ヨンジュウサン 想い。そして
カズヤがマグナ・レガメイルと戦っている時、外に居たニナ達が一体どうなっていたのか。端的に言えば、彼女らは生きていた。それはマグナ・レガメイルが外に向けて魔法を放った後もだ。
「カズヤさん!」
生まれ返ったカズヤが壁にもたれかかっていると、突如その隣に大きな穴がぽっかりと空いた。外から覗く様にして聞こえた声にカズヤはハッとしてそちらへと視線を向ける。
「ナハト……!」
カズヤは感慨深そうに、涙の混じった声音でその名を呼んだ。ナハトが穴の中に入ろうとする前に、カズヤは急いで外へ出る。ニナ、オリガも無事で、傷一つなくしてこちらへと駆け寄ってくる。
「皆……」
カズヤは各々の顔を見る。瞼が痙攣して、思わず泣きそうになるのを堪えながら、カズヤはその場にへたれこむ。随分と久々に感じる太陽の光に照らされながら、カズヤは震える。
「良かったのですよ。本当はすぐに助けようと思っていたのですが、自分で作ったのに中々壊れなくて時間が掛かったのです」
「はは、そうだったのか」
ニナがしゃがみカズヤの頬に触れる。胸元に飾られた緑色の宝石が美しく揺れながら、カズヤを迎えた。
「でも、よく無事だったな。拘束されていたんじゃ……」
そう、カズヤが最後に見たのはマグナ・レガメイルによる土魔法で身動きを封じられた三人だったはず。一体どうやって抜け出したのだろう。
「ナハトが助けてくれたんだ」
オリガが答えると、何故かニナが得意げに胸を張る。カズヤはふとナハトに目を移すと、彼女は心配そうにこちらを覗き込みながら頷く。
「私はそんなに魔法が得意ではないのですけれど……何とかなって良かったです」
「そうか、そうだったのか」
どうやって助けたのか、助かったのか、カズヤはこれ以上聞こうとは思わなかった。今ここに三人が無事で自分の前に居る、それだけが一番重要なのだ。
「それより、もう大丈夫なのか。あの人間は……」
「駄目だ!」
ドームの内部を入ろうとしたオリガの手首を掴み意図せずして声を荒げてしまう。驚いた様子で目を開く三人の反応を見て、カズヤはハッとした表情の後俯くと「もう、終わったから」と小さく呟いた。
「早く、ここから離れよう」
盗賊との戦いが終わった時と同様に、カズヤはそう言う。一刻も早くここから身を遠ざけたい気持ちに駆られ、その感情が上擦りながら声に出る。
「でも」
と、ナハトが言う。
「カズヤさん、凄く疲れている様に見えます。少し休んでから——」
「疲れてなんか、ない」
嘘だった。実際とても疲労感で身体が重く、歩きたい気分にはなれそうにない。しかし、カズヤはこれ以上三人に何かあったと考えた時、居てもたってもいられないのだ。
だから離れたい。『吸血族の城』までもう遠くはないだろう。ならば、すぐにででも出発して少しでも安全な場所へ……。カズヤは悶々と思考を巡らせながら立ち上がろうとする。
「……れ」
ガクン、と膝の力が抜ける。緊張感から解放された感覚で腰が抜けてしまった訳ではない。ただ、歩き方を忘れそうになってしまっているだけだ。倒れそうになるカズヤを、寸前でナハトが受け止める。
「カズヤさん!」
「い、や……ちょっと躓いただけ」
広大な荒野ばかりの地上とは言え、立ち上がってすぐに転ぶ様な場所などあるはずがない。ナハトもそれを知っていて、カズヤが見た目以上に疲労困憊なのだと察知する。
「やっぱり休みましょう」
「……僕のせいで足踏みしていたら、君の傷が治せなくなるかもしれない」
それだけは避けたい。
どうして、と訊ねようとするナハトの白い肌に手を置いたカズヤがゆっくりと膝を伸ばす。その痛々しい姿を見て、止めるなと言われる方が不本意だろう。ニナだけでなく、オリガですら心配そうに顔を顰めている中、彼は口を開く。
喉が枯れ、掠れた小さい声で。
「もうここには、居たくないんだ」
