ヨンジュウニ 五発目

 バツン。

 と、マグナ・レガメイルの足元に赤い物体が跳ね落ちる。何秒かの痙攣を経て、やがてその赤いブニブニとした固体がギュウ、と僅かに縮小する。

「——な」

 何をしたのか、何が起こったのか、マグナ・レガメイルにはまるで理解が出来なかった。理解の及ばない、人智の及ばない出来事を体験した時、人の身体は硬直するものなのだとマグナ・レガメイルは思い知らされる。一秒が何時間にも感じられる思いの中、それでもマグナ・レガメイルは足元に転がり落ちているそれに視線を向けた。

 ——舌だ。

 そう、舌。味覚を感じる為には必要な器官であり、そしておおよそ取り外しが不可能な部位だ。いや、そもそも人間に再生する部位があるのかと問われれば、舌に限られた話ではないと首を振らざるを得ないのだけれど。だが間違いなく、乳歯から永久歯に生え変わるのとは訳が違う。

 違うからこそ、マグナ・レガメイルには理解が出来なかったのだろう。目の前で達磨状態になり、血溜まりを作りながらうつ伏せになっていた少年——人形カズヤがよもや舌を噛み切ったのだと、状況を呑み込むのに時間が掛かってしまう。

 明らかに今までとは異なる。あまりにも異質過ぎて、唐突過ぎてマグナ・レガメイルは瞼の筋肉が痙攣する。脅威でなくともその行動は驚異に値した。

 ゆっくりと下を見る。

 カズヤが何をしているのか、また、何をしようとしているのかを再認識する為に彼へと視線を移す。

「な、何をっ……!」

 言葉が出なかった。

 最後まで言おうとして、喉に声が突っかかってしまう。先ほどまで、あんなにも絶望しきっていたカズヤが地面に顔を突っ伏していたのだ。ゴボゴボと音を掻き分けて、目も鼻も口もその全てを土の中にめり込ませている。それがよりマグナ・レガメイルを混乱させた。何をしているんだ、と。

 いや、それは分かりきっている。

 死のうとしているのだ、この少年は。舌を噛み切り、窒息死を図っているのだと。それは分かっている。分からないのは行動ではなく理由の方だった。外の魔物は殺した。なら、もうこの少年にはこれ以上戦う理由がないはずだ。

 もしや、まだ生きているかもしれないと淡い期待を抱いているのか? だとしたら愚かだ。あまりにも愚直過ぎる。感情的で、とても冷静な判断だとは言えない。

 人間でも魔物でもない。人智の範疇からはみ出たこの存在が、そんな気持ちを持ち合わせているのだろうか。殺された魔物の為に、あわやその敵討ちでもしようという気概に果たして駆られるものなんだろうか。

 あり得ない。人とは感情的に、理論的に、生きる生き物だ。この少年は人を模して作られた贋作。人間の振る舞いを真似しているだけに過ぎない。

 はずだ。

 違う。そんな事を考えている場合ではない。マグナ・レガメイルは頭を振り、再びカズヤへと視線を戻す。相変わらず地面に顔を埋めたまま、微動だにしない。そんな彼に対して、果たして自分は一体何をするべきなのか。

 やめさせる為に頭を無理矢理にででも持ち上げるべきか? いや、それは時間の先延ばしでしかない。仮に持ち上げて、呼吸させて、それで延命させたとしても既に四肢を切断されているカズヤに対してのその行為は無駄でしかない。死ぬまでの時間が伸びるだけだ。伸ばしたところで、意味を為さない。

 ならばいっそ殺してしまうか……駄目だ。この少年は「死ぬ事を目的として」舌を噛みちぎり、窒息死をしようとしているのだ。死んでも蘇る力を持つこの化物への唯一の有効な手立ては「生け捕り」に他ならない。その生け捕りを放棄して殺すのは本末転倒とも言える。

 もしも防護魔法が未だ張られていれば、躊躇なく殺せるだろう。殺してまた生け捕りにすれば良いのだから。しかし、防護魔法が無い状況下において、魔法を使えたとしても今のマグナ・レガメイルは丸裸状態なのだ。

 たった一発の弾丸ですら、撃たれどころによっては落命する恐れがある。

 魔法で対抗しようにも、ほぼ際限もなしに復活する化物と永遠と渡り合える程、マグナ・レガメイルも自惚れている訳ではない。

 慎重で狡猾。そして努力を惜しまない。『魔法を使えるようになるまで』その努力を重ねてきたのだ。それがマグナ・レガメイルの本質だ。だから、ここで「よし殺そう」とここで殺してしまう程馬鹿ではない。

 どうすれば良い。どうすれば……。

 この時、思考の奈落にマグナ・レガメイルはハマってしまった。


 マグナ・レガメイルが悩み続ける中、地面に顔を埋めたカズヤは死ぬ事だけに注力していた。目の前に居るマグナ・レガメイルを気にしていられる程、彼には余裕がなかったのだ。

 舌の付け根がビリビリと鈍い痛みを放ち、止め処なく溢れる血液で口内が一杯になる。口の許容量が限界を超える事を見越して『土へ顔を突っ込んだ』のだが、どうやらそれは功を奏したらしい。

