいあるじゃん」


 ぼくの胸を鷲掴みにして、アニメの悪役みたいににたりって笑った彼女がちょっと怖かった。

 何より痛かった。


「ば、ばかじゃないの!?」


「自分のことぐらい自分で考えたら良いのに」


 鼻で笑われたからか、それとも言われたことが嫌だったのか。

 よくわからないけど、鼻の奥がつんとした。

 なにか言い返したい。けど、何も言葉が出てこない。

 着替え用のタオルを首から下に巻いて逃げるようにプールへ向かうことしか、ぼくにはできなかった。


……。


「なーに暗い顔してんだよ」


 はっとして、顔を上げた。髪の伸びたちひろが、ぼくの顔を見上げている。

 気づいたら、自分のキャラが崖から落っこちて、負けてた。

 せっかくちひろの家でゲームをしていたのに、今日のことをつい考え込んでいたんだ。


「え、あ、ごめん」


「なんかあった?」

 

「大丈夫だよ。」


 あははって冗談っぽく笑ってみせたけど、これは失敗だったなって思う。

 口の中がじんわり苦くなった。

 すごく嫌な言い方だ。つい目を見てられなくて、テレビを睨む。次のキャラを選んだ。


「ちゃんと言いな」


 急に目の前にちひろの顔が現れて、のけぞった。めっちゃ近い。

 ちひろが四つん這いになって顔を寄せてきているのだ。

 すごく、真剣な目をしていた。


「その……」


 髪を伸ばして、家でもスカート穿いて。

 そんな事をさせておいて、まだ心配してくれる。

 ちひろが女の格好をするのは、ぼくのせい?


「ほれほれ。どした」


「おっぱいが、できた」


「お?」


「……みたい。聖ヶ丘さんが、それ、おっぱいだよって言ってた。確かに、最近痛かったし、そうかなって思ってたけど。自分のこと、自分で決めろって言われて、どうしたらいいかわかんなくて」


 全部言い切った後に、顔が暑くなった。なんでか、急に恥ずかしくなってきた。


「オレさ」


 ちひろの顔がますます近くなる。まつげ、こんなに長かったんだ。


「うん」


「女になりたい」


「ちひろ?」


 唇が温かいものに触れた。ちひろの瞳の中に、目をまんまるにしてるぼくが居る。


「……っ」


 ちひろの吐き出す息が、何度も何度も、ぼくのものと混ざっていく。

 舌が触れ合うと一気に頭の中が熱くなって、それでもその奥はなんだかとても落ち着いていて。


 あ、ぼくちひろとキスしてるって考えた。

 真っ赤になった彼の顔が、なんだか、とてもおかしいような、怖いような、とてもいけないことをしているような、楽しいような、どろどろした重いものが胸の中に流れたみたいな気持ちだった。

 しばらくそうしていた。1時間ぐらい、そうしていたような気がするし、10秒ぐらいだったような気もする。


 ちひろが体を離して、スカートの裾を直して脚を流して座り直した。

 照れくさそうに笑って、口元に人差し指をあてるその見た目が、その時は、本当にちひろが女の子のように見えた。


「内緒ね」


 内緒話をする女子みたいな、くすぐったそうにどこかハズんだ声だ。


「内緒に、するよ」


 ちひろの体温が唇に残っていて、うまくしゃべれなくて、それだけを、やっと言えた。


「みつき。一緒に女の子になってね」


 そう言って、ちひろはぼくと両手を合わせた。

 

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