そして歩き始める。足を引き摺る様にして、それでも確実に一歩を踏み締める。それ以上何も言えず、三人はカズヤの後を気まずそうに付いて行くのだった。
一時間近く歩く一行は、やがて教会らしき建造物へと辿り着く。魔法戦争によって瓦解していた周囲の中で、たった一つ、その教会だけは傷らしい傷も無いまま佇んでいた。そう言えば魔女と遭遇した場所も大聖堂で、半壊していたとは言え形は保ったままだった。戦争では教会を攻撃するのは条例で禁止されているのは、もしかすると現実世界と同じなのかもしれない。
ともかく、その教会を見つけた四人はその内部へと入る。錆びた鉄の扉を開けるのにはそれなりに苦労したけれど、何とか入る事に成功した。女神らしき女性が描かれたステンドグラスが真正面でカズヤ達を迎え入れ、身廊の左右にはチャーチチェアがいくつも並べられている。
「今日はここで休むのですよ!」
カズヤの手を引きながらニナが言う。ステンドグラスから漏れた光が彼女の金色の髪に差して何だか神々しく、眩しく感じて彼女から視線を逸らす。
「でも……」
「良いから、休むのです」
躊躇うカズヤになおも食い下がろうとするニナ。そのまま彼女はカズヤの手をグイグイと引っ張り、無数にあるチャーチチェアの内一つの上に半ば無理矢理座らせる。
「もうさっきの場所からだいぶん離れたのですよ。だから、ナハトちゃんも言う様に、今は休むのです。ねっ?」
「……ああ、分かったよ」
これ以上、彼女らの親切心を踏みにじる訳にもいかない。それに、確かに歩いてからもうかなり距離を取った場所に居る。四発撃ち込んだマグナ・レガメイルがもしも生き返るだなんて「生命に対する冒涜」的な事が起きない限り、もう追っては来ないだろう。
カズヤは椅子に深く腰掛けると、長く息を吐く。ようやく休息が出来るのだと少し安堵する。
やがて瞼が重くなり、彼は深い眠りにつくのだった。
目が覚めると、そこは真っ黒な空間だった。右も左も上も、どこを見渡しても暗闇に包まれた空間に、カズヤは立っていた。
——ああ、これは夢だ。
そう感じるのは、単に夜になったからが故の暗さではなかったからだ。腰掛けていたはずの椅子がどこにも無いのだ。
明晰夢なる、自分が夢を見ていると自覚している状態に陥っているとカズヤは理解した。そう言えば、夢を見るのはいつぶりだろうと考えながら、何となくその真っ暗な空間の中一歩を踏み出してみる。少し柔いかと思ったら、所々固い感触が足の裏を伝わっていて、初めてカズヤは自分が素足でいる事に気が付く。
一歩、二歩、と前に進む足を増やしていく。
『スワンプマンには解答がある』
と、突然声が聞こえる。よく聞き慣れた、少し掠れたその声は、紛う事なくカズヤそのものの物だ。しかし、夢を見ている——今この空間を歩いている——カズヤが喋っている訳ではない。それを分かっていながらも、カズヤは思わず自身の口元に手を当ててしまう。口を一文字に結んだ自分が話しているはずがないというのに。
ならばこの声は一体どこから……と考えて、カズヤはすぐに下らないと一蹴した。だってここは夢の中なのだから。夢では何が起ころうとも不思議ではない。
『最初から、この世界に来る前からその答えを知っていたというのに、目を背け続けてきた』
暗闇に響くその声は天から降っている訳でも、まして脳内に響いている様な感じでもない。ふとした瞬間に、カズヤはその声を理解していた。理解し、聞いてしまっていた。
『だから、罰が当たったんだ。現実から目を逸らして、いつまでも足踏みをしているから、そうなったんだ』
「それの何が、悪いんだよ」
カズヤは思わず口を突いてしまう。自分の声に、自分で反論するというのは気恥ずかしさよりも滑稽だと感じる。感じていながらも、カズヤは捲し立てる様にして闇に向かって言葉を紡ぐ。
「誰だってそうだろ。自分の正体がいきなり変貌したら、受け入れられない。目を逸らして、背を向けて、じゃあそれの何が駄目だって言うんだ!」