 顔が土に触れた瞬間、口の中から血液が溢れ出る。しかし、口を開けてもあるのは土。ゴボゴボと音を立てて、空気が入り混じりながら口腔内へと新たに土が侵入する。行き場の失った血液が逆流し喉へと入り込み、胃の中を満たしていく。酸素不足により麻痺した脳が認識の齟齬を生じ、咽頭が正常に機能しない。そのせいで血を吸った土が丸ごと気管が入る。

 異物感で胸が一杯になり、吐き出してしまいそうになるけれど、目も鼻も口も塞がれてしまった今、その出口などどこにもない。

 肺が、血液で満たされていく。

 反射で顔を上げてしまいたくなるが、それを僅かに残った理性で抑え付ける。顔をめり込ませ、埋め続ける。

 ここまでやって、未だにマグナ・レガメイルの介入がないのはむしろ奇跡とも言えるだろう。神様が居るのなら、笑顔で「死ぬ時間をやろう」と言っているようなものだ。もちろん、それで感謝をする程カズヤは信仰的ではない。

 マグナ・レガメイルはただ順番を間違えたのだ。ただカズヤを絶望させる為に、外に居るニナ達に手を下したのが、そもそもの間違いだった。四肢を切断し、拘束して生け捕りにする。そこまでは順当な、カズヤという異質な力を持ったモノへの対抗策を講じていた。生け捕りにした後、ニナ、オリガ、そしてナハトを殺そうとせずに『交渉のネタ』として取っておくべきだったのだ。「この魔物を生かす代わりに、抵抗をするな」とでも言っておけば良かったのだ。それだけでカズヤはどうする事も出来なかっただろう。

 直前の話をするなら、「人とは何たるか」について高説垂れている場合でもなかった。うつ伏せではなく仰向けにするだけでも、事態はこれ程急変しなかったはずだ。

 逆上したカズヤがその後どんな行動に出るかの予測もままならないまま、外の三人へ魔法を使ってしまったマグナ・レガメイルの唯一の失敗とも言えよう。生け捕りにするのはカズヤだけではなく、ニナ達もまたその対象に入れておくべきだった。

 しかしもう遅い。

 完全にマグナ・レガメイルの目論見を外れてしまった。

もう、カズヤは捨てたのだ。自分を捨て、自らを殺す事で、どんな手を使ってでもマグナ・レガメイルを殺すのだと決め打ったのだ。

「……」

 カズヤの意識が遠のいていく。

 本来、窒息による死までの時間は早くても十分程度は掛かるらしいけれど、この時、手脚、舌までも失ったカズヤには失血の症状も現れていた。それが重なった事で、いとも容易くカズヤは窒息死までの時間を大幅に短縮させられた。

 その時間、たったの二分。

 ビクン、と大きくカズヤの身体が跳ね上がる。跳ね上がってそして、二度と動く事はなかった。ここまでの僅かな時間で、見事カズヤは自殺に成功したのだ。

 後はもう、マグナ・レガメイルを捕まえるだけ。

「動くな」

「……っ! 光撃魔法——がっ!?」

 『二十五人目のカズヤ』が手放した紙は丁度、マグナ・レガメイルの背後の足元に置かれていた。ここまでを予測していた訳ではなかったものの、それでも意表を突く事に成功したカズヤは背後でそう呟く。もちろん、魔法で反撃しようと振り向いたマグナ・レガメイルの口に銃口を突っ込む事で、無力化しながら。

 どさ、とマグナ・レガメイルが初めて地面に倒れる。『二十八人目』のカズヤはその上に跨ると、口の中に銃口を入れたままピタリと動きを止める。

「どうした? 魔法、使えよ」

 と、カズヤが言う。

「……っ!」

「ああ、やっぱり」

 使えないんだな、とカズヤは目を細める。その言葉にマグナ・レガメイルの目が相対的に開かれるのを見て、カズヤは口元を歪ませた。

「魔法が使えないから、魔法の事は知らないとでもお前は思っていたんだろうな。まあ、確かに僕は魔法を細部まで知り尽くしている訳じゃない。けれど、魔法を使う為の方法なら知っている」

 魔法を使う為の方法。

 人間が魔女に魔力と魔法を与えられ、使う為に必要な手順。

「『詠唱』か『魔法陣』だろ」

「……ぐ」

 魔物とは違い、魔法を使う上での重要な役割を持つのが『詠唱』と『魔法陣』の二つだ。しかし、カズヤの聞いた話だと、必要なのは『どちらか一方』だけなのだ。

「でもおかしいよな。だって、どっちかがあれば使えるのに、お前はその手の甲に『魔法陣』を記している。その癖、魔法を使う時には『詠唱』もしている」

 マグナ・レガメイルの呼吸が段々と荒くなっていく。それは酸素不足だからではなく、あからさまな動揺なのだとカズヤには確信を持たせた。

「最初、僕はお前がより多くの魔法を使う為にそうしているんだと思っていたよ。『詠唱』だと覚え切れなくても、『魔法陣』ならその必要はないからさ。でも、お前が魔法を使う時は必ず『詠唱』をしていた」

