TS少女と女装少年の話

日向たなか

小4

「みつき。今日も学校いかないの?」


「頭痛いから」


 お母さんの声がして、慌てて布団の中に頭まですっぽり潜った。大きなため息が、背中向こうから聞こえてくる。



「先生は、もう体はなんともないって言ってるのよ。お母さんね、このままじゃ良くないと思うの」


「治ってないよ。体」


「だから……」少し疲れたように、お母さんは言う。「治らないのよ、それは。お母さんだって、つらいけど。でも、みつきは、みつきだからだから。ねえ、あなたが思ってるより、平気かもしれないよ。見た目だって、そんなに変わったわけじゃないんだから」


 お母さんの声はいつもマシンガンみたいだって思う。言い返すひまもなく、うちこまれてくる。


「そう、かもだけど」


 変わったよ、すごく。ちんちんだってなくなったし、見た目がなんだか丸っこくなった。

 そう言いたいけど、言えなかった。まだ弾丸が降り続いているせいだ。

 

 小4の春。ぼくは女の子になった。

 お父さんがひっくり返って、お母さんは意外と冷静だった。

 それから、入院やら検査やら色んな事があって、今はもう7月。


 何度か先生が家に来て、今後のぼくのことについて、お母さんがあれこれ熱心に話し合ってた。

 内容は、正直、よくわからなかった。ただ、先生もお母さんもとても困っていることは顔でよく伝わった。その時のお母さんの悔しそうな顔や、先生のちょっと緊張した顔。

 

 それを見た時、すごく、悪いことをしている気がして、それっきり行けなくなった。

 お母さんの言うとおり、ぼくだってこれで良いなんて思っていない。

 でも、学校へ行こうと思うと、頭やお腹が本当に痛くなるのだ。


「あのね、みつき――」


 チャイムの音が響いて、お母さんの声が止んだ。


「あら。ちひろ君だわ、きっと。ほら、今日も迎えに来てくれたんだよ」


 はーい。と声が別人みたい高くなったお母さんが、玄関にちひろを迎えに行って、ようやく布団から顔を出せた。


「ちひろ、また来たんだ」


 お腹の下あたりがぎゅっと痛くなった。

 片倉ちひろは、ぼくの幼馴染で、家が近いからよく遊んでいるし、今でも親友のつもりだ。


 女になってからは、1回も喋っていない。

 今一番会いたくないのがちひろなんだ。

 だって、女になった姿を見せたくない。

 それにこうやって迎えに来てくれるのに、ずっと無視しててなんだかとても気まずい。


 耳を澄ませていると遠くから、お母さんとちひろの話す声が聞こえていた。

 え?


 声が止んだと思ったら、足音が聞こえる。

 足音は、お母さんだけじゃない。

 慌てて布団を被り直した。

 なんで? なんであがってくるの?