叫ぶ。虚しく吸い込まれる声に、返答が来るのは少し時間が掛かった。
『カズヤはロボットだ』
それは小中学生で呼ばれていたあだ名だ。愛着の欠片も湧かない、カズヤ自身を卑下した呼び名だ。
「……違う」
『ルール通りに生きようとする。敷かれたレールの上をひたすら歩く事だけに集中している』
「やめろ」
『他人と会話する時も、いつだって当たり障りの無い様にと細心の注意を払っている。当事者でいる事を嫌っている』
「……やめろ」
カズヤの制止も聞かず、しかし声は続ける。
いつしか自分が足を止めている事にも気が付かず、耳を塞いでもなお聞こえるその声は言う。
『自ら何かを得ようとはしない。与えられた物だけで、生きようとする』
「僕はロボットじゃない……人間だ。人間なんだ……」
『そう主張していられるのに、じゃあどうしてマグナ・レガメイルとの戦いで、感情を剥き出しにしたんだ? 外に居たナハト達が、殺されたかもしれないという絶望感からか? 違うだろ』
問うているはずなのに、頭ごなしに否定する。恣意的で、こちらの話にまるで耳を傾けようとはしない。
『お前は……いや僕は、納得してしまったんだ。マグナ・レガメイルが言う様に、人間とはあるいは生物というのは、限られた命の中で生きる物なのだという主張に』
「……」
『生命に対する侮辱という言葉に、僕は納得してしまった』
強く耳を塞いでも、その場に蹲み込んでも、カズヤの声は響き続ける。上から、左右から、耳に囁き続ける。
『折角目を逸らしていたのに、逃避してここまで来たのに、自分と似通った思考を持った相手が現れて、間違いを指摘された。現実を突き付けてきたマグナ・レガメイルに、僕は感情的になったんだ。結局、あの男を殺したのは、僕のエゴだった』
「……」
そうだ。マグナ・レガメイルの言葉は、おおよそ歯が浮く様な台詞ばかりではある。けれどそれは、ロボットの様に忠実でい続けたカズヤが、最も憧れた『生命としての生き方』だった。
時に間違い、それでも後悔して省みて、成長する。
それが出来る人々がカズヤにとってとても羨ましかったのだ。
『でも、現実世界にあったレールはもう無い。大人達から正されてきた道は、どこにもない』
だから真っ暗なんだ、とそのカズヤは言う。
暗闇に内包されたこの空間が、自分の胸中を現しているのだとすれば、何て悲しいのだろう。用意されていたレールの上からですら、こんなにも寂しい風景は見た事がない。
『スワンプマンには解答がある』
遠くから、あるいはとても近い所から、カズヤは最初に自分へ語り掛けてきた言葉に戻る。
『記憶が、外見が、カズヤを構成する遺伝子がどれだけ同一であったとしても』
「死ぬ前の僕と、生まれた僕では差異がある」
カズヤは僅かに震える声で遮った。手で顔を覆い、枯れた涙を拭き取る様にして、唇を噛みながら続ける。
「僕は……あの時のファミリーレストランで食べたスパゲティの味を覚えているけれど、僕はスパゲティを食べた事がない」
例え記憶や知識が引き継がれようとも、今ここに居るカズヤはその知識を得る経験を経ていないのだ。
「それがスワンプマンの答え。だから僕は、カズヤという人物そっくりに作られた、泥人形なんだよ」
はは、と思わず笑いが溢れる。自虐的なその笑いに、反響していたカズヤは言った。
『泥人形だから、何だろうな』
「……え?」
質問の意図が理解出来ず、カズヤは顔を上げる。誰も居ない空間に向かって、顔を顰めた。
『答えに辿り着いて、現実と向き合って、そしたらどうするのかは……お前が決めれば良い。少なくとも——』
言葉を区切る。慎重に、ゆっくりと、カズヤが言う。
『結局はお前も、カズヤなんだから』
「……っ」
目が覚める。今度はあの暗い空間ではなく、チャーチチェアの上で、カズヤは覚醒した。ステンドグラスからは光が差していない事から、もうだいぶん時間が経ってしまったのだと窺える。