 そう、マグナ・レガメイルが今の今までで何も言葉を発する事なく発動させた魔法などなかったのだ。

「もしくは最終手段なのかも、とは考えた。こういう状況に陥った時の為の『魔法陣』かもしれない、とさ。けれどそれは今否定された」

 ここまで狼狽しているのが仮に演技だったとしたら、それはもう圧巻とも言えるけれど、つらつらと話し続けるカズヤに対して魔法を使わないのはやはり——

「お前、『詠唱』と『魔法陣』の両方がないと魔法が使えないんだろ」

「ぁ……ぐ……!」

 その反応だけで、答えは明白だった。

 首筋に僅かに見えていたのは恐らく魔法陣。カズヤが察するに、マグナ・レガメイルは身体中に魔法陣をいくつも描き、詠唱する事で魔法使いとしての素質を遺憾なく発揮していたのだろう。

 ゆっくりと、銃を引き抜く。完全にではない。あくまでも、いつでも撃てるという——詠唱する前に殺せるという距離を保ったまま、カズヤはマグナ・レガメイルに一瞬の隙を与えた。

 口を自由にする事で、カズヤは果たしてこの男から何を聞きたかったのだろうか。謝罪や命乞い? そんなもの、彼は求めてはいなかった。

 求めていなかったのに、彼はあろう事かこの男に喋らせてしまったのだ。

「ふ、はは……」

 と、マグナ・レガメイルは笑う。全てを諦めた、そんな笑い声だったけれど、それでもあのイヤらしい笑みだけは絶やさないままに。

 仰向けになった状態で、頭だけを持ち上げてカズヤの方を見ると言う。

「アナタが、ワタクシを殺そうとも……人間の敵になろうとも……」

 謝罪でも命乞いでもない。ましてカズヤの推理に答える訳でもなく、明確な敵意を持った瞳でカズヤを睨み付けたままに喋る。

「ベレニアス王国には、最強の魔法使いが……そうなり得る方が居る……彼は才能を持ちながらも決して傲らず研鑽し、常に努力を惜しまない……彼はいずれ、あの魔女すらをも超える」

「だから、どうした」

「化物めが、もしも人間に仇なすと言うのなら、その魔法使いに絶望しろ……! 人間は、ベレニアス王国は永久に不滅——」


 ダァン!


 最後の言葉まで聞く事はなく、カズヤは引き金を引いた。弾丸によって貫かれた喉から鮮血が噴き上がり、カズヤのワイシャツを赤く染める。最期まで忌まわしい嘲笑を浮かべたまま、マグナ・レガメイルは死んだのだった。

「……」

 すっくとカズヤは立ち上がる。その瞳は虚で、何も反射しない真っ黒な闇に染まっていた。ふと、息絶えたマグナ・レガメイルから視線を外して周囲を見渡す。

 カズヤ、カズヤ、カズヤ。

 無数に転がる死体の山のどれもがカズヤだった。溺死したカズヤが、土の剣で四肢を切断されたカズヤが、氷柱で貫かれたカズヤが、身体の半分が溶けたカズヤが。

 もう、吐き気は込み上げてこない。それを見てなお、カズヤは落ち着いていた。いや、もう起伏する感情を殺してしまっているのかもしれない。

「……うるさいなぁ」

 と、呟く。もちろん、誰かが喋っている訳ではない。ただカズヤの耳元ではあの男の、マグナ・レガメイルの甲高い声が囁いていている様な気がしてならない。

 仰向けで絶命したマグナ・レガメイルに目を向ける。死んでいるマグナ・レガメイルが、まだ笑っている気がしたカズヤは二発目の弾丸を口の中に撃ち込んだ。

 ダァン!

 衝撃で痙攣したマグナ・レガメイルが動く事はもちろんない。ないのに、まだその心臓は動いているのではないかとカズヤは感じてしまう。

 だから、今度は心臓がある胸部に向けて銃弾を放つ。

 ダァン!

 もうこれ以上撃ったところで、マグナ・レガメイルが何か出来る訳ではない。もう、死んでいるのだから当然だ。なのにカズヤは、まだこの男が思考しているのではないかと思う。思考し、模索しているのではないかと。

 こんな状況を打破する為の手立てを考えているのではないか、と。

 ダァン!

 四発目の弾丸が眉間に命中したところで、ようやくカズヤの不安が解消される。良かった、これでもうこの男が不意に起き上がる事はないだろう。

 一発目の弾丸で死んでいるマグナ・レガメイルに対して、カズヤはそう思った。そして、自分の手が、身体が、酷く血で赤くなっている事に気が付いた。今のカズヤに目立った外傷はない。故にこれはマグナ・レガメイルの返り血だ。それがとても汚らしくて仕方ない。血で汚れた自分が、とても気持ち悪くて仕様がない。

 そしてカズヤは、五発目の弾丸を——


 ダァン!


 自分のこめかみに撃ち込んだのだった。



 カズヤとマグナ・レガメイルの、文字通り泥臭い戦いは、ドームの中で繰り広げられた殺戮と魔法の飛び交う、血で血を洗う戦いは、こうして幕を引いた。

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