「み、みつき。ちひろ君がね……」


 お母さんの戸惑った声と


「おはよ! みつき」


 ちひろの、前と全然変わらない元気な声。

 ああ、いやだ。会いたくなんてないのに。

 でも、そんな気持ちもちひろが次に発した言葉で吹き飛んだ。


「オレ、女の格好することにしたよ!」


「は? え?」


 思わず、顔を出した。

 にかっと笑った、ちひろがいた。スカートを穿いていた。



……。


 やばい。

 やばい、やばい。

 ちひろが、「オレも女の格好してるから、みつきも平気だよ」とか言うから勢いで納得しちゃったけど。

 よく考えたら、これ、かえって目立ってるよ。

 だって登校中にちらちら見られまくってるし。

 クラスの奴らに見つかったらどうしよう。違う。今から学校にいくんだ。


「ちひろ」


「んー?」


 前を歩くちひろが上機嫌に振り返った。

 少しだけ髪は伸びた。けど、もともと女っぽいとはいっても顔はちひろでのままだし、スカートはすごく目立っている。


「本当に、その格好で学校いくの?」


「行くよ?」


「ええー……」


「お姉ちゃんに借りたんだよ、これ」


 と、スカートをひざの上まで持ち上げ見せる。


「なんで、そんなことするの」


「みつきとが学校来ないとつまんねーんだもん」


「じゃなくて」


 なんでそこまでしてくれるんだよってことを訊きたいのに、


「顔が丸っこくなったよね。太った?」


 にこにこしてるちひろのペースにすぐ巻き込まれてしまって、気づけばもうすぐ学校に到着してしまう。


「ふ、太ってないよ!」


「っていうか、みつき。めっちゃ緊張してない?」


 けたけた笑って、背中をばしんと叩かれた。

 とてもいたい。


「だって、1ヶ月ぶりなんだよ。学校にいくの」


「オレも女やるからさ。平気だよ。へーきへーき」


「なんか……ううーん。大丈夫かなあ」


「そういや、前言ってたマリメの動画みた?」


 ぼくの心配をよそに、ちひろは明るい声のままだ。

 もう1ヶ月以上前の話なのに、昨日のことみたいにしゃべってくる。


「見たよ、お母さんのスマホで」


「ほしいよなー、スマホ」


「うちは中学に入るまでは無理かも」


「な。うちもだよ! お兄ちゃんは持ってるのにさ!」


 あんまりにも、ちひろが変わらないから胸のあたりがちくちくした。

 何度も迎えに来てくれていたのに。ずっと追い返していたのはぼくの方なのに。

 そんなことを考えつつ、もやもやしていたらあっという間にクラス前に着いてしまった。

 懐かしい声がたくさんきこえてきて、緊張する。お腹痛くなってきた。


「……やっぱり帰ろうかな」


「おはよう!」


「ちょ、ちひろ!?」


 思い切り手を引っ張られて、教室に連れ込まれた。



「片倉君!? 何その格好!」


 入り口でしゃべっていた女子が叫んで、みんなが一斉にこっちを見る。

 すぐにちひろとぼくを取り囲むように、クラスメイト一気に集まってきた。

 ああ、帰りたい。心臓がばくばくだ。


「まあいいじゃん、いいじゃん」


 ちひろはへらへら笑って、クラスメイトをかき分けながらどんどん進んでいく。

 さっさと自分の席へ向かってしまうから、慌ててぼくも後をついていった。

 色んな人の目が突き刺さってくるみたいだった。

 下ばっかり見て、皆の顔はとても見れなかったけれど、誰かが「百草(ももくさ)くん来てる」と言ったのは、はっきり聞こえた。

 

「めっちゃ目立ってた」


 前の席に座った、ちひろが、鼻の頭を指差して言う。

 周りの目なんて気にしてない感じで、ニコニコしている。

 ちひろはそうなんだ。いつだって動じないしよく笑う。

 ぼくとは性格が正反対なのに、なんで仲良く慣れたのか、今でも不思議だ。


「ぼくも、すごく見られてる」


「でも、どっちかっつーとオレのほうが話題になってねー?」


「え。そうかな――」皆が見てるのは、ぼくじゃなくてちひろ。どうだろう。でもそうなのかな。半分ぐらいは、そうなのかも。ちょっとだけ楽になった気がした。「そうかも」


「だろ?」


 また、ちひろがにかっと歯を見せた。


「ありがとう?」


「なんでお礼?」


「間違ってたら恥ずかしいから言わない」


 もしかしたら、ぼくをかばうため、なんて。そんなこと恥ずかしくて言えるわけがない。

 それになにより。1ヶ月経ってもちひろがぼくの親友で居てくれて、すごく嬉しかった。



……。


 騒ぎはすぐに先生まで伝わって、ぼくたちは朝から先生に呼び出しを食らっている。

 ちひろはなぜだか教頭先生に。ぼくは担任の先生に。それぞれの部屋に呼ばれた。

 やっぱり、男が女になって学校に来ると先生たちも困るみたいだ。先生はそんな顔をしているように見えた。


「みつき君。学校に来てくれてありがとう」


 保健室で椅子を向かい合わせで座った先生が、ぼくの頭をなでた。

 


「色々大変だったよね」


「いえ……家に、いただけなので…」


「ちゃんと学校を楽しめるように、先生も手伝うから。何かあったら何でも先生に言ってね」


「いえ、はい」


「それでねちひろ君」先生が目をそらした。やっぱりちょっと困った顔だった。「これからの、話しをしたいの。つまり、そのトイレとか、更衣室の話なんだけど。みつきくんは、まだ男とか、女とか、わからないよね」


「体は、女になったって、言われました。でも、」


 何を答えていいかわからなくなって、先生のスリッパをじっと見つめた。


「良いのよ、みつき君。これは難しい…とてもむずかしい問題なのよ。でも、みつき君のためにも、しっかり決めておいたほうが良いことなの」


「ぼくのため?」


「体が女の子になったのは、間違いないの。でもみつき君にも、周りにも、受け入れるための時間が必要なの。わかる?」


 先生の話は、眉間に寄ったシワの曲がりカドみたいに、何度も何度も寄り道をして、気づけば1時間目の授業がもうすぐ終わりそうだった。

 ちひろはどうしてるだろう。怒られてないと良いけど。


「――だからね。しばらくは、先生たちの、職員用の、トイレと更衣室を使ってね。他の先生にも、ちゃんと伝えておくから」


 先生が黙ってしまって、ようやく話が終わったことに気づいた。優しそうに微笑む先生が、ぼくの頭をまた撫でる。撫でられるわけは、よくわからなかった。


「わかりました」


 わからないけど、そう答えるしかないと思った。

 しばらくってどれぐらいなんだろう。

 皆と同じトイレに行けないのはさびしいような、ほっとしたような、とてももやもやした気持ちだった。


……。


 先生の話が終わって、保健室を出たと同時に授業が終わるチャイムがなった。

 隣にある生徒指導室からちひろが出ていくのが見えて、背中に声をかける。


「ちひろ」


 振り返ったちひろのスカートがくるりと回った。

 

「お。みつき。同じタイミングだ」


 ちひろが笑ってて、よかったって思う。


「ちひろ、怒られたりしてない?」


「全然。そういう話じゃなかったよ」


「よかった」


「オレ、しばらくこの格好で学校に通って良いことになりそう。親とも、話すみたいだけど」


「しばらくってどれぐらい?」


「わかんね。でも、お前だけ女になるのも……なんか、アレだし」


 ちひろはちょっと窓の外を見て、目を細くする。大人がするような、なにか違うことを考えているときの顔だった。

 ちひろが急におとなになった気がして、お腹のあたりがぎゅっとした。


「うん」


 どう答えていいか、やっぱりわからない。わからないことばっかりだ。

 いつまで、ぼくはぼくのままななんだろう。


「髪も伸ばそうかな! みつきも伸ばそうよ」


 へへ、と照れくさそうに笑ってちひろが後ろ髪をいじる。

 さっきの顔は、すぐに消えてしまったみたいだ。


「ぼくも?」


「そう。一緒に」


「うん。ちひろがするなら、ぼくも伸ばそうかな」


 ちひろが言うなら、それが正しいような気もしたんだ。

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