椅子の上で何時間も眠れるなんて、よほど疲れていたんだな。そう思いながらカズヤは、見ていた夢を、その中で語り掛けられた言葉を思い出す。
『結局はお前もカズヤなんだから』
ふう、と息を吐きそれから辺りを見回す。ナハト達の姿が見えない。どこか別の場所で寝ているのだろうか、と思いやけに膝の上が重い事に気が付く。
「……」
視線を落とすと、カズヤの膝に頭を乗せたニナが居心地悪そうに眠っていた。いつぞやの、『妖精族の森』でカズヤがニナにそうしてもらっていた時の事を思い出して、少し笑ってしまう。
そう言えば、ニナはずっと、何も言わずに付いてきてくれていた。もちろん、外を見たいという彼女の目的もあるだろうけれど、ここまで一緒に居てくれるとは思いもよらなかった。
例え泥人形であろうとも、ニナは……魔物達は自分と変わらず接してくれていた。
ニナの頭をゆっくりと持ち上げたカズヤは、木造の椅子の上では更に寝心地が悪いだろうと思いつつも、その上に彼女を寝かせる。なるべく起こさない様に慎重に横にして、カズヤは痺れた足を少しずつ伸ばして立ち上がった。
外の空気を吸いたい。
崩れかけているとはいえ、やはり建造物の中は少し息苦しく感じて仕様がない。カズヤはそう思いながら、ふらふらと教会の扉を上開けた。
「——あ」
と、思わず声が漏れたのは、扉を開けた先にナハトが居たからだ。仄かに輝く月に照らされながら、星の輝く空をとても愛おしそうに眺めている彼女は、とても儚げだった。
「カズヤさん。起きて、大丈夫なんですか?」
「ああ、まあね」
こちらに気が付いたナハトがパ、と振り返ると駆け寄りながら顔色を窺う。とても綺麗な白い髪が、月に反射してより一層美しさを増しながら。
「……ごめん、ナハト。本当は、ここで立ち止まっている場合じゃないのに」
「そんなに急がなくても良いんです。それに、私の怪我が治っても、貴方が倒れたら意味がないじゃないですか」
階段に腰掛けると、隣で彼女も同じ様に座り、カズヤへと微笑む。
「少し、やつれている様に見えますけれど……本当に大丈夫なんですか?」
「……どうだろう。もしかしたら少し、疲れているかもしれない」
何故だろう。彼女の前で、いや、ニナやオリガの前でも弱音を吐こうとしなかったのに、どうして「疲れている」などと言ったのだろうか。今までカズヤが誰かに悩みや苦しみを吐露する事なんて、なかったはずなのに。
親友のマコトやヒヨリにも、そうした事など一度もなかったというのに。
「……あの魔法使いの方、私の翼に攻撃した人間ですよね」
「どうしてそれをっ」
「ニナさんの土魔法で作ったあの中を見て、顔をはっきりと見たんです。私を気遣って、黙っていたんですよね」
「……ごめん、隠すつもりじゃなかったんだ」
空を飛べなくした張本人と遭遇した。それを被害者であるナハトに言える程、カズヤは残酷ではなかった。トラウマとも表現出来るマグナ・レガメイルという存在を、ナハトには思い出して欲しくなかったのだ。
「あっ、責めてる訳じゃないんです。ただ……その魔法使いと一緒に、沢山の貴方の……」
ぎゅ、と胸の辺りを握り締めながら、ナハトがまるで自分の事の様に苦しそうにする。
「もしかして、疲れているのは、貴方のその力が原因なんじゃないですか?」
「……そうかもしれない」
いや、そうだ。
肉体的にではなく、おおよそ精神的に、もうカズヤはボロボロだった。
「けれど、この力が無いと、僕は魔法使いに対抗出来ないんだ。だから——」
「だからって、貴方がこれ以上苦しそうにしているのを、黙って見過ごせるはずが——」
「僕だって!」
と、カズヤは声を荒げた。込み上げる感情が、堰き止められていたダムが決壊したみたいに、彼の口から雪崩れていく。
「僕だってこんな力、欲しくなかった! せめて記憶が無くなっていれば、こんなにも嫌な気持ちにはならないはずなんだ! 記憶じゃなくても良い。見た目や、声や、髪の毛や瞳の色が違ってても良い! いっそ、性別が変わってしまった方が、よほど良かった! ほんの些細な違いだけで、割り切れたんだ!」
止まらない。今まで自分の中に内包してきた苦悩が、ナハトに向かって止め処なく溢れる。こんなのただの八つ当たり以外の何物でもないのは分かっている。それでももう、カズヤには自分を止める事など出来やしなかった。
「あの時、魔女に殺されて、それで本当に終わっていれば良かったんだ! そうすれば、僕という存在は生まれすらしなくて済んだ! なのに、なのに……!」
「カズヤさん……」
ハッ、とする。自分がいかに愚かな事を、彼女に言っているのかようやく自覚する。唇を噛み、目を細めて……近くにあった石を手に取ると、それをもう片方の手にぶつけた。ガン、ガン、と打ち付ける。
痛みなど感じない。
そんなもの、とっくに忘れてしまった。
「カズヤさん!」
ナハトが両手でカズヤの手を止めた。白い肌で、自分よりもよっぽと人間味があるその手に止められて、ようやくカズヤは石を手放す。
「どうせこの傷も、次の僕が生まれたら、無くなっている。どんなに地を流していても、僕を作っているのはただの水と土。人間そっくりに作られた、人形なんだ……!」
手が震える。少し寒い夜に、だらだらと腕を伝っていくその血はほんのりと温かく——けれどカズヤには、どうしても作り物に見えて仕方がない。
「人形である事が」
ナハトが静かにカズヤへと語り掛ける。石はもうカズヤの手から落ちているのにも関わらず、未だにその手を握りながら——自分の手が赤くなろうとも、彼女は言った。
「人形である事が、そんなにもいけない事ですか?」
「……」
「私だって、人間ではありません。ニナさんや、ラセツさんだってそうです。けれど、だからって私は人間になりたいとは思いません。魔物である事を、誇りに感じています」
「……」
彼女の声はよく透き通っていて、まるで子守唄を口ずさんでいるみたいに綺麗な音を立ててカズヤの耳へ入る。
傷付いたカズヤの手を優しく包み、撫でながら、ナハトは続けた。
「確かに貴方の言う通り、この傷は、無くなるのかましれません。でも私は、貴方が自分を傷付ける程に苦しんでいたという事を忘れません。『貴方』だけではありません。私を庇おうと、魔法使いに一人で立ち向かった貴方の事も、私の傷を治しに行こうと言ってくれた貴方を、『大地の裂け目』で倒れていた私を見つけてくれた貴方を、私は忘れません」
竜は長生きなんですよ。
と、取り繕う様に微笑みながらナハトが言う。
「だからもしも、自分が誰なのか分からなくなってしまいそうで、苦しくて……石で自分を傷付けそうになった時は、『カズヤ』という貴方を想う私が居る事を、思い出して下さい」
『結局はお前もカズヤなんだから』
「……そしたら僕は、君に何もかもを委ねてしまうかもしれない」
「構いません。それで貴方が楽になるのなら、どうぞ委ねて下さい」
「君を悲しませたり、苦しませたりするかもしれない」
「そんな事は、あり得ませんよ。だって、今貴方を想う私は、そう考えていませんから」
「人形でも、人間でなくとも、僕は『カズヤ』で居ても良いのか……?」
「もちろん。種族なんて結局、区別を付ける為の記号でしかないんですよ」
カズヤの頬が震えて、冷たい感触が伝わるのを感じる。そこで初めて、自分が泣いているのだと自覚して、また涙が溢れていく。少ししょっぱく、手に落ちて傷に染みていて少し痛いけれど、その感覚がカズヤには何だかとても心地良く感じてしまう。
右手に力を込めると、ナハトの両手もそれに応じて握り返す。彼女の手に額を当て、カズヤは涙を流した。
「カズヤさん。私の傷が治ったら、私の背中に乗って、空を飛びましょう。ニナさんやオリガさんも一緒に」
優しく語り掛ける彼女のその手の温度を感じながら、二人は少しの間石段に座り続けるのだった。
「……姉上」
教会の扉の内側に背を預けていたニナに、オリガが声を掛けた。カズヤが起こさない様にと椅子に寝かせた彼女は、彼が外へ出たのを見計らって目を覚ましたのだが、外でナハトと話しているのを聞いて出られずにいたのだ。
「オリガちゃん」
ニナは少し俯きながら妹の名を呼んだ。カズヤとナハトの会話を聞いていた二人は、しばしの沈黙が紡がれていた。
「はい」
「……もう、カズヤさんには戦わない様にしてもらうのですよ」
ずるずると床にへたれ込みながら、ニナがはあ、と溜め息を吐いた。
「ニナはずっと、勘違いしていたのですよ。カズヤさんは自分の力を受け入れていて、とても強くて逞しいと思っていたのです。でも……」
でも違った。
カズヤの力の研究という事で、彼に付き合っていたニナにとって、彼があそこまで苦しんでいたなどと想像も出来なかったのだ。
「ナハトちゃんよりも長く一緒に居たはずなのに、ニナはずっと勘違いをしてて、カズヤさんに無理をさせて……」
「姉上のせいではありません」
オリガが言う。そもそもカズヤ自身の問題なのだから、ニナが責任を感じる要素など一つもありはしない。しかし、ニナは首を振った。
「ニナが思っていたよりもずっと、カズヤさんは一人で悩み続けていたのですよ。それに気付かないなんて……ニナはまだ子供なのですよ」
母、エレオノーラが安心出来る様に、もっと外で経験を重ねたいと思っていたニナにとって、身近に居たカズヤの心中にすら気付かないなんて、それはもう責任というより罪に近い。
そう、ニナは思った。
彼と一緒に居て、彼の側に居て、それでもなお彼が強い人なのだと勘違いをし続けて、無茶をさせてしまった。
「だから、カズヤさんがこれ以上苦しまない様、ニナももっと頑張るのですよ」
「姉上……それなら、私も一緒です」
座り込んだニナに目線を合わせる様にして屈んだオリガが、相変わらずの無表情で、それでも確かな意思を持った瞳で覗き込む。
そんな妹の健気な姿に、ニナは目頭に溜まった涙を拭くと笑顔で
「オリガちゃん、ありがとうなのですよ」
と、言ったのだった。
こうして、魔物とカズヤの物語が一区切り付いた。
そして、時は少し遡る。カズヤとマグナ・レガメイルが、壮絶とは言い難い、死体の積み重なる様な戦いを繰り広げている中、場所は変わる。
唯一の人間国家。
魔法戦争を勝ち抜き、たった一つとして君臨する国。
ベレニアス王国。
荘厳な城を中心に街々が広がるこの国で、ある大会が行われようとしていた。『砕剣の聖騎士団』の騎士部門と、魔法使い部門に別れての闘技大会が。
とても広いサークル状の闘技場の観客席では、今か今かと大会の始まりを待ちわびる喧騒で溢れていた。そんな熱気に包まれる中、入場門の近くで、一人の少年が胸に手を置き深呼吸をしている。
少し早い鼓動から、緊張しているのだと分かる。
そんな少年に、背後からヨレヨレのローブを羽織った女性が近付くと声を掛けた。
「あらあら、緊張していますか?」
「……ローラン先生! はい、結構、と言うか心臓バクバクです」
ローランと呼ばれたその女性は柔和な笑みを浮かべると、少年の肩に手を置くと言う。
「大丈夫ですよ。私が教えられる魔法は全て教えましたから。何より、マグナ君のお墨付きもありますしね。自信を持って下さい」
激励された少年は深く頷く。一度目を瞑り、長い間瞼を開かないまま、再三深呼吸をした。動悸と観客席から聞こえる喧騒が段々と小さくなっていくのを感じて、目を開ける。
闘技場の中央には既に対戦相手が準備運動をしていて、少年の入場を待ちわびている様だった。
「……よし! 俺、絶対に勝ちます!」
「はい、頑張って下さい」
ぎゅ、と拳を握り締めながら少年は前に進む。明るい日が差す闘技場へと出るその後ろ姿を見ながら、ローランは感慨深そうに呟いた。
「貴方ならきっと、百点満点の結果を出せますよ」
マコト君、と。
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